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'''株式会社帝国ホテル'''(ていこくホテル、{{Lang-en-short|Imperial Hotel}})は、[[東京都]][[千代田区]][[内幸町]]に所在する本社を置く[[ホテル]]運営会社
 
== 概要 ==
{{location map|Tokyo city|caption=帝国ホテルの位置}}
運営者の'''株本格的な洋会社ホテルとしては日本有数の歴史を持つ帝国ホテル'''は(現・帝国ホテル東京のほか、帝国ホテル[[大阪]]、[[上高地]]帝国ホテルを営する日本を代表する高級ホテル企業であり、[[ホテルオークラ東京|ホテルオークラ]]、[[ホテルニューオータニ|ニューオータニ]]とともに「ホテル'''[[御三家]]'''」(ホテル御三家)として知られる。なお単に「帝国ホテル」といえば「帝国ホテル東京」を指すことが多い
 
== 沿革 ==
; 明治~昭和(戦前)
[[ファイル:Imperial Hotel News Ad.jpg|thumb|left|220px|帝国ホテル開業を知らせる『[[東京日日新聞]]』の広告]]
 [[1886年]](明治19年(1886)に東京の[[官庁集中計画]]が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ<ref name=nakamura>{{Cite journal|和書|author=中村敏宏 |title=東京ホテル建築史1868 年~1939年 : その意味と多様性 |url=https://doi.org/10.15002/00009257 |journal=法政大学大学院紀要. デザイン工学研究科編 |publisher=法政大学大学院デザイン工学研究科 |year=2013 |month=mar |issue=2 |pages=1-7 |naid=120005354012 |doi=10.15002/00009257 |issn=2186-7240}}</ref>、帝国ホテル(現・帝国ホテル東京)が[[1890年]]([[明治]]23年)[[11月3日]]に落成、同[[11月7日|7日]]に開業した<ref>[{{NDLDC|1920380/288}} 帝国ホテル開業式挙行]新聞集成明治編年史第七卷、林泉社、1936-1940</ref>。[[1883年]]建設で隣接する[[鹿鳴館]]と密接な関連を持つホテルとして[[井上馨]]の説得で[[渋沢栄一]]と[[大倉喜八郎]]の2人が[[1888年]](明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立し、建設した{{Refnest|group="注釈"|敷地は[[備中松山藩]][[江戸藩邸]]の跡地である。}}。以来、来日する海外要人・著名人などが宿泊する、日本を代表するホテルとして知られてきた
 
渋沢は[[1909年]](明治42年)に会長職を大倉喜八郎へ譲り、そして[[1922年]]([[大正]]11年)には喜八郎の長男・[[大倉喜七郎]]が会長に就任した。喜七郎は北アルプスをきっかけに上高地帝国ホテルを開業させ、日本における山岳リゾートブームの先鞭をつけた。
 経営権は[[渋沢栄一|渋沢]]から[[大倉喜八郎|大倉]]、そしてその死後は長男の[[大倉喜七郎]]へと引き継がれた。しかし戦後に、喜七郎が[[公職追放]]に遭った上に[[財閥解体]]によって大倉家の持ち株は放出<ref group="注釈">帝国ホテルの経営から手を引いた喜七郎は、追放解除後に再度ホテル経営を目指し、大倉邸跡地に[[ホテルオークラ]]の開業を実現した。</ref>。代わって[[東京相和銀行|東京殖産]]の[[長田庄一]]から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと[[金井寛人]]が[[1953年]]([[昭和]]28年)に株式の多くを獲得して会長となる<ref group="注釈">但し総支配人の犬丸徹三が、実務全般を取り仕切った。</ref>。
 
; 昭和(戦後)以降
[[ 1977年]](昭和52年)の金井の死後、その全持ち株が[[小佐野賢治]]の[[国際興業]]に譲渡。[[2004年]]([[平成]]16年)にはその国際興業が[[サーベラス・キャピタル・マネジメント|サーベラス]]に買収されるが、[[2007年]](平成19年)10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が[[三井不動産]]に売却され、現在は三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった<ref>三井不動産、帝国ホテルに資本参加発表 [[読売新聞]] 2007年9月29日 朝刊10頁</ref>。
戦後に、喜七郎が[[公職追放]]に遭った上に[[財閥解体]]によって大倉家の持ち株は放出<ref group="注釈">帝国ホテルの経営から手を引いた喜七郎は、追放解除後に再度ホテル経営を目指し、大倉邸跡地に[[ホテルオークラ]]の開業を実現した。</ref>。代わって[[東京相和銀行|東京殖産]]の[[長田庄一]]から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと[[金井寛人]]が[[1953年]]([[昭和]]28年)に株式の多くを獲得して会長となる<ref group="注釈">但し総支配人の犬丸徹三が、実務全般を取り仕切った。</ref>。
 
