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[[ファイル:1938 Kimotsuki District Storm and Flood Damages Kushira 001.jpg|thumb|大水害により串良町中心部は冠水した(その他の画像は[[:commons:Category:1938 Kimotsuki district storm and flood damages|ウィキメディア・コモンズ]]を参照)]]
[[1918年]](大正7年)からは県が、[[1937年]]([[昭和]]12年)から国が主体となり本格的な改修工事が始まったが、[[1938年]](昭和13年)[[10月15日]]に[[台風]]による大水害([[肝属地方風害]])が発生<ref>吾平川氾濫で麓地区に濁流『九州日報』(昭和13年10月16日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p216-217 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>し、死者278名、行方不明者177名の大惨事となった。このため改修計画は大幅に変更され蛇行の直線化が進められることになった。工事は長期計画で行われ、[[1963年]](昭和38年)にほぼ完成した。[[1967年]](昭和42年)[[5月25日]]に一級河川に指定され、[[1996年]]([[平成]]8年)には鹿屋市内のシラス台地を貫く[[鹿屋分水路]]が完成している。度重なる改修工事によって直線化が進んでいるが、市・町境や[[自然堤防]]に立地する[[集落]]の[[分布]]に往時の面影をみることができる。
 
2020年7月の豪雨([[令和2年7月豪雨]])では鹿屋市祓川町の大園橋に流木などが引っ掛かり、川の周辺9戸が床上浸水する一因となった<ref name="373news20210916">[https://373news.com/_news/storyid/143679/ 明治建造のアーチ橋 氾濫恐れで撤去検討 鹿児島・鹿屋市] 南日本新聞、2021年9月16日閲覧。</ref>。大園橋は1904年(明治37年)建造の石造二重アーチ橋(全長30m、幅約3m)で鹿屋市の指定有形文化財であるが、今後も河川が氾濫するおそれがあるとして文化財指定の解除が諮問されており撤去が検討されている<ref name="373news20210916" />。