「千葉ロッテマリーンズ」の版間の差分

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シーズン成績は3位。11月28日、成績が低迷していた[[大映ユニオンズ]](大映野球)と[[合併 (企業)#対等合併|対等合併]]し、'''毎日大映オリオンズ'''(まいにちだいえいオリオンズ)に改称。略称は'''大毎オリオンズ'''(だいまいオリオンズ)。新会社毎日大映球団<ref group="注">一部の資料{{要出典|date=2015年10月}}では「株式会社大映毎日球団」とする記述もある。</ref>が設立。球団組織と法人格は毎日側を存続させ、形式的には[[毎日新聞社]]と[[大映]]の共同経営としたが、実質的な経営は大映側が掌握し、同社社長の[[永田雅一]]がオーナーに就任するという「[[逆さ合併]]」だった。
 
==== 大毎→東京オリオンズ時代 ====
 
; [[1958年の毎日大映オリオンズ|1958年]]
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1964年より球団名を'''東京オリオンズ'''(とうきょうオリオンズ)に改称。現在で言うところの地域密着策というわけではなく、東京都を保護地域とする他球団が「東京」を名乗っていないことに永田が目を付け「東京を本拠地とする球団の中でも、“東京”を名乗る我がオリオンズこそが、東京を代表するチームである」と発案したのがきっかけだった(チーム名に「東京」を冠した球団は当時歴代通算4球団目。この他、ヤクルトが2006年から[[東京ヤクルトスワローズ]]に改称している)。だが、この改称は毎日新聞社側への根回しがないまま行われたため、毎日側が不快感を示した挙句、毎日新聞社の資本も翌1965年1月に引き上げ、なおかつ後援も1966年度シーズンをもって打ち切っている。これによって球団は完全に永田が掌握することになったが、会社名は「毎日大映球団」を維持した。
 
==== 東京オリオンズ時代 ====
 
; [[1964年の東京オリオンズ|1964年]] - [[1968年の東京オリオンズ|1968年]]