「ネフェルウ3世」の版間の差分
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{{Hiero|ネフェル|<hiero>nfr-nfr-nfr-B1</hiero>|align=right|era=mk}}
'''ネフェルウ3世'''(Neferu III)は、[[古代エジプト]][[エジプト第12王朝|第12王朝]]の王妃。[[アメンエムハト1世]]と[[ネフェルイタチェネン]]の娘、[[センウセレト1世]]の同母姉妹かつ妻であり、[[アメンエムハト2世]]の母親である<ref name="ドドソン、ヒルトン2012p92">
この時代の王妃は基本的に葬祭関連の文書によってのみ知られている<ref name="ティルディスレイ2008p90">[[#ティルディスレイ 2008|ティルディスレイ2008]], p. 90</ref>。ネフェルウ3世も大枠として例外ではなく、彼女に関する記録はアメンエムハト1世のピラミッド複合体で発見された石の断片、アメンエムハト2世がセンウセレト1世のために建てた神殿、およびセンウセレト1世のピラミッド複合体に作られたネフェルウ3世のためのピラミッドから得られている(ただし彼女はこのピラミッドに埋葬されなかった可能性がある)<ref name="ドドソン、ヒルトン2012p97"/>。
ネフェルウ3世は[[古代エジプト文学]]の傑作である『[[シヌヘの物語]]』にもセンウセレト1世の妻として言及されている。この物語の終盤でネフェルウ3世は王女たちと共に流浪の旅からエジプトへと帰還したシヌヘを出迎えている<ref name="ティルディスレイ2008p89"/>。
{{Quote|...かれ(=王)に愛されたるもの、従者シヌヘは(次のように)語った。私は主君につき従う従者であり、世襲の王女にしてケネムスウトにおけるセンウセレト王の寵愛厚き妃、カーネフェルウにおけるアメンエムハト王の娘、尊きネフェルウのハレムに仕えるものであった...|『シヌヘの物語』冒頭<ref name="シヌヘの物語p406>[[#シヌヘの物語|シヌヘの物語]], 屋形訳, p. 406</ref>}}
== 出典 ==▼
{{Quote|...そこへ、王の子たちが案内されてはいってきた。ついで王(引用注:センウセレト1世)は王妃(引用注:ネフェルウ3世)にむかって(こう)申された。「ここにシヌヘがいる。アジア人として、アジア人の格好をしてやってきたのだ」と。王妃は大声で叫び、王の子供たち(も)皆いっせいに叫び声をあげた。そして陛下へ向かって言った。「おお、国王よ。わが主君よ。本当はかれではありません」と。陛下は申されました。「本当にかれなのだ」と。...<ref group="注釈">屋形訳では、固有名詞の記載はそれぞれ、ケネムスート(地名)、センウセルト(王名)、カーネフェルー(地名)、ネフェルー(王妃名)である。ここでは本文に合わせてカナ転写を変更している</ref>|『シヌヘの物語』終盤<ref name="シヌヘの物語p413>[[#シヌヘの物語|シヌヘの物語]], 屋形訳, p. 413</ref>}}
== 脚注 =
=== 注釈===
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▲=== 出典 ===
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=== 参考文献 ===
* {{Cite book |和書 |translator=[[屋形禎亮]]|editor=[[杉勇]]、[[三笠宮崇仁親王|三笠宮崇仁]]編 |chapter=シヌヘの物語 |pages=403-414 |title= 古代オリエント集 |publisher=[[筑摩書房]] |date=1978-4 |isbn=978-4-480-20601-5 |ref=シヌヘの物語 }}
* {{Cite book |和書 |author=エイダン・ドドソン|author2=ディアン・ヒルトン|others=池田裕訳|title=全系図付エジプト歴代王朝史 |publisher=[[東洋書林]] |date=2012-5 |isbn=978-4-88721-798-0 |ref=ドドソン, ヒルトン 2012 }}
* {{Cite book |和書 |author=ジョイス・ティルディスレイ |authorlink=:en:Joyce Tyldesley |others=[[吉村作治]]監修、月森左知訳 |title=古代エジプト女王・王妃歴代誌 |publisher=[[創元社]] |date=2008-06 |isbn=978-4-422-21519-8 |ref=ティルディスレイ 2008 }}
== 関連項目 ==
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