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=== 交友クラブを継承 ===
1966年12月の[[第1次佐藤内閣 (第3次改造)|第1次佐藤第3次改造内閣]]では椎名は外相を解かれ、[[自民党総務会長]]に就任した。1年足らず総務会長を務めた後、[[1967年]](昭和42年)11月の[[第2次佐藤内閣 (第1次改造)|第2次佐藤第1次改造内閣]]で再び通産相に就任した。[[1970年]](昭和45年)に川島正次郎副総裁が急死する。椎名は同志から全員一致の推薦を受け交友クラブ(川島派)を継承し、川島派は椎名派となった。当時の椎名派は衆議院議員19人、[[参議院|参議院議員]]4人の中間派閥であった。椎名は赤城宗徳と浜野清吾を相談役に任じ、[[松沢雄蔵]]を同派の幹事長格として交友クラブを運営した<ref name=ando2012-9-2-3/><ref name=ando2012-9-2-2>{{Cite news|title=川島派を継承、自民党副総裁に 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(5)|newspaper=日本経済新聞|date=2012-9-2|author=安藤俊裕|url=https://r.nikkei.com/article/DGXNASFK27016_X20C12A8000000/?df=2|accessdate=2017-12-8|publisher=日本経済新聞社|page=2|archiveurl=https://archive.is/FmWxR|archivedate=2017-12-4}}</ref>。また、椎名は川島が務めていた[[日本プロレス|日本プロレスリングコミッション]]の[[コミッショナー#日本プロレスリングコミッション|コミッショナー]]も翌年に引き継いでいる<ref>{{Cite book|和書|author=斎藤文彦|authorlink=斎藤文彦|title=昭和プロレス正史 上巻|url=https://books.google.co.jp/books?id=cWV-DQAAQBAJ&pg=PA367&lpg=PA367&dq=%E6%A4%8E%E5%90%8D%E6%82%A6%E4%B8%89%E9%83%8E+%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9&source=bl&ots=v6Ysqe45C2&sig=HbZvBBT0QinpzGUbUNZFoqTW8cg&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjUmtmpsPXXAhWIopQKHdQACY0Q6AEIVzAJ#v=onepage&q&f=false|accessdate=2017-12-8|date=2016|publisher=イースト・プレス|isbn=9784781614724}}</ref>。
 
椎名と[[灘尾弘吉]]は、1971年に宏池会会長の座を追われた[[前尾繁三郎]]と交友を持ち、毎月一回行った3人の会合は「[[三賢人の会]]」と呼ばれ、「三賢人の会」は次第に政局の節目で注目を集めるようになった。
 
=== 自民党副総裁 ===
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1974年の文世光事件の際に、自民党副総裁の身分で謝罪特使として韓国に派遣され<ref name=ando2012-9-2-4/>、[[青瓦台]]で朴正煕大統領を訪問した後には、「あのような屈辱的な使いをしたのは初めてだ」と愚痴をこぼしていたという{{要出典|date=2015年1月}}。なお、やはり自民党副総裁であった1972年には[[中華人民共和国]]との国交樹立に伴い台湾([[中華民国]])への釈明と今後の民間交流維持のための特使として派遣され、日本の不義理に憤激するデモ隊から車に投石されたこともあった<ref name=ando2012-9-2-3/>。このことが後年、大平正芳との関係を悪化させたといわれる<ref>小堺昭三著、『自民党総裁選』、角川書店、182~184ページ</ref>。しかしながら、[[蔣介石]]の秘書を務めた柯振華によると、このデモは日本側を威嚇するための台湾政府に命じられたいわば[[ヤラセ]]で、参加者全員が手心を加えており、物を投げたり車列を襲う頃合いは警備係が目配せをして指示を出していたという<ref name=Niwa156>[[#丹羽|丹羽(2017年)]]156頁</ref><ref>{{Cite news|title=中日建交40週年(六):親歷"中日斷交"的台灣外交官|newspaper=BBC 中文網|date=2012-10-2|author=林楠森|url=https://www.bbc.com/zhongwen/trad/mobile/world/2012/10/121002_jp_tw_brokeoff_relations.shtml|accessdate=2019-9-25|language=
Chinese|archiveurl=https://archive.is/jtUmp|archivedate=2019-9-25}}</ref>。
 
=== 三賢人の会 ===
[[1970年]]頃から、[[前尾繁三郎]]・[[灘尾弘吉]]と、いわゆる「三賢人の会」と称された集まり{{refnest|group="注"|この集まりについては、{{Cite book|和書|author=城山三郎|authorlink=城山三郎|title=賢人たちの世|publisher=[[文藝春秋]]|series=[[文春文庫]]|year=1994|month=1|isbn=978-4167139155}}に詳しい。しかしながらその記述内容の信憑性は三宅久之により疑問が持たれている<ref name=Miyake/>。}}を料亭で持っていたが、自民党副総裁や衆議院議長を務めた三人の集まりにもかかわらず「政治の話はほとんど出なかった」といわれる{{refnest|group="注"|本人たちは「ただ飯を食ってバカ話をするだけ」と語っていた<ref name=ando2012-9-2-2/>。}}。
 
== 家系 ==