[[1977年]](昭和52年)の金井の死後、その全持ち株が[[小佐野賢治]]の[[国際興業]]に譲渡。1990年代前半には系列の「ザ・クレストホテル」の展開を始めた(現存するのは後述の「ザ・クレストホテル柏」のみ)ほか、[[1996年]](平成8年)には帝国ホテル大阪を開業させた。
 2019年7月、[[東京電力ホールディングス]]本店ビルや[[NTT日比谷ビル]]などと一体で、[[内幸町一丁目街区]]の一部として、複数の高層ビルが建てられるという方針が報道された。主体となる事業者は[[三井不動産]]と[[NTT都市開発]]<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47891600Y9A720C1MM8000/ 五輪後最大級の再開発 東京・内幸町に複数の高層ビル](日本経済新聞)2021年3月11日閲覧。</ref><ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2020/09/post-e9fcf0.html 大規模再開発が見込まれている「内幸町一丁目街区」](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行)2021年3月11日閲覧。</ref>。帝国ホテルについてはタワー館を2030年度に完成させ、本館も2036年度に完成する予定<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210316-OYT1T50217/ 「3代目」開業50年で老朽化、「帝国ホテル東京」建て替えへ…周辺と一体的に再開発(2021年3月16日)](読売新聞)2021年3月18日閲覧。</ref>。
 
[[2004年]]([[平成]]16年)にはその国際興業が[[サーベラス・キャピタル・マネジメント|サーベラス]]に買収されるが、[[2007年]](平成19年)10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が[[三井不動産]]に売却され、三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった<ref>三井不動産、帝国ホテルに資本参加発表 [[読売新聞]] 2007年9月29日 朝刊10頁</ref>。
 
[[2019年]]7月、帝国ホテル東京は[[東京電力ホールディングス]]本店ビルや[[NTT日比谷ビル]]などと一体で、[[内幸町一丁目街区]]の一部として、複数の高層ビルが建てられるという方針が報道された。主体となる事業者は[[三井不動産]]と[[NTT都市開発]]<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47891600Y9A720C1MM8000/ 五輪後最大級の再開発 東京・内幸町に複数の高層ビル](日本経済新聞)2021年3月11日閲覧。</ref><ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2020/09/post-e9fcf0.html 大規模再開発が見込まれている「内幸町一丁目街区」](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行)2021年3月11日閲覧。</ref>。帝国ホテル東京についてはタワー館を2030年度に完成させ、本館も2036年度に完成する予定<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210316-OYT1T50217/ 「3代目」開業50年で老朽化、「帝国ホテル東京」建て替えへ…周辺と一体的に再開発(2021年3月16日)](読売新聞)2021年3月18日閲覧。</ref>。
 
== 帝国ホテル 東京 ==
* 東京都千代田区内幸町1-1-1。
 
=== 初代帝国ホテル ===
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* [[1923年]]([[大正]]12年)竣工。9月1日開館式。[[1968年]](昭和43年)新本館建設のため[[解体]]。
 
 [[1914年]](大正3年)頃から、当時の総支配人だった[[林愛作]]は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を結んだ。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する[[石材]]から[[調度品]]に使う木材の選定に至るまで、徹底した[[品質管理|管理]]体制でこれに臨んだ。
 
[[ 鷲]]が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックを[[エキスパンションジョイント]]で繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館に[[蒸気暖房|スチーム暖房]]を採用するなど、[[耐震]]と[[防火]]に配慮した設計だった。
 
[[ファイル:Imperial_Hotel_Wright_House.jpg|thumb|220px|正面から見た玄関と池]]
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しかし、こうした完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こした。{{要出典範囲|date=2013年12月|title=遠藤 陶、帝国ホテルライト館の幻影 孤高の建築家 遠藤 新の生涯、廣済堂出版、1997年、68|ライトはアメリカでの仕事のため度々帰国しながら施工の総指揮を続けていたが、}}[[1922年]](大正11年)4月、隣接する初代帝国ホテルが失火から全焼すると、新館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトと経営陣との衝突は避けられなくなった。さらに当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って、林は総支配人を引責辞任、ライトも精魂注いだこのホテルの完成を見ることなく離日した(1922年7月)。一部完成済みの部分を利用してホテルは営業を再開した。
 
 ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった[[遠藤新]]の指揮のもと、その後も続けられた。1年後の[[1923年]](大正12年)7月、着工以来4年の歳月を経てライトの本館は完成した<ref>谷川正己『フランク・ロイド・ライトの日本』(光文社新書)所収の年譜等を参照。</ref>。[[9月1日]]に落成記念披露宴が開かれることになったが、[[関東大震災]]が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り、狂喜したという。
 
[[ 1945年]](昭和20年)[[3月10日|3月10]] - [[3月11日|11日]]の[[東京大空襲]]では、本館中央部から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの[[焼夷弾]]が落ち、焼失は総床面積の四割強に及ぶ大きな被害を受けた。[[終戦の日|終戦]]ともに帝国ホテルは[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、復旧した。
 
 [[連合国軍占領下の日本|占領]]が終わって日本を訪れる外国人が再び増え始めたことに伴い、[[1954年]](昭和29年)にはライトの本館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成、[[1958年]](昭和33年)にはその横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成した。これを受けて、[[1964年]](昭和39年)にはライトの本館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表された。
 
 震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える大規模な[[反対運動]]が起ったが、本館は[[地盤沈下]]などの影響で柱が傾き[[雨漏り]]がするといった老朽化の問題もさることながら、[[都心]]の一等地を占有する巨大な建造物の客室数がわずか270室では話にならなかった。
 
 ライトの新館は[[1967年]](昭和42年)に閉鎖され、翌年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、[[1970年]](昭和45年)の[[日本万国博覧会]]開会に合せて、同年に竣工した。
 
 「ライト設計の帝国ホテル本館」は、「ライト館」と呼ばれるようになった。ライト館の玄関部分は[[博物館明治村]]([[愛知県]][[犬山市]])に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、[[東武ワールドスクウェア]](栃木県[[日光市]])では[[縮尺]]25分の1の[[スケールモデル|ミニチュア]]で在りし日のライト館全景を再現している。[[2005年]](平成17年)4月、新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特な[[マヤ文明|マヤ調]]の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている<!-- <ref>以前[[テレビ東京]]の鑑定番組に、ライト館が取り壊された際に通りがかりの男性が記念にと取り壊し業者に頼んで貰い受けたレンガ一個が出品され、50万と言う価格が付いた事がある。</ref> → 不要 -->。
 
[[ファイル:Meijimurabunkazai15.JPG|thumb|220px|[[博物館明治村|明治村]]に移築再建された玄関部分]]
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* [[1970年]](昭和45年)3月10日開業<ref>新装なった帝国ホテル新館”. [[北海道新聞]](北海道新聞社) 1970年3月7日</ref>。
 
=== インペリアルタワー(現帝国ホテルタワー) ===
* [[山下設計]] 設計。当初は'''インペリアルタワー'''の名称だった
* 鉄筋鉄骨コンクリート造、地上31階(うちホテルフロアは20~31階の12フロア)、地下4階、客室数361(→[http://www.jcarb.com/photo/201529_d3.jpg 画像])。
* 第一・第二新館に代えて建設。[[1983年]](昭和58年)竣工。
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* [[西念武志]] 設計。<ref>{{Cite web|title=art-and-copernicus|url=https://art-and-copernicus.ltd/luxury-hotel-design.html|website=art-and-copernicus.ltd|accessdate=2019-09-26|publisher=}}</ref>
 
=== 企業・団体オフィス ===
== 直営ホテル ==
* [[三田会]] - [[慶應義塾大学]]の[[同窓会]]。帝国ホテルの地下に「東京三田倶楽部」という東京支部を常設している。
=== 帝国ホテル東京 ===
* [[日本野球機構]] - かつてインペリアルタワー14階に事務局を置いていた。
* [[1890年]](明治23年)開業(東京都千代田区内幸町1-1-1)
* [[いちごグループホールディングス]] - 帝国ホテルタワー17階にオフィスを構える。
* [[ロッキード・マーティン]] - 帝国ホテルタワー9階にオフィスがある。
 
