「国鉄485系電車」の版間の差分

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改造工事を国鉄時代とJR各社により区分
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{{-}}
 
==国鉄時代の改造車==
特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。
 
=== 国鉄時代の改番を伴う改造車 ===
===クロ481形===
==== クロ481形50番台 ====
{{Double image aside|right|JR Kyusyu kuro481-51.jpg|185|JNR EC Tsc481-56.jpg|200|クロ481-51|クロ481-56<br>KE9形ジャンパ連結器装備後}}
;51 - 57
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|}
 
====サハ489形50(→250)・200番台 ====
[[File:JR EC Tsc481-301.jpg|thumb|200px|right|クロ481-301]]
;51・52→251・252
;301
1972年にサハ481形へ吹田工場で横軽協調装置を搭載する改造が施工されサハ489形50番台に改番されたが、試運転でEF63重連との協調運転時にパンクさせる空気ばね台車への空気再供給を短時間で行う改善<ref group="注">これは189系のサロ189形でMG・CP双方を装備する100番台のほか、0番台もCPを装備することにフィードバックされた。</ref>が必要となったことから、翌1973年に吹田工場でCPを搭載して250番台に再改番された区分。
1990年にJR九州小倉工場(現在:[[小倉総合車両センター]])が南福岡電車区配置のクハ481-243へ施工した全室グリーン車化改造で1両のみの区分とされ、改造施工後は鹿児島運転所に配置された。
 
;201 - 204
改造により出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓が2分割されており、シートピッチ拡大により窓配置が一致しないほか、座席は落成時が通常の2+2配置とされたものの1991年以降に実施された2+1の3列配置へグレードアップが施工された。
サハ489-1 - 4には当初CP未搭載であったが250番台と同理由で1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。
 
*このためサハ489形の1 - 4は欠番となった。
1995年4月20日ダイヤ改正で「にちりん」運用が終了し「きりしま」専従なった際にグリーン車連結を中止したため南福岡電車区へ転出。同区配置のクロ480形と「にちりん」「かもめ」で共通運用されたが、2000年3月11日ダイヤ改正で同区の全室グリーン車運用終了に伴い2000年3月31日付で廃車ならびに廃区分番台となった。
上述した250番台を含めて1985年から1986年にかけて他形式へ改造されて区分消滅。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!colspan="6"|サハ489形0・50→200・250番台改造一覧
!クハ481
|243
|-
!サハ481形<br>新製車||サハ489形<br>改造||サハ489形<br>新製車||サハ489形<br>CP搭載改造||他形式への改造
!style="background-color:#cf9;"|クロ481
|-
|style="background-color:#cf9;"|301
|rowspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||rowspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||1<br><small>1972.2.10 東急</small>||201<br><small>1973.5.8 吹田</small>||クハ480-9<br><small>1985.2.21 長野</small>
|-
|2<br><small>1972.2.10 東急</small>||202<br><small>1973.5.24 吹田</small>||クハ481-751<br><small>1986.5.20 幡生</small>
|-
|3<br><small>1972.1.18 近車</small>||203<br><small>1973.3.30 吹田</small>||クハ481-752<br><small>1986.7.3 幡生</small>
|-
|4<br><small>1972.2.8 近車</small>||204<br><small>1973.5.31 吹田</small>||クハ480-10<br><small>1985.3.1 長野</small>
|-
|1<br><small>1970.5.15 日車</small>||51<br><small>1972.11.9 吹田</small>||rowspan="2"|→||251<br><small>1973.3.7 吹田</small>||サハ481-201<br><small>1984.2.2 小倉</small>
|-
|2<br><small>1970.5.15 日車</small>||52<br><small>1972.11.9 吹田</small>||252<br><small>1973.4.14 吹田</small>||クハ480-11<br><small>1984.12.20 長野</small>
|}
{{-}}
 
====サシ489形100番台====
;2001 - 2005・2101
;101・102
<gallery perrow="2" widths="180" style="float:right; font-size:90%;">
1972年に長野工場(現在:[[長野総合車両センター]])で新潟運転所所属のサシ181形100番台に施工した489系化転用改造。
File:JRWest-kuro481-2002.jpg|クロ481-2002<br>旧国鉄色
*調理室側妻面に回送運転台を増設。
File:JR EC Tsc481-2002.jpg|クロ481-2002<br>しらさぎ色
*種車の181系用TR69C形台車は枕ばりが低いため改造の上で床面高さを調整。
File:JR West 485 superraicho 7.jpg|クロ481-2101<br>スーパー雷鳥色(旧塗り分け)<br>客室窓配置に相違
*本系列とは車体断面が異なるため外観上にわずかな相違点が残る。
File:In car of Type Tsc485-2000 japan.JPG|しらさぎリニューアル以後の客室内
*内装関係の改造は未施工だったことから、ベネシャンブラインドや「[[あずさ (列車)|あずさ]]」充当記念で壁面に飾られた[[中央本線|中央東線]]沿線の名峰レリーフもそのまま残存。
</gallery>
2両とも向日町→金沢配置で運用されたが、運用終了ならびに老朽化で1986年に廃車された。
[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#3月11日|1989年3月11日ダイヤ改正]]で「スーパー雷鳥」が運転開始されることに伴い、同列車充当金沢運転所R編成用に[[西日本旅客鉄道吹田工場|吹田工場]]でサロ489形1000番台・サハ481形100番台へ施工した先頭車化ならびにグレードアップリニューアル改造である。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
 
2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なるが、以下は共通する施工内容である。
*前頭部を流線型とし、前面展望を可能とするパノラマ運転台は、客室より低い位置に傾斜角をつけて設置。
*前灯・尾灯はフロントガラス下部へ並列にまとめてケース内設置としたほか、フロントガラス内上部にも前灯を2基搭載する。
*シートは乗客用扉から運転席に向かって通路を挟み向かって左側が2席、右側が1席の2+1配置<ref group="注">展望の観点からシートのヘッドレスト部分が小型化されるなど以後のJR西日本におけるパノラマ型[[展望車]]の基礎となった。</ref>とした上で床面を150mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大。また、2001 - 2005は車掌室を、2101は車販準備室をそれぞれ客室化。
*塗装はオイスターホワイト(白)を基調とし、JR西日本のコーポレートである青色帯の上にピンク色のピンストライプを巻いた「スーパー雷鳥」専用色に変更。
:*落成直後は側面帯を正面まで回り込む仕様とされたが、短期間のうちに乗務員扉付近とライトケース周囲で帯を分断する仕様に変更し、乗務員扉と客窓間・正面フロントガラス下部運転席側に青色のJRマークを追加した。
*MGは種車の床下搭載をそのまま継承したが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台へ移設となったことから、事実上のユニットとなった。「しらさぎ」転用時にサロ481形2000番台が廃車となったために以後は次位にCP搭載改造を施工したモハ485形500番台+モハ484形ユニットを連結することが限定された。
 
