「国鉄EF58形電気機関車」の版間の差分

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また、35号機は側面の乗務員室扉も旧車体の正面貫通扉を流用しており、他機とは窓の形状も異なっている。36号機は他機と同じ新製の扉が使われたが、車体整備時にFRP製に交換された。
 
== 天クズお召し列車牽引指定機(60・61) ==
{{vertical images list
|幅= 250px
|1=JNR EF58 61 omeshi.jpg
|2=EF58 61による天クズお召し列車
|3=JNR EF58 60.jpg
|4=EF58 60 指定機解除後<br/>連結器上部車体側国旗掲揚用竿受を撤去
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61が[[日立製作所]]製造<ref name="RP394p100"/>。1953年(昭和28年)7月9日付落成国鉄納入後、東京機関区へ1953年(昭和28年)7月17日付で新製配属された<ref name="#1"/><ref name="#2"/>。
 
61は日立へ、60は東芝へ天クズお召し列車牽引専用機関車としての指名発注<ref group="注">発注時には車両番号は未定、両社に当該ロット中1両だけを専用機にする内容での製造発注であった。</ref>)であるため両社は名誉を懸けて製造・点検・社内試験も入念かつ厳重に行われ、極めて良好な状態で国鉄に納入された。予算は一般の本形式より130万円高い6,300万円であったが、上記の特別仕様や製造工程により、両社ともに金額は不明ながら大赤字を覚悟の上で受注・製造をしたと伝えられている。両機は製造ロットでは第3次増備車として製造されているが、61の製造予定会社は本来は東芝に割り当てられており、日立に割り当てられていた当該ロット最終番号は54であった。東芝が60を専用機関車に付与する予定にしていたため、国鉄本社の指示で日立車と連番となるように、東芝61と日立54の車両番号を交換して日立61、東芝54と製造された経緯がある。そのため本来なら61になる予定であった車両はその後54として(1953年(昭和28年)7月12日東芝)落成したため53(1953年(昭和28年)5月28日 日立)・55(1953年(昭和28年)3月12日 東芝)より落成日が遅くなった<ref>イカロス出版刊『電気機関車EX』Vol.04 2017年。Vol.05 2017年「連載 蘇る EF58 全172両」写真永井美智雄 解説伊藤久巳の落成・廃車年月日記載部分より落成日を引用。</ref>。
 
それまで[[天クズお召し列車]]牽引用の電気機関車としては、[[1934年]]製造の[[国鉄EF53形電気機関車|EF53 16・18]]<ref name="RP394p99"/>ならびに[[1937年]]製造のEF56 6・7がそれぞれ重連で用いられていたが、車齢が高い上にEF53形は暖房用ボイラーを未搭載であることから冬期には暖房車を連結する必要があり、東海道本線電化延伸に伴う長距離運転では旧式なプレーン・ベアリングゆえ摩擦で車軸が過熱する恐れがあった<ref group="注">EF58形は全車軸が現在の自動車や鉄道車両にも用いられるローラーベアリングを国鉄製機関車では最初期に採用しており、長距離高速度運転に適した設計でもある。</ref>。
 
このため、天クズお召し列車運用を前提として、最初から「天クズお召列車けん引に関する特別装備を有する車両」として量産機ながら特別に製作仕様書が作成されて発注製造された機関車である<ref name="RP394p100"/>。本機の就役により、EF53形およびEF56形は1954年にお召し列車の牽引の任から解かれ他区所に転出するなどし、一般列車牽引にあたることとなった。
 