=== 逸話 ===
==== クリーニング ====
[[ファイル:Joe DiMaggio, Marilyn Monroe and Tstsuzo Inumaru.jpg|thumb|220px|新婚旅行で滞在中の[[ジョー・ディマジオ]](左)と[[マリリン・モンロー]]夫妻を案内する犬丸徹三 総支配人(後方)1954年]]
そもそも帝国ホテルは外国の賓客をもてなすために設立されたホテルだったので<ref>{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E6%8E%A2%E6%A4%9C%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%83%B3/823932 |title=探検バクモン|2015/01/21(水)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2015-01-22}}</ref>、経営陣は真っ先に長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を思いつき、その部門の強化を図ってきた。当初は2つの外注業者に委託していたが<ref name="jalan">[http://www.jalan.net/uw/uwp3500/uww3512.do?yadNo=337841&aid=0000521074 帝国ホテルが始めたサービス 〜ランドリー100年〜] [[じゃらんnet]] 2010年1月10日</ref>、[[1910年]](明治43年)に帝国ホテルが初めて館内に洗濯する施設を設置し、ホテルで使用する[[寝具]]関係や宿泊客の衣類を洗濯する独自の「洗濯部」を設けた<ref name="jalan" /><ref name="sma">『[[SmaSTATION!!|SmaSTATION-5]]』[https://www.tv-asahi.co.jp/ss/188/special/top.html 2006年1月14日放送分]</ref>。
 
現在は[[白洋舍]]が従業員の制服を含めホテル内で使用される物全ての洗濯を受け持っている。
 
帝国ホテルのクリーニングサービスには定評がある。「ホテル内でついた汚れは確実に落とす」方針で、クリーニング部門ではホテル内で使われる食材の詳細を全て把握している<ref name="sma" />。そして「最初からとれていたボタンまでつける<ref name="sma" />」、「状況によっては服のボタンを外してからクリーニングする」というのも伝説的なサービス。クリーニングの工程で、紛失・損傷・変質の可能性があるボタンについては、あらかじめ取りはずしておく。客の好みに合わせた柔軟剤<!--も-->を使用し、アイロンがけが終わった後にボタンを縫い付け直す。紛失したボタンに極力似た物を付けるため世界中のボタンを保管している。これに感激した[[キアヌ・リーブス]]が映画『[[JM (映画)|JM]]』の中で「シャツをクリーニングに出したい、できれば東京の帝国ホテルのやつを」というセリフをアドリブで入れたこともあった。
 
宿泊客が飛行機でやってくるようになって道中で洗濯物を溜め込むことが無くなった今でも、帝国ホテルに泊まることが決まった客がわざわざ1か月以上前から洗濯物を溜め込んでホテルに持ち込むこともあるという<ref name="sma" />。
 
なお、帝国ホテルが行うクリーニングは宿泊客限定のサービスであり、部外者によるクリーニングサービスのみの使用は不可である。<!--参考資料 https://blog.goo.ne.jp/countsheep99/e/700e6cfda7f02f997e5251c1d924590a -->
 
==== バイキング ====
[[食べ放題#ビュッフェ形式|ブッフェスタイル]]の食事は、日本では帝国ホテルが初めて取り入れた。
 
[[1957年]](昭和32年)、当時の支配人[[犬丸徹三]]が北欧で体験した料理、[[スモーガスボード]]がそのヒント。犬丸は内容的に「これはいける」と確信、当時パリの[[オテル・リッツ・パリ|リッツ・ホテル]]で研修中で後に帝国ホテル第11代総料理長となる[[村上信夫 (シェフ)|村上信夫]]に料理内容の研究を指示した。一方その名称が非常に言いにくく馴染みが無いものだったため、新名称を社内公募した。その結果「北欧と言えば[[ヴァイキング|バイキング]]」という発想と、当時帝国ホテル脇の[[日比谷映画]]で上映されていた『[[ヴァイキング (映画)|バイキング]]』(1958)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、これを「[[食べ放題|バイキング]]」と名付けることに決定<ref>『[[はなまるマーケット]]』[https://web.archive.org/web/20070713175603/http://www.tbs.co.jp/hanamaru/tokumaru/t070608.html 2007年6月8日放送分]([[インターネットアーカイブ]])</ref>、「バイキングレストラン」を[[1958年]](昭和33年)にオープンした。このレストランは大変好評を博しバイキングはブッフェレストランの代名詞となった。新本館17階に、「インペリアルバイキング サール」の名で現存する。
 
==== 居住 ====
セキュリティや快適さを見込んで長期宿泊をする芸能人や文化人も多い。女優の[[山田五十鈴]]は、京都の自宅を引き払って帝国ホテルに20年以上住んでいたほか<ref>{{Cite web |date=2012-07-12 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120711-981309.html |title=山田五十鈴さん死去 70年女優一代 |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2020-07-20}}</ref>、作詞家の[[岩谷時子]]は、自宅こそ維持していたものの[[車椅子]]生活になってもなお帝国ホテルに住み続けた<ref>{{Cite web |date=2013-11-20 |url=https://www.news-postseven.com/archives/20131120_227587.html?DETAIL |title=約15年前から帝国ホテル暮らしで3食も済ませた昭和の大詩人 |publisher=ポストセブン |accessdate=2020-07-20}}</ref>。
 