[[2000年代のJRダイヤ改正#3月3日|2001年3月3日ダイヤ改正]]で683系電車「サンダーバード」投入により「スーパー雷鳥」が廃止されたため塗装変更と内装リニューアルを施し2001年7月12日より「しらさぎ」用Y編成に転用。2003年7月19日に「しらさぎ」も683系へ置換えられたため京都総合運転所へ転出。旧国鉄色へ塗色変更し「雷鳥」用A01 - A06編成に組成され2001年9月20日から2011年3月11日まで運用されたのち、全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!colspan="8"|クロ481-2001 - 2005・2101改造一覧
|-
!colspan="6"|サシ181形→サシ489形改造一覧
|rowspan="2"|種車
|-
!style="background-color:#cf9;"|サロ489
|!style="background-color:#cf9ff9;"|1001サシ181||style="background-color:#cf9ff9;"|1006サシ489||style="background-color:#cf9;"改造施工工場|1003|施工日|style="background-color:#cf9;"|1007||style="background-color:#cf9;"|1009||style="background-color:#ddd;"|&nbsp;レリーフ
|-
|style="background-color:#ff9;"|102||style="background-color:#ff9;"|101||rowspan="2"|長野工場||1972.2.7||[[槍ヶ岳]]
!サハ481
|colspan="5" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||118
|-
!colspan|style="2background-color:#ff9;" |103||style="background-color:#cf9ff9;"|クロ481102||1972.3.17||[[白馬岳]]
|style="background-color:#cf9;"|2001||style="background-color:#cf9;"|2002||style="background-color:#cf9;"|2003||style="background-color:#cf9;"|2004||style="background-color:#cf9;"|2005||style="background-color:#cf9;"|2101
|}
 
====サロ481形1050番台====
[[File:JR EC Tsc481-2201.jpg|200px|thumb|right|クロ481-2201]]
;1051 - 1056
;2201
[[File:JNR saro481-1051.jpg|thumb|200px|right|サロ481-1051]]
1990年から「かがやき」と運用分離されていた「きらめき」も1992年3月14日のダイヤ改正でモノクラス4両→6両グリーン車組込編成で共通運用化されることになり、松任工場でクハ481-224に施工した以下のグリーン車化改造で後述する2300番台とほぼ同様の内容であるが、本区分は種車がクハ481形200番台によるものである。
1975年の「つばさ」本系列化時に充当されたサロ481-115・116・122・123・127・128は当初から1000番台車に準じた仕様で製造され、車販準備室設置やMG・CPを搭載し秋田運転区へ新製配置された。この6両は翌1976年の1000番台置換えにより南福岡電車区へ転出したが、1978年の東北地区特急列車増発時に再び秋田運転区へ転出することになり、1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工改番したグループである。
*座席を2+1配置12列に変更。
*1000番台とは行先表示器<ref group="注">1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室に搭載。</ref>ならびにクーラーの搭載位置と客用扉に相違がある。
*妻面[[ダクト]]を新形状の物へ交換
*洗面所部に設置されていた側面方向幕を客室窓上へ移設。
 
1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車。
[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#3月22日|1997年3月22日ダイヤ改正]]で「かがやき」「きらめき」が廃止となったため旧国鉄色に変更し「加越」「北越」に転用。さらに2002年には「加越」専従のK編成に組成されたが、[[2000年代のJRダイヤ改正#10月1日|2003年10月1日ダイヤ改正]]で「加越」が「しらさぎ」に統合され683系化されたことに伴い廃車。
 
====サシ481形引通線改造車====
[[File:1992-8-kuro481-2303.JPG|200px|thumb|right|クロ481-2303]]
1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われ、編成組成するサシ481形では在来車に引通線増設などでの対応になった。このため全車1000番台で構成される秋田運転区に転入した際に土崎工場で施工された改造である。
;2301 - 2303
1991年に「かがやき」用S編成へグリーン車連結のため吹田工場でクハ481形300番台を種車にグリーン車化改造を施工した区分。改造内容は前述の2201に準ずる。
 
本来ならサシ481形1000番台ともいえる内容ながらサシ489形からの改造車を除き車番変更は未実施。本グループでは1976年に施工された6両と1978年 - 1979年に施工された8両に分類できる。
1997年3月22日ダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となり、2301は旧国鉄色に変更され「加越」「北越」用に、2302・2303は新塗装に変更し「はくたか」用V編成に転用されたが、[[2000年代のJRダイヤ改正#3月23日|2002年3月23日のダイヤ改正]]で「はくたか」の681系電車置換えにより後述2両も旧国鉄色へ変更した上で2301も含めて「加越」用K編成へ転用された。
 
;1976年施工車(6両):57 - 59・61 - 63
2003年に「加越」の「しらさぎ」統合ならびに683系電車化で余剰となるが、3両とも京都総合運転所へ転出して「雷鳥」用A編成に組成転用された。2009年に「雷鳥」運用減で福知山電車区へ転出し183系電車化改造が施工されたが、2011年に廃車となった。
1973年に向日町運転所へ新製配置。1975年3月10日のダイヤ改正で山陽新幹線博多開業に伴い南福岡電車区へ転出し「にちりん」用編成に充当されていた<ref group="注" name="mifu_485_sashi481"/>。長崎本線・[[佐世保線]]の電化工事の遅れから休車扱いとなり「[[つばさ (列車)|つばさ]]」電車化時1000番台落成までの暫定投入された200番台車44両と同時に南福岡電車区から秋田運転区へ再転出。他の車両が1000番台置換え後に南福岡へ再転出後も秋田残留となることから改造されたグループである。
 
1982年に秋田配置車が編成から除外された一方で、運用増により向日町へ57 - 59が、編成に食堂車が再組成となった金沢へ61 - 63が転出したが、いずれも1985年3月14日のダイヤ改正で編成から食堂車が外され、全車1986年2月 - 3月に廃車された。
;2351
「スーパー雷鳥」編成に組成されていたクロ481-2001 - 2005・2101は、2001年に「しらさぎ」転用されたが、その際に基本編成は6本→7本になることからクロ481形は1両不足となった。このためクハ489-301に金沢総合車両所で施工したグリーン車化改造である。
 
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
2201・2300番台と同様に座席は2+1配置12列の定員36名へ変更したほか、床面を50mm嵩上げ。車掌室ならびに業務用控室は省略する。2300番台とほぼ同様の改造形態であるが、種車が2300番台はクハ481形300番台であるのに対し本車はクハ489形300番台による区分であり、CPは床下搭載となるために助手席(1位側)下部のCP用機器搬入口が無く、前面ジャンパ連結器もクハ489形時代のままで側面方向幕の客室窓上移設は未施工でトイレ・洗面所設置のままなど相違がある。
|-
!colspan="6"|サシ481形1000番台対応引通線改造1976年施工車
|-
!style="background-color:#ff9;"|車両番号||向日町新製配置||南福岡転属||秋田転属||向日町/金沢転属||廃車
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-57'''||1973.2.19 川重||rowspan="6"|1975.3.10||rowspan="6"|1975.9.16||rowspan="3"|1982.11.14 向日町||1986.3.31
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-58'''||1973.2.28 東急||rowspan="2"|1986.2.27
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-59'''||1973.1.1 近車
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-61'''||1973.2.20 日立||rowspan="2"|1982.7.4 金沢||rowspan="3"|1986.3.31
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-62'''||1973.3.12 日立
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-63'''||1973.6.14 日車||1982.8.27 金沢
|}
 
