「ウィンストン・チャーチル」の版間の差分
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「[[ヨーロッパ戦勝記念日|V-Eデー]]」と呼ばれたこの日は、1918年の第一次世界大戦終結時のようにビッグ・ベンが鳴り、人々は街に繰り出してお祭り騒ぎとなった。庶民院議員たちはみんなで[[ウェストミンスター寺院]]に参拝し、神に感謝を捧げた{{Sfn|河合|1998|p=298}}。チャーチルはジョージ6世ら王室メンバーとともにバッキンガム宮殿のバルコニーから観衆に手を振った後、保健省のバルコニーから群衆に「これは諸君の勝利である」と宣言し、皆で愛国歌「[[ルール・ブリタニア|ブリタニアよ、支配せよ]]」を熱唱した{{Sfn|山上|1960|p=211}}。
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「V-Eデー」によりアジアを除く戦前の大英帝国は全て戻り、新たに北アフリカ全域、[[レヴァント]]地方、イランがイギリス軍の占領下に置かれていた。地中海の支配権も戦前以上に強力にイギリスが握っていた。さらにイギリス軍はドイツとイタリアとオーストリアを分割占領していた。チャーチルはそれをもって大英帝国衰退論を否定し、「大英帝国はそのロマンティックな歴史上、いつの時代よりも強力になっている」と宣言した{{Sfn|モリス|2010|pp=255-256}}。
しかしそれは幻想だった。
さらに
勇ましい言葉で自国の力を誇示しながら、チャーチル自身も大戦中から自国の没落を肌で感じ取っていた。テヘラン会談の際に「我々が小国に堕ちたことを思い知らされた。会談にはロシアの大熊、アメリカの大牛、そしてその間にイギリスの哀れなロバが座っていた」と秘書に漏らしている{{Sfn|河合|1998|p=299}}。
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