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この鉄火巻はマグロを用いた江戸前寿司でありながら海苔で巻かれているので、食べるのに箸も要らず手も汚さない。通常おろし[[ワサビ|わさび]]も共に巻き込まれ、[[醤油]]をつけて食べるのが専らである。
 
元々は芝エビを使用した「鉄火寿司」と呼ばれるものが存在していることが西沢一鳳の『皇都午睡(ミヤコノヒルネ)』から判明している。
「鉄火巻」という名の由来には諸説がある。([[#語源]]を参照)
鉄火巻の名前の由来は 鉄火には活気みなぎる意から転じて博徒、そこから切り崩す、身を持ち崩すという意味があり、西沢一鳳の『皇都午睡(ミヤコノヒルネ)』には「江戸で味噌のなかに種々の加薬を入れたものを鉄火味噌というが、京大阪では、泥坊漬と称するのと同じものである」「芝蝦(しばえび) の身を煮て細末にし、すしの上にのせたる鉄火鮨というのは、身を崩しという謎なるべし」とある。芝蝦ならぬマグロの身を細かく切り崩すところから鉄火ずしの洒落を踏襲してマグロを鉄火というようになった。
 
このようにマグロを切り崩して鉄火というのはシャレで用いられたことが西沢一鳳の『皇都午睡(ミヤコノヒルネ)』によって記されたおり、熱い鉄の色や鉄火場で食べたことによるという説明は後付けである。 酢飯を丼に盛ってその上にマグロの赤身を乗せた料理は[[鉄火丼]]と呼ばれる。
 
== 歴史 ==
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** 鮪の身をその赤色から<ref name=":133" /><ref name=":183">{{Cite book|和書|title=子どもに伝えたい和の技術1 寿司|year=2014|publisher=株式会社文溪堂|page=19|author=和の技術を知る会著|month=10}}</ref>、あるいは、巻いた姿が熱した鉄の断面に見えることから「鉄火」と呼んだとする説<ref name=":03" /><ref name=":211" />。併せて[[山葵]]の辛さも表現しているとされることもある<ref name=":193">{{Cite book|和書|title=すしから見る日本 日本全国さまざまなすし|date=2015-10-25|year=2015|publisher=文研出版|page=33|author=川澄健監修}}</ref>。
* '''やくざ者に由来するとする説'''
** 握りずしが花開いたころに西沢一鳳は『皇都午睡』には、「芝蝦の身を煮て粉末にし、すしの上にのせたる鉄花鮓といふは身を崩しといふ謎なるべし」とあり<ref name=":93" /><ref>{{Cite book|和書|title=くいもの-食の語源と博物誌|date=2011-07-30|year=2011|publisher=勉誠出版株式会社|pages=17-18|author=小林祥次郎著}}</ref>、[[芝海老]]の身を崩したおぼろを、身を崩したやくざ者にかけてこの名がついたとしている<ref name=":203">{{Cite book|和書|title=日本すし紀行-巻きずしと稲荷と助六と-|date=2018-02-03|year=2018|publisher=株式会社旭屋出版|page=185|author=日比野光敏著}}</ref>。鮪の細巻き寿司も、細かく切り崩した鮪を使っていたことから<ref name=":73" /><ref name=":153" />、この洒落を踏襲したが判明してい<ref name=":93" /><ref name=":143" />。今でも、鮪の細巻き寿司の[[具材]](芯)に細かく刻んだ鮪を使っている店もある<ref name=":203" />。握りずし発祥の年代に書かれており、元々はこの意味であったと考えられる(熱した鉄や鉄火場は後付けである)
* '''賭場に由来するとする説'''
** [[博打]]を打ちながらでも食べやすいので賭場で好まれた<ref name=":111" /><ref name=":163" />、あるいは、そのために考案されたとする説<ref name=":83" /><ref name=":153" />。