;1978年 - 1979年施工車(8両):65 - 67・75・76・81 - 83
1978年10月2日のダイヤ改正では金沢運転所所属の「白山」用489系では「はくたか」共通運用化ならびに食堂車を編成から外したことにより余剰となった<ref group="注">「雷鳥」「しらさぎ」運用に充当される編成では引き続き食堂車が組成されていたため同編成用にはサシ489-1 - 9・101・102が転用組成された。</ref>。一方で東北地区では急行列車の格上げなどで大増発となり、秋田運転区では同改正の運用増で12両編成が従来の6本→12本となることから同年中に以下の6両が改造施工された。
:; 65 - 67
:* 1973年製造車。1975年3月10日ダイヤ改正で向日町運転所から金沢運転所へ転入。
:; 81 - 83
:* 1974年にサシ489-10 - 12として金沢運転所へ新製配置。本改造に併せて横軽協調運転装置撤去を施工しサシ481-81 - 83へ改番を実施。
 
さらに落成が遅れた1000番台新製車に対応させ1979年7月1日ダイヤ改正では12両編成×14本となることから、同年に金沢運転所予備車1両と編成変更で余剰となった仙台運転所所属車1両へ追加改造を施工した。
:; 75・76
:* サシ481形としては最終製造ロットとなる1974年製造車。75は金沢運転所へ、76は仙台運転所へ新製配置された。
 
本グループの8両は1982年に1976年改造施工車と同様の理由で金沢へ再転出したが、83は車両需給調整から横軽協調運転装置を再搭載してサシ489-83への改造を施工。1985年に編成からの食堂車除外で余剰化後は以下に示す複雑な経歴を残した。
: 65・66
:* 国鉄時代の1986年3月31日付で廃車
: 67・75・76
:* 国鉄時代の1986年3月31日付で廃車 分割民営化直前の1987年2月から3月にかけて車籍復活ならびに「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」用[[国鉄24系客車|24系]]食堂車スシ24 501 - 503へ改造されJR北海道が承継
: 81・82
:* サロ481形500番台→2000番台へ改造 JR西日本が承継
: 83
:* 保留車のまま1987年3月11日に北長野運転所<ref group="注" name="nagano_center"/>へ転出 JR東日本が承継しスシ24 506へ改造<ref group="注">改造の際に調理室区画の小窓1ヶ所が埋込れた。</ref>
 
「しらさぎ」の683系電車化に伴い、2003年7月19日に廃車。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:10075%;"
|-
!colspan="78"|クロサシ481-2201・2301形1000番台対応引通線改造1978年 - 2303・2351改造一覧1979年施工車
|-
!rowspan="2" style="width:10em; background-color:#ff9;"|新製時<br>車両番号||rowspan="2"style="width:8em;"|秋田転入||rowspan="2" style="width:10em; background-color:#ff9;"|サシ481<br>改造||style="width:10em;|金沢転出||colspan="2" style="background-color:#cf9;"|サロ481改造||rowspan="2" style="width:10em; background-color:#ff9;"|スシ24<br>改造||style="width:22em;"|最終所属
|rowspan="2"|種車
!クハ481
|224||307||325||327||style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!style="background-color:#ff9;"|サシ489復元||style="width:10em; background-color:#cf9;"|500番台||style="width:10em; background-color:#cf9;"|2000番台||廃車日
!クハ489
|colspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||301
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-65'''<br>1973.5.24<br>日立/向日町||rowspan="3"|1978.8.6||rowspan="5" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||1982.8.30||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||rowspan="2"|国鉄<br>金沢運転所<br>1986.3.31
!colspan="2" style="background-color:#cf9;"|クロ481
|-
|style="background-color:#cf9;"|2201||style="background-color:#cf9;"|2301||style="background-color:#cf9;"|2302||style="background-color:#cf9;"|2303||style="background-color:#cf9;"|2351
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-66'''<br>1973.6.20<br>日立/向日町||1982.8.27||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-67'''<br>1973.8.24<br>川重/向日町||1982.8.30||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 501'''<br>1987.2.2<br>松任工場||rowspan="3"|JR北海道<br>札幌運転所<br>2008.4.30
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-75'''<br>1974.8.30<br>東急/金沢||rowspan="2"|1979.5.15||rowspan="2"|1982.9.8||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 502'''<br>1987.3.23<br>吹田工場
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-76'''<br>1974.7.19<br>日立/仙台||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 503'''<br>1987.3.20<br>新津車両所
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-10'''<br>1974.8.30<br>近車/金沢||rowspan="3"|1978.7.25||style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-81'''<br>1978.9.14<br>土崎工場||rowspan="2"|1982.9.3||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-508'''<br>1985.3.2<br>吹田工場||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-2006'''<br>1991.1.20<br>吹田工場||rowspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||JR西日本<br>金沢総合車両所<br>2001.12.26
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-11'''<br>1974.7.15<br>東急/金沢||style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-82'''<br>1978.10.19<br>土崎工場||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-509'''<br>1985.3.5<br>吹田工場||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-2005'''<br>1991.6.24<br>吹田工場||JR西日本<br>金沢総合車両所<br>2001.11.6
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-12'''<br>1974.7.5<br>日立/金沢||style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-83'''<br>1978.10.19<br>土崎工場||style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-83'''<br>1982.11.12<br>松任工場||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 506'''<br>1988.2.23<br>新津車両所||JR東日本<br>尾久車両センター<br>保留車
|}
|-
|
;備考
* サシ481-67・75・76は1986年3月31日付で廃車 1987年にスシ24形化改造により車籍復活させ落成後は札幌運転所へ配置
* 2301 - 2303は2009年にクロ183-2707 - 2709へ改造
* サシ481-83→サシ489-83は改造と同時に金沢運転所へ転出
* サシ489-83→スシ24 506は改造と同時に尾久客車区へ転出 2015年の「北斗星」運用終了後も保留車として2020年現在でも車籍を有する
* サロ481-508・509は向日町運転所へ配置
* サロ481-2005・2006は金沢運転所へ配置
|}
 