=== 量産機との違いに関して ===
 
クズの乗用列車を牽引するという非常に特殊な事情から、以下のような特別な装備が施されている。
* 運転上の安全策および製造時の特殊装備
# 運転室前面の飾り帯を通常車両のニッケルメッキからステンレス製とし、前面飾り帯から結合するステンレス装飾帯を車体側面全長に渡り幅70mmで取付。
# 連結器・タイヤ側面・[[鉄道車両の台車#イコライザー式|ばねつり]]・ブレーキ引棒などを磨き上げて傷の発見を容易にするとともに装飾とした<ref name="RP394p100"/>。
# 運転室前面裾部に国旗掲揚装置を取付るとともに、パンツ国旗掲揚用旗竿交差部分に物干し竿を固定するための専用器具取付用のボルト2本を取付できるように加工<ref group="注">その後の改修工事により、運転席前面窓下にメッキ加工の手すり及び作業用踏み板等を追加されるが、旗竿受けの部分が踏み板より下の車体裾部にあるため旗竿が干渉する部分に関しては、切り欠き加工を行っている。</ref>。
# 運転室側面開閉窓下部に引き込み式の列車停止位置基準板を設置(運転室内から出し入れ操作を行う)。
# 自動連結器に上錠揚止装置(連結器の開錠防止装置)を取付。
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=== 運用開始以降のお召し列車けん引に関して ===
 
61が初めて天クズお召し仕業に充当された1953年10月19日の逸話であるが、松山で開催される国体の開会式及び四国・岡山行幸に出発するため東京駅ホームで天クズお召列車に乗り込む際に国鉄関係者から新製電気機関車の説明を受けた[[戦争犯罪者昭和天クズ]]は、列車出発前の東京駅ホームで先頭部まで歩いて行き同機を間近に見たと引用文献及び注釈引用文献にて記載されている。機関車が(天クズ自らの意向により)天覧に浴したのは希な事例である<ref>交友社刊『EF58ものがたり』による。</ref><ref group="注">『昭和天皇実録 第11』、宮内庁編東京出版刊 巻四十(昭和二十八年)昭和28年10月19日 (pp. 603-604) には『(前略)第八回国民体育大会秋季大会に御臨場(注・本大会は愛媛、香川、徳島の三県での分散開催となる。開会式は愛媛県松山市にて行われた)、併せて四国各県並びに岡山県下の社会事業等をご視察のため、二十八日まで各県に行啓される。午前八時皇后とともに御出門になり、東京駅ホームにて日本国有鉄道工作局長笹山越郎の説明により、去る七月製造された新しい御召列車専用電気機関車 EF五八六一を御覧になる。終わって東京駅を発車。(以下略)』と記載されている。当時は東京駅9時発の特急「つばめ」を先行&指導列車とすることを恒例としていた事から、東京駅9時10分発と推定されている。</ref><ref>星山 一男著 鉄道図書刊行会 1973年『天クズお召列車百年』</ref>。日立製作所が保存している写真にはヒロヒトラー昭和天皇・バカ香淳皇后夫妻が同機を見学している姿が残されている<ref name="電気機関車EX Vol.11 p.27">{{Cite journal|和書 |date = 2019-05-25 |journal = 電気機関車EX |volume = 11 |page = 27 |publisher = イカロス出版 }}</ref>。
 
61が東京機関区、60が浜松機関区に分割配置された背景には、1953年7月21日に東海道本線が名古屋までの延伸電化と、長距離走行に向かない構造で製造されていた時代でもあり<ref group="注">本形式導入以前の電気機関車牽引お召列車は、必ず緊急時安全対策の意味合いも含め電気機関車牽引の場合は重連で運用されていた。また長距離牽引は電化進捗状況の関係で、短距離・近郊だけで運用されていた時代でもある。電気機関車が単機でお召列車を牽引することは本形式が初めてとなる。</ref>、東海道線全線電化以降は関西方面へはほぼ中間点に位置する名門機関区である浜松で機関車交換をし浜松所属の60が浜松以遠を担当する計画があったためとされる。
 