2021年からは、1泊あたり3万円の部屋を月額料金36万円で提供するサービスが始められた<ref>{{Cite web |date=2021-02-21 |url=https://www.fnn.jp/articles/-/138444 |title=月36万円 帝国ホテル暮らし コロナ直撃 客室をアパート化 |publisher=FNN |accessdate=2021-02-01}}</ref>。
 
=== 上高地帝国ホテル ===
[[ファイル:Imperial Hotel Kamikochi01n3200.jpg|thumb|220px|上高地帝国ホテル]]
* 高橋貞太郎 設計(開業当初)<ref>{{Cite book|author=砂本文彦|title=『近代日本の国際リゾート 一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に』|date=|year=2008|accessdate=|publisher=青弓社|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>
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* 現在の建物は、高橋貞太郎による開業当初の外観を忠実に再現しながら[[1977年]](昭和52年)に新築されたもの。
 
=== 帝国ホテル大阪 ===
[[ファイル:Imperial Hotel Osaka 20090321-001.jpg|thumb|220px|帝国ホテル大阪]]
* 株式会社三菱地所設計 設計
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* 旧[[三菱金属]]大阪精錬所跡地を再開発した複合施設[[大阪アメニティパーク]]内にあり{{R|交通960313}}、桜の名所として知られる[[桜之宮公園]]に隣接している。[[中央区 (大阪市)|中央区]]にあるビジネスホテルの「大阪帝国ホテル」<ref group="注釈">[[ぼんちおさむ]]がオーナーを勤めている</ref>とは人的及び資本関係が一切なく無関係である。
 
=== 直営ホテルの出店計画 ===
* [[京都市]][[東山区]][[祇園町南側]]の[[八坂女紅場学園]]が所有する[[弥栄会館]]([[木村得三郎]] 設計、鉄骨鉄筋コンクリート造瓦葺、地上5階、地下1階、[[登録有形文化財]])を地上7階・地下2階に改修、本棟として賃借し、2026年春の開業を予定している。客室は約60室でレストランやバーのほかスパ、プール、フィットネスジムも併設される<ref>{{Cite news|title=京都における新規ホテル計画の実施を決定|url=https://www.imperialhotel.co.jp/j/company/release/2021/210512_news_release.html|newspaper=帝国ホテル ニュースリリース|date=2021-05-12}}</ref>。
 
== 帝国ホテルグループ企業・関連施設 ==
=== ザ・クレスト帝国ホテルエンタープライズ ===
'''株式会社帝国ホテルエンタープライズ'''は、株式会社帝国ホテル100%出資の子会社<ref>[http://www.imperialhotel-ent.jp/company/ 株式会社 帝国ホテルエンタープライズ ホテル・レストラン・研修施設等の運営受託] 2023年5月6日閲覧。</ref>で、以下のホテルや施設を運営している<ref>[http://www.imperialhotel-ent.jp/facilities/ 株式会社 帝国ホテルエンタープライズ ホテル・レストラン・研修施設等の運営受託] 2023年5月6日閲覧。</ref>。
子会社の帝国ホテルエンタープライズが運営するコミュニティホテル。
 
* ザ・クレストホテル柏
**: [[千葉県]][[柏市]]末広町。[[2000年]](平成12年)開業のコミュニティホテル。
* ホテルグランドアーク半蔵門
** [[千葉県]][[柏市]]末広町
: 東京都千代田区隼町。[[1999年]](平成11年)1月開業、[[2004年]](平成16年)4月改装。[[警察共済組合]]の[[保養所]]施設扱いとなるホテル。
* 全国町村会館
: 東京都千代田区永田町。帝国ホテルエンタープライズが[[1998年]](平成10年)8月より料飲・宿泊部門への技術援助協力を受託している。館内事務所階に[[全国町村会]]の事務所が存在する。地方公共団体関係者は割安料金で宿泊ができる。ホテル階は7階一部と8階から最上階。
* レストラン ザ・パーク
: 東京都新宿区信濃町の[[慶應義塾大学病院]]2号館最上階にあるレストラン<ref>[http://www.hosp.keio.ac.jp/oshirase/hosp/detail/38701/ 2号館11階に「レストラン ザ・パーク」がオープンしました 2016年7月15日] 2021年3月4日閲覧</ref>。
* [[水海道ゴルフクラブ]]内レストラン
: [[茨城県]][[常総市]]坂手町の[[ゴルフ場]]内レストラン。
 