===クロ480=サシ48983====
;83
;1 - 15
元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12。
[[File:JRKyushu Kamome Tsc480.jpg|thumb|200px|right|クロ480形0番台<br>AU13E形冷房装置搭載車]]
1984 - 1985年に「[[有明 (列車)|有明]]」「にちりん」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所ならびに小倉工場で鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なりクハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、MGは床下に容量210kVAタイプを、運転台下にC2000形CPを搭載するほか、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。
*1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
*5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
改造後は15両全車が鹿児島運転所へ配置。1986年に運用移管により南福岡電車区へ再転出。1987年の分割民営化によりJR九州に承継されたが、1987年中に11・12は半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52へ改番。1988年3月13日ダイヤ改正で再び鹿児島運転所へ転出なったが、1991年5月 - 1992年3月にRED EXPRSS化ならびに座席配置の2+1列への変更を実施。さらに1992年7月にはクロハ480-52を1992年にクロ480-12へ復元し、2・4・6・8・10・12 - 15が南福岡配置となった。その後1993年2月に2・4と5・7を車両交換。以後南福岡配置車は「有明」「かもめ」、鹿児島配置車は「にちりん」で運用されたが、余剰老朽化により2000年までに廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"|40||style="background-color:#cf9;"|43||style="background-color:#cf9;"|44||style="background-color:#cf9;"|45||style="background-color:#cf9;"|53||style="background-color:#cf9;"|56||style="background-color:#cf9;"|58||style="background-color:#cf9;"|64||style="background-color:#cf9;"|67||style="background-color:#cf9;"|76||style="background-color:#cf9;"|78||style="background-color:#cf9;"|83||style="background-color:#cf9;"|87||style="background-color:#cf9;"|103||style="background-color:#cf9;"|130
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロ480
|style="background-color:#cf9;"|1||style="background-color:#cf9;"|2||style="background-color:#cf9;"|3||style="background-color:#cf9;"|4||style="background-color:#cf9;"|5||style="background-color:#cf9;"|6||style="background-color:#cf9;"|7||style="background-color:#cf9;"|8||style="background-color:#cf9;"|9||style="background-color:#cf9;"|10||style="background-color:#cf9;"|11||style="background-color:#cf9;"|12||style="background-color:#cf9;"|13||style="background-color:#cf9;"|14||style="background-color:#cf9;"|15
|}
 
詳細な改造遍歴は[[#サシ481形]]を参照のこと。
;1001 - 1004・2301
1000番台は1988年に「北越」短編成化に伴い組成された金沢運転所O編成用に吹田工場で改造された区分。種車がサロ489形1000番台のために210kVA MG・CPを搭載するほか、台車はTR69Hを装着する。0番台同様に前位側トイレ・洗面所区画を台枠ごとカットし新たに別途製造済の運転台を接合したほか、後位側に車掌室・車販準備室のほか電話室を設置する。
 
====サロ481形1500番台====
2301は1991年に「かがやき」用S編成にグリーン車組込むため1002に転用改造を吹田工場で施工した区分。クロ481形2300番台同様に座席配置を2+1とし床面を50mm嵩上げ、またトイレ・洗面所のリニューアルにより同部分の小窓を埋込とし、車掌室・車販準備室を撤去した上で方向幕は客室化した部分の客窓上部に移設などグレードアップ化を実施した。
;1501 - 1506
本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台<ref group="注">181系時代はサボ受が設置された以外は、サロ481形・サロ489形1000番台と外観上の大きな違いはない。</ref>を181系電車運用が終了した1982年 - 1983年に盛岡・郡山・土崎の3工場で改造編入したグループ。1500番台新製車との関連は全くない。改造落成後は青森運転所に配置。1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出した。1990年 - 1991年に老朽車取替のため1506を除きクハ481形1100番台に再改造された<ref group="注">この時点でまだサボ受が残る車両もあった。</ref>。
 
定期「あいづ」ならびに波動運用対応でクハ化が施工されなかった1506は、1997年の「ひたち」モノクラス化により余剰となり幕張へ転出、大宮工場で「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造され区分消滅した。
2002年にO編成・S編成を統合する形で全車「加越」用K編成に転用されたが、2004年の「加越」「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となり1000番台は廃車。2301は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A10編成に組成されたが、2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。
{|class="wikitable" style="font-size:10090%; text-align:center;"
!style="background-color:#cf9;"|サロ489
|style="background-color:#cf9;"|1002||style="background-color:#cf9;"|1005||style="background-color:#cf9;"|1008||style="background-color:#cf9;"|1010
|-
|
!style="background-color:#cf9;"|クロ480
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
|style="background-color:#cf9;"|1001||style="background-color:#cf9;"|1002|| style="background-color:#cf9;" |1003||style="background-color:#cf9;"|1004
|-
!colspan="14"|サロ481形1050番台・1500番台改造一覧
|-
|rowspan="2"|種車
!style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"|115||style="background-color:#cf9;"|116||style="background-color:#cf9;"|122||style="background-color:#cf9;"|123||style="background-color:#cf9;"|127||style="background-color:#cf9;"|128||colspan="6" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!style="background-color:#cf9;"|サロ181
|colspan="6" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|1101||style="background-color:#cf9;"|1102||style="background-color:#cf9;"|1103||style="background-color:#cf9;"|1104||style="background-color:#cf9;"|1105||style="background-color:#cf9;"|1106
|-
!colspan="2" style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"|1051||style="background-color:#cf9;"|1052||style="background-color:#cf9;"|1053||style="background-color:#cf9;"|1054||style="background-color:#cf9;"|1055||style="background-color:#cf9;"|1056||style="background-color:#cf9;"|1501||style="background-color:#cf9;"|1502||style="background-color:#cf9;"|1503||style="background-color:#cf9;"|1504||style="background-color:#cf9;"|1505||style="background-color:#cf9;"|1506
|-
!colspan="2"|施工工場
|colspan="6"|土崎||colspan="4"|盛岡||郡山||土崎
|}
|-
!クロ480
|
|2301
|
|
;備考
* 以下は以後の改造履歴
:* 1051:1989年にサハ481-303へ改造
:* 1053・1052:1990年にサロ489-1051・1052へ改造
:* 1501 - 1505:1989年 - 1991年にクハ481-1101 - 1108へ改造
:* 1506:1997年にクロ484-5へ改造
|}
 
====サロ481形134・135====
;134・135
1983年に鹿児島車両管理所でサロ489形から横軽協調装置を撤去してサロ481形に編入したグループ。基本番台新製車の続番となっているが489系0・500番台グループが種車のためクーラーはAU12形を搭載。2両とも分割民営化時にはJR九州に承継されたが1990年に廃車。
1,410 ⟶ 1,463行目:
|}
 
==== サハ481形200番台 ====
;201
1983年に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した。車番は新たに201が区分されJR九州に承継されたが1990年に廃車。
*車両番号の推移は[[#サハ489形]]を参照のこと
 
====クハ481形600番台====
;601 - 603
{{Double image aside|right|JR Kyusyu kuha481-601.jpg|200|JNR kuha481603shanai.JPG|173|クハ481-601<br>1987年 熊本|クハ481-603車内<br>九州鉄道記念館保存車}}
1983年に[[東北新幹線]]開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。
*車掌室部分を客室化。
*種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
*3両共に「ひげ」の溝が有ったが、当時「ひげ」が描かれていたのは602だけであった。(603は、展示の際に描かれたものである)
*座席は、当時「[[サロンエクスプレス東京]]」への改造で不要となった[[国鉄14系客車|14系]]座席車の簡易リクライニングシートを転用。
3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は静態保存された。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="7"|クハ481形JR九州所属500番台・600番台改造一覧
|-
|rowspan="3"|種車
!クハ181
|109||colspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!クハ180
|style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||5||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロ481
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|3||style="background-color:#cf9;"|4||style="background-color:#cf9;"|5
|-
!colspan="2"|クハ481
|501||502||601||602||603
|}
|-
|
;備考
* 602は1988年にクロ481-4へ復元
|}
 
