「宮本武蔵 (1961年の映画)」の版間の差分

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内田吐夢監督の『宮本武蔵』シリーズ記事作成のため、シリーズ全体の製作・評価等の内容はそちらに移動しました。未出典記述は除去しています。
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[[ファイル:いよいよGW公開!「萬屋錦之介生誕90年/『宮本武蔵』全5部作予告編(原版フィルム4Kスキャン版)一挙」東映京都俳優部サイドメニュー特別篇.webm|サムネイル|内田監督・中村主演『宮本武蔵』シリーズの全予告]]
『'''宮本武蔵'''』(みやもとむさし)は、[[1961年]](昭和36年)[[5月27日]]公開の[[日本映画]]である。[[東映]]製作・配給。監督は[[内田吐夢]]、主演は[[萬屋錦之介|中村錦之助(萬屋錦之介)]]。企画は当時の[[カラー京都撮影所画|富士フィルムカラー]]所長・[[岡田茂 (東映)|岡田茂]](のち、同社社長)<ref>{{Cite book | 和書 | title = 波瀾万丈の映人生:岡田茂自伝 面アスペクト比| author=岡田茂|authorlink=岡田茂 (東映) | publisher = [[角川書店スコープ]] | year = 2004 | id = ISBN 4-04-883871-7 | pages = 129-130 }}、110分。
{{Cite book | 和書 | title = 石井輝男映画魂 | author1=石井輝男|authorlink1=石井輝男|author2=福間健二|authorlink2=福間健二 | publisher = [[ワイズ出版]] | year = 1992 | id = ISBN 4-948735-08-6 | page = 118 }}[http://www.animeanime.biz/archives/8609 岡田茂氏死去 東映名誉会長 東映アニメ取締役]</ref>。[[カラー映画|富士フィルムカラー]]、[[画面アスペクト比|東映スコープ]]、110分。
 
[[吉川英治]]の小説『[[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]』を原作とした、「[[内田吐夢監督の『宮本武蔵』シリーズ|内田監督・中村主演の『宮本武蔵』シリーズ]]」全5部作の第1作。新免武蔵(たけぞう)が[[沢庵宗彭]]の導きにより、[[姫路城]][[天守]]で3年間の幽閉生活を送るまでを描いている。[[興行収入#入|配収]]は3億500万円で、この年の邦画配収ランキング第5位となった<ref>{{Cite journal |和書 |title = 映画40年全記録 |journal = キネマ旬報増刊 |issue = 1986年2月13日号 |page = 16 }}</ref>
 
[[1961年]]度[[日本放送協会|NHK]]映画賞ベスト・テン第10位<ref>宮本武蔵 愛蔵BOX封入特典豪華解説書4P参照 DSTD02074 発売元:[[東映ビデオ]]</ref>。
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*[[沢庵宗彭|宗彭沢庵]](禅僧):[[三國連太郎]]
 
== 逸話製作 ==
=== キャスティング ===
*シリーズ全5部作はテレビが世の中を席巻し始め、映画斜陽化を感じた内田吐夢監督自身が守ろうとの思いから、5年の歳月をかけて挑んだ前代未聞の超大作プロジェクト。1年1作であったため、完結編『[[宮本武蔵 巌流島の決斗]]』は1965年になったが、この頃には本シリーズの企画者である[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]が時代劇から[[ヤクザ映画|任侠映画]]への切り替えを構想していた<ref>{{Cite book | 和書 | title = 仁義なき日本沈没 東宝VS.東映の戦後サバイバル | author=春日太一|authorlink=春日太一 | publisher = [[新潮社]] | year = 2012 | id = ISBN 978-4-10-610459-6 | pages = 104-107 }}</ref>。そのため本シリーズは製作の継続が危ぶまれたが、岡田が奔走し低予算で完成に漕ぎ着けた<ref>{{Cite book | 和書 | title = 映画監督五十年 | series = 人間の記録105 | author=内田吐夢|authorlink=内田吐夢 | publisher = [[日本図書センター]] | year = 1999 | id = ISBN 4-8205-5765-3 | pages = 187-188 }}</ref>。
*本シリーズの企画者である[[岡田茂 (東映)|岡田茂]][[東映京都撮影所]]所長が、当時"志村妙子"名義で東映に所属していた[[太地喜和子]]を岡田が大役(お通?)に抜擢したが<ref name="活動屋人生">{{Cite book | 和書 |author=岡田茂|authorlink= 岡田茂 (東映) |year = 2001 |title = 悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年 | author = 岡田茂 | publisher = 財界研究所 | yearISBN = 2001 | id = ISBN 4-87932-016-1 | pages = 189-190 }}</ref>、太地は「[[文学座]]の試験に受かったから[[演劇|舞台]]の道に進む」と大役を断ったという<ref name="活動屋人生" />。岡田は「太地さんが志村妙子として東映に残っていれば、映画界から大スターへの足跡を辿ることになったと思う」と話している<ref name="活動屋人生" />。
*[[1980年]][[1月2日]]には[[テレビ東京|東京12チャンネル(現:テレビ東京)]]で、本作を含む中村版『宮本武蔵』全作を放送。これが翌[[1981年]]から[[2016年]]まで放送された『[[新春ワイド時代劇|12時間超ワイドドラマ→新世紀ワイド時代劇→新春ワイド時代劇→新春時代劇]]』へとつながる。なおその1981年放送の同ドラマ第1作は、中村錦之助こと[[萬屋錦之介]]主演の『[[それからの武蔵 (1981年のテレビドラマ)|それからの武蔵]]』であるため、2年連続して萬屋錦之介主演の宮本武蔵ものが放送、また翌[[1982年]]にはこれまた萬屋錦之介主演『[[竜馬がゆく#1982年版|竜馬がゆく]]』だったため、3年連続して萬屋錦之介主演作が放送された事になる。
*また、その1980年末の東京12チャンネルでは、先述の『それからの武蔵』の宣伝を兼ね、中村版『宮本武蔵』全作を12月2日から同月30日まで5回にわたって、『[[火曜ロードショー]]』(火曜20:00 - 21:54)を19:33開始に拡大して放送した。このため1980年の東京12チャンネルでは、『宮本武蔵』映画が延べ10本も放送された事になった。
 
==同時上映==