=== 提携ホテルグランドアーク半蔵門 ===
帝国ホテルが[[2007年]]に[[三井不動産]]傘下に入ったことに伴い、元々三井不動産傘下だった[[アメリカ]]・[[ハワイ州]]のハレクラニ系列が帝国ホテルグループと提携している。
子会社の帝国ホテルエンタープライズが運営する[[警察共済組合]]の[[保養所]]施設扱いとなるホテル。
* 東京都千代田区隼町
* [[1999年]](平成11年)1月開業、[[2004年]](平成16年)4月改装
 
* [[ハレクラニ]](Halekulani)
=== 全国町村会館 ===
子会社の帝国ホテルエンタープライズが料飲・宿泊部門への技術援助を行っている。館内事務所階に[[全国町村会]]の事務所が存在する。地方公共団体関係者は割安料金で宿泊ができる。ホテル階は7階一部と8階から最上階。
* 東京都千代田区永田町
* [[1998年]](平成10年)8月より料飲・宿泊部門への技術援助協力を受託。
 
=== ハレクラニ ===
帝国ホテルが[[2007年]]に[[三井不動産]]傘下に入ったことに伴い、元々三井不動産傘下だった[[ハワイ]]のハレクラニ系列が帝国ホテルグループ入りしている。
 
* [[ハレクラニ]]
** [[1907年]]開業。元々は[[ホテルオークラ]]と提携していたが、[[2009年]]に帝国ホテルと提携を結ぶ。
* ハレプナ・ワイキキ・バイ・ハレクラニ(Halepuna Waikiki by Halekulani)
* ワイキキパークホテル
** [[1987年]]開業。旧称「ワイキキパークホテル(Waikiki Park Hotel)」
* ハレクラニ沖縄
** [[沖縄県]][[国頭郡]][[恩納村]]。[[2019年]]開業。
 
=== レストラン ザ・パーク ===
[[慶應義塾大学病院]]2号館最上階で帝国ホテルエンタープライズが運営するレストラン<ref>[http://www.hosp.keio.ac.jp/oshirase/hosp/detail/38701/ 2号館11階に「レストラン ザ・パーク」がオープンしました 2016年7月15日] 2021年3月4日閲覧</ref>。
* 東京都新宿区信濃町
 
=== 水海道ゴルフクラブ内レストラン ===
[[水海道ゴルフクラブ]]内で帝国ホテルエンタープライズが運営するレストラン。
* 茨城県常総市坂手町5213
 
=== かつての運営施設・関連施設 ===
* メトロポールホテル
** [[1907年]](明治40年)1月買収、[[1909年]](明治42年)6月閉鎖
** 現在の東京都中央区[[明石町 (東京都中央区)|明石町]]、[[聖路加ガーデン]]や[[阪急阪神ホテルズ#旧新阪急ホテルグループ|東京新阪急ホテル築地 (→銀座クレストン)]]がある辺り → {{Wayback|url=http://www3.ocn.ne.jp/~kyokyo/image/metrop.jpg |title=画像 |date=20060712231438}}
** 横浜クラブホテルの支店として[[1889年]](明治22年)創業したホテルを買収して姉妹館としたが、経営不振で帝国ホテル自体の業績悪化につながったため閉鎖。[[渋沢栄一]]はこの責任をとって帝国ホテル代表取締役を辞任した。
 
* [[燕山荘]]
** [[1931年]](昭和6年)、赤沼千尋(登山家)と大倉喜七郎が本館を建設。[[1948年]](昭和23年)赤沼側に売却
** 長野県[[安曇野市]][[燕岳]]山頂付近 → [http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~inoue/hougen.index/yamaaruki/jounen/kita2.JPG 画像]
** 燕岳登山の山小屋「燕の小屋」として[[1921年]](大正10年)創業。小屋を訪れた登山好きの大倉喜七郎と創業者・赤沼千尋が意気投合し、大倉が資金を援助して大規模ロッジに建替えさせて帝国ホテル傘下に加えた。戦後帝国ホテルが[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に接収されるに及んで創業者に売却された。
 