====クハ481形500番台====
;501・502
{{Double image aside|right|481-501.JPG|200|481-502.JPG|155|クハ481-501<br>(元・クハ181-109)|クハ481-502<br>(元・クハ180-5)}}
 
1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため[[上越新幹線]]開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
*車体は181系電車時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
*検電アンテナは改造当初からクハ481形後期型車と同型のものを搭載した。
*502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し<ref group="注">横軽区間用KE64形ジャンパ連結器も残存。</ref>。
*塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
*当初九州島内専用を前提としてコスト削減のため交直切替スイッチの設置を省略したが、1986年11月改正で設定された「にちりん」の[[下関駅|下関]]発着列車に充当された際に交直切替スイッチがないため小倉で運転打切というトラブルが発生したことからスイッチ取付の追加改造を施工。
 
落成後1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
 
====サロ481形500番台====
;501 - 509
[[File:JNR EC Ts481-507.jpg|thumb|200px|right|サロ481-507]]
1,423 ⟶ 1,530行目:
*車両番号の推移は後述の2000番台を参照。
 
====クモハ485形0番台====
;1051 - 1056
;1 - 15
[[File:JNR saro481-1051.jpg|thumb|200px|right|サロ481-1051]]
{{Double image aside|right|Kumoha485 0 red kirishima.jpg|155|JRkyushu-kumoha485-1.jpg|200|クモハ485-9<br>運転席側後部グリルは機器室通風用|クモハ485-1<br>助手席下側グリルは主電動機冷却風取入口}}
1975年の「つばさ」本系列化時に充当されたサロ481-115・116・122・123・127・128は当初から1000番台車に準じた仕様で製造され、車販準備室設置やMG・CPを搭載し秋田運転区へ新製配置された。この6両は翌1976年の1000番台置換えにより南福岡電車区へ転出したが、1978年の東北地区特急列車増発時に再び秋田運転区へ転出することになり、1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工改番したグループである。
1984年 - 1985年にクロ480形0番台と編成組成をするモハ485形15両に以下の改造を鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工。
*1000番台とは行先表示器<ref group="注">1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室に搭載。</ref>ならびにクーラーの搭載位置と客用扉に相違がある。
*前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
*運転台後部に110 kVA・MGおよびCPを搭載する機器室としたため定員は16名減の56名。
*客用扉・デッキを機器室後部に移設。
分割民営化時には全車JR九州に承継。最後まで残存した5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。
{|class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
!モハ485
|97||98||100||101||102||104||105||109||111||113||116||118||120||134||145
|-
!クモハ485
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15
|}
 
====クモハ485形100番台====
1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車。
;101 - 108
1986年に熊本発着「有明」の3両編成用に鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形へ以下の改造を施工。
*前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
*短編成用のため0番台と異なり機器室は未設置とし、MG・CPを省略し定員64名
*出入台および行先表示器は後位側に移設。
後に「ハウステンボス」へ転用。さらに「K&H」カラーへ変更。最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した<ref name="ReferenceA">『JR電車編成表2015夏』ISBN 9784330569154 p.359。</ref>。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|202||231||240||241||242||243||244||245
|-
!クモハ485
|101||102||103||104||105||106||107||108
|}
====クモハ485形1000番台====
;1001 - 1009
[[File:JREast-Kumoha485-1008.jpg|thumb|200px|right|クモハ485-1008]]
「たざわ」短編成化のために土崎工場で改造された区分。MG・CPは省略されたが、編成中のMGが1基のみとなることから非常用の電源装置ならびに充電装置を搭載する。
 
改造工事は秋田所属車へ1986年7月 - 10月に施工。落成後の1986年11月1日付で全車青森運転所へ転出し「たざわ」で運用開始。移管により1988年3月13日付で秋田へ再転出となったが、以後は運用減で以下の経歴となった。
;1501 - 1506
* 1001・1009:上沼垂→幕張転出を経て1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」へ改造
本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台<ref group="注">181系時代はサボ受が設置された以外は、サロ481形・サロ489形1000番台と外観上の大きな違いはない。</ref>を181系電車運用が終了した1982年 - 1983年に盛岡・郡山・土崎の3工場で改造編入したグループ。1500番台新製車との関連は全くない。改造落成後は青森運転所に配置。1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出した。1990年 - 1991年に老朽車取替のため1506を除きクハ481形1100番台に再改造された<ref group="注">この時点でまだサボ受が残る車両もあった。</ref>。
* 1002 - 1004・1007:「こまくさ」廃止による休車を経て2004年中に廃車
残存した1005・1006・1008は、引き続き秋田所属のまま「かもしか」で運用されたが、2011年に廃止のため廃車となり廃区分番台となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|1017||1048||1019||1072||1080||1079||1073||1023||1076
|-
!クモハ485
|1001||1002||1003||1004||1005||1006||1007||1008||1009
|}
 
====クロ480形0番台====
定期「あいづ」ならびに波動運用対応でクハ化が施工されなかった1506は、1997年の「ひたち」モノクラス化により余剰となり幕張へ転出、大宮工場で「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造され区分消滅した。
;1 - 15
[[File:JRKyushu Kamome Tsc480.jpg|thumb|200px|right|クロ480形0番台<br>AU13E形冷房装置搭載車]]
1984 - 1985年に「[[有明 (列車)|有明]]」「にちりん」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所ならびに小倉工場で鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なりクハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、MGは床下に容量210kVAタイプを、運転台下にC2000形CPを搭載するほか、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。
*1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
*5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
改造後は15両全車が鹿児島運転所へ配置。1986年に運用移管により南福岡電車区へ再転出。1987年の分割民営化によりJR九州に承継されたが、1987年中に11・12は半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52へ改番。1988年3月13日ダイヤ改正で再び鹿児島運転所へ転出なったが、1991年5月 - 1992年3月にRED EXPRSS化ならびに座席配置の2+1列への変更を実施。さらに1992年7月にはクロハ480-52を1992年にクロ480-12へ復元し、2・4・6・8・10・12 - 15が南福岡配置となった。その後1993年2月に2・4と5・7を車両交換。以後南福岡配置車は「有明」「かもめ」、鹿児島配置車は「にちりん」で運用されたが、余剰老朽化により2000年までに廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"|40||style="background-color:#cf9;"|43||style="background-color:#cf9;"|44||style="background-color:#cf9;"|45||style="background-color:#cf9;"|53||style="background-color:#cf9;"|56||style="background-color:#cf9;"|58||style="background-color:#cf9;"|64||style="background-color:#cf9;"|67||style="background-color:#cf9;"|76||style="background-color:#cf9;"|78||style="background-color:#cf9;"|83||style="background-color:#cf9;"|87||style="background-color:#cf9;"|103||style="background-color:#cf9;"|130
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロ480
|style="background-color:#cf9;"|1||style="background-color:#cf9;"|2||style="background-color:#cf9;"|3||style="background-color:#cf9;"|4||style="background-color:#cf9;"|5||style="background-color:#cf9;"|6||style="background-color:#cf9;"|7||style="background-color:#cf9;"|8||style="background-color:#cf9;"|9||style="background-color:#cf9;"|10||style="background-color:#cf9;"|11||style="background-color:#cf9;"|12||style="background-color:#cf9;"|13||style="background-color:#cf9;"|14||style="background-color:#cf9;"|15
|}
 