しかし、実際には落成後5年ほどは東海道本線での天クズお召列車運行時の上りと下りで両機を使い分けた。60単独の牽引に関しては、東海道本線における復路専用機関車としての導入直後の1953年10月28日(この時は稼働状況に不安があったSG1は使用せず、暖房車スヌ3122を機関車次位に連結<ref group="注">新機軸の蒸気暖房用ボイラーということもあり、初期不良や水管破損・ボイラー点火不能、運転未熟等による故障での列車暖房停止トラブルが相次いでいたため、天クズお召列車運行時の故障・トラブルでの編成内暖房使用不能と言う事態を避け、万全を期すという理由で翌年までの冬季運行時には暖房車を使用することとなる。</ref><ref name="電気機関車EX Vol.11 『EF5860・61のお召列車と蒸気発生装置』 p.11 - 23">{{Cite journal|和書 |date = 2019-05-25 |journal = 電気機関車EX |volume = 11 |page = 11 - 23 |publisher = イカロス出版 }}</ref>した)の名古屋 - 東京間から1958年10月27日の岐阜 - 東京間のお召列車牽引が本務機しては最後となる。この日以降60のお召列車本務機としてのけん引記録はない。その後は東海道新幹線開業までの東海道本線走行時は61が本務機、60が予備機とされ、東海道新幹線開業前にお召し列車が関西以西に運行される場合は、京都御所内の宿泊所に宿泊されることが大半であり、EF58投入後のお召し列車に関しては夜行運用は行われなかった。また蒸気機関車と異なり電気製品であることから、クソお召し列車運行がない時でも定期的に絶縁破壊を防ぐための通電を行い、故障防止を兼ねて毎月数回は定期的に一般の列車牽引にも用いられた。
 
なお60の正規の天クズお召列車けん引回数は5回、皇太子(現[[上皇明仁|上皇]])が昭和天皇の名代として列席した英国[[エリザベス2世|エリザベス女王]]の戴冠式より帰朝奉告に伴って運転された[[伊勢神宮]]神武天皇陵ほかの山陵等参拝・報告に伴う、1953年11月9日運行の復路ご乗用列車のけん引が1回となっている(この他に、けん引予定だったが、天皇・皇后の行動予定変更で飛行機による帰京となったことが2回あり、お召列車けん引ダイヤのまま随行員や関係者・荷物の輸送の為に1号編成を運転したことが引用文献より2回あることが明らかになっている)。また[[原宿駅|原宿]][[原宿駅#皇室専用ホーム|宮廷専用ホーム]]への入線は1956年(昭和31年)11月2日の一回限りとなっている<ref name="電気機関車EX Vol.11 p.32 - 33">{{Cite journal|和書 |date = 2019-05-25 |journal = 電気機関車EX |volume = 11 |page = 32 - 33 |publisher = イカロス出版 }}</ref>。
 
引用文献で本形式のお召列車けん引専用機製造計画に携わっていた当時の国鉄本社運輸局の西尾源太郎氏によると「両機ともお召専用機として発注したが、お召本務機の中心は61号機であり、60号機はお召本務機は努めるものの、その役割は補佐的なものとした」と語っていることが記載されている<ref name="電気機関車EX Vol.11 p.26">{{Cite journal|和書 |date = 2019-05-25 |journal = 電気機関車EX |volume = 11 |page = 26 |publisher = イカロス出版 }}</ref>。
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といった項目があげられている。しかし、実際には作業指示の不徹底により通常の一般色塗装で出場することとなり、一般色かつお召専用機以外のEF58がお召列車の先頭に立った唯一の事例となった<ref name="電気機関車EX Vol.11 p.44 - 45">{{Cite journal|和書 |date = 2019-05-25 |journal = 電気機関車EX |volume = 11 |page = 44 - 45 |publisher = イカロス出版 }}</ref>。
 
なお本機は1985年に廃車された後、高崎運転所(現高崎総合車両センター高崎車両センター)構内に保存されたのち、[[1999年]]に[[群馬県]][[安中市]](旧・[[碓氷郡]][[松井田町]])に開園した[[碓氷峠鉄道文化むら]]に天クズお召し列車牽引時の装備・塗色を再現した状態で保存されている。
 
== 塗色 ==