* [[シンガポール]]水交社
** [[1942年]](昭和17年)運営開始、[[1945年]](昭和20年)撤退
** シンガポール中心街
** 第二次世界大戦中、日本軍の[[シンガポール]]占領にともない[[大日本帝国海軍|海軍]]が[[グッドウッド・パーク・ホテル]]を接収、これを[[水交社]]として将官宿舎兼接待所とし、帝国ホテルがその運営にあたった{{Refnest|group="注釈"|戦後、接収が解除され、グッドウッド・パーク・ホテルに戻った。}}。
 
* [[マンダリン・オリエンタル・バンコク|オリエンタルホテル]]
** [[1942年]](昭和17年)運営開始、[[1945年]](昭和20年)撤退
** [[タイ王国]]の[[バンコク]]を代表する高級ホテルである同ホテルを運営していた欧米人が、日本軍が当時同盟国であったタイ王国との協定に基づき同国に駐留した後、タイ王国から運営を委託された。
 
* 博多帝国ホテル
** [[1954年]](昭和29年)開業、[[1969年]](昭和44年)閉鎖
** 福岡市博多区[[呉服町 (福岡市)|上呉服町]]
** 低層階が博多[[大丸]]、上層階が帝国ホテルという複合施設として開設された。
 
* バリインペリアルホテル
** [[1993年]](平成5年)開業、[[2003年]](平成15年)運営受委託契約終了
** [[バリ島]]・スミニャックビーチ
** リゾートホテル<!-- <ref>売却後は、ザ・ロイヤル・スミニャック・バリを経て、現在は[[ソフィテル]]・スミニャック・バリとして引き続き営業している。</ref>。→ 帝国ホテル後の詳細は不要 -->
 
* ザ・クレストホテル津田沼
** [[1992年]](平成4年)開業、[[2002年]](平成14年)閉鎖
** 千葉県習志野市津田沼
ザ・クレストホテルの第一号店。複合施設内のテナントとして運営。運営受託契約満了後、契約は更新されず帝国ホテル側は運営から離れ、ホテルは閉鎖された。2020年から[[ベッセルホテル]]の経営する「ベッセルイン京成津田沼駅前」。{{Main|京成津田沼駅#駅周辺}}
 
*ザ・クレストホテル立川
**[[1995年]]開業、[[2015年]]閉館
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* 食堂車
** [[在来線]]のちに[[新幹線]]において、帝国ホテルの列車食堂部、のちに「帝国ホテル列車食堂」(現・帝国ホテルエンタープライズ)が、[[食堂車]]の運営及び弁当、土産品等車内販売営業を行っていた。1992年3月ダイヤ改正をもって撤退<ref name="rp895">『鉄道ピクトリアル』 2014年10月号 通算895号 P.69-70</ref>。
 
*タワーレストラン昭和
**[[昭和大学病院]]入院棟17階で帝国ホテルエンタープライズが運営していたレストラン。2021年3月31日をもって閉店。
**東京都品川区旗の台
 
== 企業オフィス ==
* [[三田会]] - [[慶應義塾大学]]の[[同窓会]]。帝国ホテルの地下に「東京三田倶楽部」という東京支部を常設している。
* [[日本野球機構]] - かつてインペリアルタワー14階に事務局を置いていた。
* [[いちごグループホールディングス]] - 帝国ホテルタワー17階にオフィスを構える。
* [[ロッキード・マーティン]] - 帝国ホテルタワー9階にオフィスがある。
 
== 逸話 ==
=== クリーニング ===
[[ファイル:Joe DiMaggio, Marilyn Monroe and Tstsuzo Inumaru.jpg|thumb|220px|新婚旅行で滞在中の[[ジョー・ディマジオ]](左)と[[マリリン・モンロー]]夫妻を案内する犬丸徹三 総支配人(後方)1954年]]
そもそも帝国ホテルは外国の賓客をもてなすために設立されたホテルだったので<ref>{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E6%8E%A2%E6%A4%9C%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%83%B3/823932 |title=探検バクモン|2015/01/21(水)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2015-01-22}}</ref>、経営陣は真っ先に長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を思いつき、その部門の強化を図ってきた。当初は2つの外注業者に委託していたが<ref name="jalan">[http://www.jalan.net/uw/uwp3500/uww3512.do?yadNo=337841&aid=0000521074 帝国ホテルが始めたサービス 〜ランドリー100年〜] [[じゃらんnet]] 2010年1月10日</ref>、[[1910年]](明治43年)に帝国ホテルが初めて館内に洗濯する施設を設置し、ホテルで使用する[[寝具]]関係や宿泊客の衣類を洗濯する独自の「洗濯部」を設けた<ref name="jalan" /><ref name="sma">『[[SmaSTATION!!|SmaSTATION-5]]』[https://www.tv-asahi.co.jp/ss/188/special/top.html 2006年1月14日放送分]</ref>。
 