====クハ480形====
{{vertical images list
|幅=200px
|1=JR Kyusyu kuha480-3.jpg
|2=クハ480-3<br>貫通扉埋込み改造前
}}
1985年の「くろしお」増発には経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両と短編成のため制御車不足が問題となった。これにはサハ481・489形を種車にMG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両管理所(→新津車両製作所→現在:[[総合車両製作所]][[総合車両製作所新津事業所|新津事業所]])での施工により落成した形式である。
*運転台はクハ481形200番台に準じた貫通型とされたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
:*貫通幌があるクハ481形200番台との正面併結が前提であるため貫通幌設置時の美観を考慮しない構造である<ref group="注">クハ481形200番台同様に貫通幌を外付けで取付けることは可能だが、この場合は必然的に貫通幌が剥き出しの状態となる。また、このケースでの営業運転実績は無い。</ref>。
:*落成当初、貫通扉特急マークは標準的な立体型の物を一部車両は装着したが、貫通路構成時に通行に支障を来たすため短期間で平面型の物に交換された<ref group="注">[[国鉄キハ181系気動車|キハ181系気動車]]で運用されていた「つばさ」は基本7両+付属4両の11両編成とされたが、編成中間のキハ181形は立体型特急マークが貫通路構成時に通行支障をきたすことから同様例として取り外された。そのため「つばさ」基本7両編成の間合い運用で運転される「あおば」では秋田方キハ181形の特急マークが外された状態とされた。なお、分割併合運転が多数存在した[[国鉄キハ80系気動車|キハ82系]]で運用されていた列車に関しては、この様な措置は採られていない。</ref>。
*サハ489形からの改造車はAU12形冷房装置搭載の初期車であり同時にCPを撤去。
 
1986年に「くろしお」が[[国鉄381系電車|381系]]に再度統一されることになり、全11両のうち1 - 4・7・9 - 11が「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区へ、5・6・8が「[[こうのとり (列車)|北近畿]]」用として福知山運転所(現在:[[福知山電車区]])へ転出した。
 
南福岡転出の8両は車体改修時に貫通扉埋込みならびに立体型特急マークの装着などの改造が施工されたが、2000年までに全車廃車された。
*改造施工後の画像は[[#JR九州改修車]]を参照
 
福知山転出の3両は寒冷地対策ならびにMG・CP搭載を施工した上で1986年に8・6がクハ481-801・802へ、1987年に5がクハ481-851へ改造<ref group="注">801・802は早期落成したため福知山所属のまま日根野貸渡で「くろしお」運用にも充当。一方で851は改造日程の都合でクハ480-5のまま福知山へ転出し「北近畿」に充当されてから改造という差異がある。</ref>。1991年に金沢運転所へ転出した801を除き、交流機器使用停止措置を施工されクハ183形へ再改造された。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90100%;"
|-
!colspan="1413"|サロ481クハ4801050番台・1500番台改造一覧
|-
|rowspan="2"|種車
!サハ481
!style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"12|115|13|style="background-color:#cf9;"|11614||style="background-color:#cf9;"15|122|16|style="background-color:#cf9;"|12317||style="background-color:#cf9;"18|127||style="background-color:#cf9;"|12819||colspan="63" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!サハ489
!style="background-color:#cf9;"|サロ181
|colspan="8"|↓||201||204||252
|colspan="6" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|1101||style="background-color:#cf9;"|1102||style="background-color:#cf9;"|1103||style="background-color:#cf9;"|1104||style="background-color:#cf9;"|1105||style="background-color:#cf9;"|1106
|-
!colspan="2" style="background-color:#cf9;"|サロ481クハ480
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11
|style="background-color:#cf9;"|1051||style="background-color:#cf9;"|1052||style="background-color:#cf9;"|1053||style="background-color:#cf9;"|1054||style="background-color:#cf9;"|1055||style="background-color:#cf9;"|1056||style="background-color:#cf9;"|1501||style="background-color:#cf9;"|1502||style="background-color:#cf9;"|1503||style="background-color:#cf9;"|1504||style="background-color:#cf9;"|1505||style="background-color:#cf9;"|1506
|-
!colspan="2"|施工工場冷房装置
|colspan="63"|土崎AU12||colspan="45"|盛岡AU13E||郡山|colspan="3"|土崎AU12
|-
!colspan="2"|改造施工工場
|colspan="2"|広島||長野||幡生||新津||広島||colspan="2"|幡生||colspan="3"|長野
|}
|-
|
;備考
* 種車サハ489-201・204はサハ489-1・4にCP搭載を施工した改造車
* 以下は以後の改造履歴
:* 1051:1989年に種車サハ489-252はサハ481-3032→サハ489-52→サハ489-252改造履歴あり
* 以後は以下の改造を実施
:* 1053・1052:1990年にサロ489-1051・1052へ改造
:* 5→クハ481-851→クハ183-851
:* 1501 - 1505:1989年 - 1991年にクハ481-1101 - 1108へ改造
:* 6→クハ481-802→クハ183-801
:* 1506:1997年にクロ484-5へ改造
:* 8→クハ481-801
|}
 
====クハ481形700・750・800・850番台====
;2001 - 2006
[[File:JR EC Ts481Tc481-2005701.jpg|thumb|200px|thumb|right|サロクハ481-2005701]]
;701
JR西日本が1989年と1991年に吹田工場でサロ481形500番台のうち6両を「スーパー雷鳥」用に再改造したための区分。大元となったサシ481形の車体構造を踏襲するが、編成を組成する上で隣接するクロ481形2000番台・2100番台が当初は富山方先頭車となるため方向転換を実施した上で「スーパー雷鳥」色へ塗装変更を含み以下の改造を施工した。
1986年11月のダイヤ改正では特急の増発短編成化によりクハ481形が大量に必要となることから、それに先立ち1985年に金沢運転所所属のサハ489-11へクハ481形300番台に準じた運転台取付改造を松任工場で施工した区分。新製車同様に210kVAのMGを床下にCPを運転台下に搭載するが、以下の相違点がある。
*クロ481形と連結する業務用室は側窓埋込が行われたが、サシ481形時代に設置されていた妻面の回送運転台用窓は残存。また、クロ481形には側面方向幕を搭載しないため新たに方向幕を新設。
*屋根上のAU13E形分散式冷房装置搭載位置。
:*また、1989年改造の2001-2004については、車端部の手すりの撤去と窪みの埋め込みも行われている。1991年に追加改造された2005・2006は手すりを残置。
*運転室側面窓の後ろがやや間延び。
*500番台時代の座敷は側窓4枚分はクロ481形へ向かって左側2席・右側1席ならびにシートピッチ1180mmの2+1配置6列定員18名のリクライニングシート<ref group="注">クロ481形2000番台・2100番台同様の配置であるが、背摺りは前方眺望を考慮する必要がないためヘッドレストは小型化していない一般形状。</ref>を装備するグリーン客室へ変更した上で床面を150mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大。
*トイレと洗面所の位置が逆。
*客室に続く側窓1区画は埋込とし仕切壁・ビデオデッキ&モニターテレビ機器室・カード式公衆電話室を設置。
改造後も金沢所属のまま分割民営化時にはJR西日本に承継され、「しらさぎ」「加越」用K編成に組成されたが、2001年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。運用終了により2011年に廃車。
*500番台時代のビュフェをコンビニエンスラウンジに変更。
:*ラウンジ部は1位側・3位側は大型ソファーをコの字状に配置。2位側・4位側はサシ481形時代の通路窓で高位置となることから、背もたれが無い床机状のソファーを縦に3席配置して窓下に長テーブルを設置。落成直後の色調は[[バブル景気|バブル期]]を反映して壁面は白、座席は薄紫を基調としたが、後年に茶色を基調としたシックで落ち着いた和の雰囲気に変更された。
:*ビュフェカウンター部<ref group="注">サシ481形では調理室車端部寄りの一角。</ref>を売店とし、商品陳列棚・ジュースクーラー・冷蔵ショーケースなどを設置。ほぼ同時期に改造されたモハ489形ラウンジ&コンビニエンスカーと同様に冷蔵庫ならびに電子レンジも装備した。また、床面はローンテックスを施工した上でタイルカーペットを敷設。
 
;751 - 753
500番台時代から引き続き外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。また、同時に改造されたクロ481形2000番台・2100番台の種車はサロ489形1000番台・サハ481-118であったことからMG・CP搭載をしていたが、本改造でCPを本車へ移設したため常時次位で連結された。しかし2001年の「しらさぎ」転用では編成対象から外れて廃車されたことから、CPはモハ485形500番台に再移設。台車は新たに改造されるサハ481形600番台・700番台に転用された。
{{Double image aside|right|1987-7-kuha481-752.JPG|210|JR East hakucho kuha481-753 osaka.jpg|200|クハ481-752|クハ481-753}}
1986年に幡生車両所(現在:[[下関総合車両所]])でサハ489形をクハ481形へ改造施工した区分。上述の701とは同目的での改造であるが、以下の相違点が発生したための番台区分。
*MG出力が160 kVA。CPは後述の800番台・850番台も含めて床下搭載としたため助手席下側の機器室搬入口がない。
 
751・752は「北近畿」充当用<ref group="注">1986年5月と早期落成したため福知山所属のまま日根野に貸渡され他のクハ480形改造工事充当車と差し替えられて末期の「くろしお」でも運用された。</ref>で種車がサハ489-202・203のためAU12形冷房装置を搭載する。分割民営化時にはJR西日本に承継され1991年に交流機器使用停止措置を施工されクハ183-751・752へ再改造。
 
753は種車がサハ489-5のためAU13E形冷房装置を搭載する。落成後に上沼垂運転区へ配置され分割民営化時にはJR東日本に承継。2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」のクハ484-702へ再改造され廃区分となった。
 
;801・802
[[File:JRWest-Kuha481-801.jpg|200px|thumb|right|クハ481-801]]
701と同目的での改造であるが、「くろしお」充当用として既にクハ480形化改造されていたグループが種車による区分。「北近畿」転用のため1986年に大宮工場で210 kVA MGならびにCPを床下に搭載したことによる改造改番である。
 
802は1990年に交流機器停止措置を施工しクハ183-801へ再改造。801は1991年に金沢へ転出し「スーパー雷鳥」用R編成に組成されたが<ref group="注">「スーパー雷鳥」用R編成では分割併合時に中間組込となる基本編成のクハ481形は貫通扉ならびに幌を装備する200番台に限定されており、クハ480形として改造された時点でクハ481形200番台との正面併結が前提であり、幌枠はあるものの貫通幌設置時には美観を考慮しない構造である801は分割併合に関与しない付属編成に充当。1995年の組成変更により10両固定のR21編成へ組成された。なお、同車は自由席車となることからシートピッチ拡大などのグレードアップ改造は未実施で、アコモ改善のみ施工された。</ref>、2001年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。
 
;851
上述の801・802との相違はMG出力が160 kVAによる区分で「北近畿」転用後の1987年に吹田工場が施工。1990年にクハ183-851へ再改造。
{|style="font-size:90%;"
|-
1,481 ⟶ 1,675行目:
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="119"|サロクハ481形500701番台・2000750番台・800番台・851番台改造一覧
|-
|rowspan="3"|種車
!サハ481
!style="background-color:#ff9;"|サシ481
|colspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||19||17||16
|style="background-color:#ff9;"|54||style="background-color:#ff9;"|55||style="background-color:#ff9;"|69||style="background-color:#ff9;"|70||style="background-color:#ff9;"|71||style="background-color:#ff9;"|73||style="background-color:#ff9;"|74||style="background-color:#ff9;"|81||style="background-color:#ff9;"|82
|-
!サハ489
!rowspan="2" style="background-color:#cf9;"|サロ481||style="background-color:#cf9;"|500番台
|11||202||203||5||colspan="3"|↓
|style="background-color:#cf9;"|501||style="background-color:#cf9;"|502||style="background-color:#cf9;"|503||style="background-color:#cf9;"|504||style="background-color:#cf9;"|505||style="background-color:#cf9;"|506||style="background-color:#cf9;"|507||style="background-color:#cf9;"|508||style="background-color:#cf9;"|509
|-
!クハ480
!style="background-color:#cf9;"|2000番台
|colspan="4"|↓||8||6||5
|style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|2001||style="background-color:#cf9;"|2002||style="background-color:#cf9;"|2003||style="background-color:#cf9;"|2004||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|2006||style="background-color:#cf9;"|2005
|-
!colspan="2"|クハ481
|701||751||752||753||801||802||851
|-
!colspan="2"|MG出力
|210kVA||colspan="3"|160kVA||colspan="2"|210kVA||160kVA
|-
!colspan="2"|CP搭載位置
|運転台下||colspan="6"|床下
|-
!colspan="2"|冷房装置
|AU13E||colspan="2"|AU12||colspan="4"|AU13E
|-
!colspan="2"|改造施工工場
|松任||colspan="3"|幡生||colspan="2"|大宮||吹田
|}
|-
|
;備考
* 民営化時に753のみJR東日本へ他車はJR西日本へ継承
* 種車となったサシ481形のうち81・82はサシ489-10・11からならびに1000番台対応引通線追加改造車
* 種車サハ489-202・203はサハ489-2・3にCP搭載を施工した改造車
* 以後は以下の改造を実施
:* 751・752→クハ183-751・752
:* 753→クハ484-702
:* 802→クハ183-801
:* 851→クハ183-851
|}
 