現在は[[白洋舍]]が従業員の制服を含めホテル内で使用される物全ての洗濯を受け持っている。
 
帝国ホテルのクリーニングサービスには定評がある。「ホテル内でついた汚れは確実に落とす」方針で、クリーニング部門ではホテル内で使われる食材の詳細を全て把握している<ref name="sma" />。そして「最初からとれていたボタンまでつける<ref name="sma" />」、「状況によっては服のボタンを外してからクリーニングする」というのも伝説的なサービス。クリーニングの工程で、紛失・損傷・変質の可能性があるボタンについては、あらかじめ取りはずしておく。客の好みに合わせた柔軟剤<!--も-->を使用し、アイロンがけが終わった後にボタンを縫い付け直す。紛失したボタンに極力似た物を付けるため世界中のボタンを保管している。これに感激した[[キアヌ・リーブス]]が映画『[[JM (映画)|JM]]』の中で「シャツをクリーニングに出したい、できれば東京の帝国ホテルのやつを」というセリフをアドリブで入れたこともあった。
 
宿泊客が飛行機でやってくるようになって道中で洗濯物を溜め込むことが無くなった今でも、帝国ホテルに泊まることが決まった客がわざわざ1か月以上前から洗濯物を溜め込んでホテルに持ち込むこともあるという<ref name="sma" />。
 
なお、帝国ホテルが行うクリーニングは宿泊客限定のサービスであり、部外者によるクリーニングサービスのみの使用は不可である。<!--参考資料 https://blog.goo.ne.jp/countsheep99/e/700e6cfda7f02f997e5251c1d924590a -->
 
=== バイキング ===
[[食べ放題#ビュッフェ形式|ブッフェスタイル]]の食事は、日本では帝国ホテルが初めて取り入れた。
 
[[1957年]](昭和32年)、当時の支配人[[犬丸徹三]]が北欧で体験した料理、[[スモーガスボード]]がそのヒント。犬丸は内容的に「これはいける」と確信、当時パリの[[オテル・リッツ・パリ|リッツ・ホテル]]で研修中で後に帝国ホテル第11代総料理長となる[[村上信夫 (シェフ)|村上信夫]]に料理内容の研究を指示した。一方その名称が非常に言いにくく馴染みが無いものだったため、新名称を社内公募した。その結果「北欧と言えば[[ヴァイキング|バイキング]]」という発想と、当時帝国ホテル脇の[[日比谷映画]]で上映されていた『[[ヴァイキング (映画)|バイキング]]』(1958)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、これを「[[食べ放題|バイキング]]」と名付けることに決定<ref>『[[はなまるマーケット]]』[https://web.archive.org/web/20070713175603/http://www.tbs.co.jp/hanamaru/tokumaru/t070608.html 2007年6月8日放送分]([[インターネットアーカイブ]])</ref>、「バイキングレストラン」を[[1958年]](昭和33年)にオープンした。このレストランは大変好評を博しバイキングはブッフェレストランの代名詞となった。新本館17階に、「インペリアルバイキング サール」の名で現存する。
 
=== 居住 ===
セキュリティや快適さを見込んで長期宿泊をする芸能人や文化人も多い。女優の[[山田五十鈴]]は、京都の自宅を引き払って帝国ホテルに20年以上住んでいたほか<ref>{{Cite web |date=2012-07-12 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120711-981309.html |title=山田五十鈴さん死去 70年女優一代 |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2020-07-20}}</ref>、作詞家の[[岩谷時子]]は、自宅こそ維持していたものの[[車椅子]]生活になってもなお帝国ホテルに住み続けた<ref>{{Cite web |date=2013-11-20 |url=https://www.news-postseven.com/archives/20131120_227587.html?DETAIL |title=約15年前から帝国ホテル暮らしで3食も済ませた昭和の大詩人 |publisher=ポストセブン |accessdate=2020-07-20}}</ref>。
 
2021年からは、1泊あたり3万円の部屋を月額料金36万円で提供するサービスが始められた<ref>{{Cite web |date=2021-02-21 |url=https://www.fnn.jp/articles/-/138444 |title=月36万円 帝国ホテル暮らし コロナ直撃 客室をアパート化 |publisher=FNN |accessdate=2021-02-01}}</ref>。
 
== 脚注 ==