====クロハ481形200・300番台====
特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
 
;1 - 13
{{Double image aside|right|JRkyushu-kuroha481-5.jpg|200|JRK kuroha481-5 Green Careen.jpg|150|クロハ481-5|グリーン室}}
民営化後の1987年 - 1988年にJR九州小倉工場で計13両が改造された区分。
*1 - 8は種車がクハ481形200番台。
*9 - 13は種車がクハ481形300番台
*グリーン席は3列×5席。
1993年に1がクハ481-226に復元。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。
 
;201 - 208
1986年 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先の国鉄末期時代であり、全車JR九州に継承。
1,549 ⟶ 1,754行目:
|}
 
====クロハ480形0番台====
; 303
JR東日本が1989年に土崎工場でハ481-348形同様施工した定員16名の半前位にグリーン室化改造を設置した形式である車番はJR西日所属車の続となる303が付番された<ref group="注">JR東日本で、国鉄時代の1986年からに「たざわ」用としてクハ481形1000番台・1500番台を種車にクロハ481形1000番台の改造施工を実施ていたグループ。最初期落成車のみ本形式とされたが、秋田配置のクハ481形1000番台偶数向車は短期間でクロハ481形1000番台に全車造済で種車としての捻出ができず300台が供出されたという事情がある</ref>
 
秋田運転区へ配置され後述する1022 - 1027グループと共通運用されたが、2000年に復元と同時にリニューアル改造されクハ481-3348となり、既にJR西日本所属車も復元もしくは他形式へ改造されていたため区分消滅した。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
|-
!colspan="5"|クハ481-348→クロハ481-303→クハ481-3348履歴
|-
|rowspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
!クハ481-348||style="background-color:#cf9;"|クロハ481-303||colspan="2"|クハ481-3348
|-
|日立製作所 新製<br>1976.5.22||土崎工場 改造<br>1989.2.24||土崎工場 改造<br>2000.3.30||廃車<br>2015.7.1
|-
!配置
|青森→秋田||秋田||colspan="2"|上沼垂(新潟)
|}
 
; ====クロハ481形1000番台====
1986年 - 1989年・1993年に土崎工場と青森運転所でクハ481形1000番台29両と1500番台1両に半室グリーン化改造を施工したグループ。座席はすべて2+2であるが、グリーン定員が2種類存在する。
 
1,798 ⟶ 1,989行目:
|}
 
=== 国鉄時代の改番を伴わない改造工事 ===
;1501
====クハ481形の改造====
[[File:JReast485-kuroha481-1501.JPG|thumb|200px|クロハ481-1501]]
元々は485系電車への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。他の本形式がクハ481形からの改造車であるのに対して、本車のみ種車がサロ481形のため小窓が並ぶ窓配置である。
 
181系電車として落成し車体も使用する最後の1両で勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車などで運用されたが、2013年1月に運用離脱。郡山総合車両センターへ廃車回送され区分消滅した。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
|-
!colspan="6"|サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501履歴
|-
|rowspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
!style="background-color:#cf9;"|サロ181-1101||style="background-color:#cf9;"|サロ481-1501||クハ481-1104||colspan="2" style="background-color:#cf9;"|クロハ481-1501
|-
|日本車両 新製<br>1978.6.21||盛岡工場 改造<br>1983.1.14||郡山工場 改造<br>1990.1.20||郡山工場 改造<br>1993.11.10||廃車<br>2013.1.17
|-
!配置
|新潟||青森→勝田||勝田||colspan="2"|仙台→勝田
|}
 
===クロハ480形===
本形式はクロハ481形同様に客室前位にグリーン室を設置した形式であるが、種車の差異により2種類の番台区分が存在する。
;基本番台
1986年に「たざわ」用としてクハ481形1000番台を改造したグループ。最初期落成車のみ本形式とされたが、短期間でクロハ481形1000番台に改番された。
 
;50番台
1987年 - 1988年に小倉工場でクロ480形へ前位側グリーン席5列を残して後位側を普通車化改造したグループ。52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!style="background-color:#cf9;"|クロ480
|style="background-color:#cf9;"|11||style="background-color:#cf9;"|12
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロハ480
|style="background-color:#cf9;"|51||style="background-color:#cf9;"|52
|}
 
===クハ481形===
;9・12・22
国鉄時代に簡易リクライニングシートへ交換。
1,838 ⟶ 1,997行目:
国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。
 
====モハ484形耐塩害対策施工車====
;501・502
羽越本線ならびに奥羽本線秋田 - 青森間の[[日本海]]に近い電化区間では、冬期の強い北西風による[[塩害]]で屋根上特別高圧機器に塩分が付着すると絶縁性能低下による短絡が懸念されたことから、同区間で運用される青森・秋田・新潟配置となる車両には[[がいし|碍子]]に緑色のシリコン樹脂塗料を付着させて対応した。
{{Double image aside|right|481-501.JPG|200|481-502.JPG|155|クハ481-501<br>(元・クハ181-109)|クハ481-502<br>(元・クハ180-5)}}
 
====黒磯駅通過用列車選別装置搭載工事====
1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため[[上越新幹線]]開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
東北本線[[黒磯駅]]は、[[1959年]]の電化開業時は地上切切換方式の交直接続設備を有しており、1965年の483系運転開始時は同駅に必ず停車しパンタグラフを降下、地上側で電源切替後にパンタグラフを再上昇させ発車する形態を採用した。しかし1968年10月1日ダイヤ改正では一部の特急列車が通過となったことから<ref group="注">「はつかり」の盛岡以南、「やまびこ」の仙台以南は基本的に1県1駅のみの停車とされ、「ひばり」「つばさ」「やまばと」も増発や所要時間短縮の関係上停車駅を絞る傾向が強まった。</ref>、下り1番線と上り5番線に従来の地上切換設備を残存させたまま新たに車上切換が可能なデッドセクションを追設した。本設備は同時に信号動作も行う方式としたために通過運用に充当される青森・秋田・仙台配置のクハ481形・クロ481形には[[列車選別装置]]を搭載する工事が施工された。なお、北陸・山陽・九州線向けの先頭車両についても、1968年度以降の製造車は将来の東日本地区への転配属を考慮して準備工事とした。
*車体は181系電車時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
*検電アンテナは改造当初からクハ481形後期型車と同型のものを搭載した。
*502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し<ref group="注">横軽区間用KE64形ジャンパ連結器も残存。</ref>。
*塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
*当初九州島内専用を前提としてコスト削減のため交直切替スイッチの設置を省略したが、1986年11月改正で設定された「にちりん」の[[下関駅|下関]]発着列車に充当された際に交直切替スイッチがないため小倉で運転打切というトラブルが発生したことからスイッチ取付の追加改造を施工。
 
同改正後の電車特急は、同駅通過・停車問わず車上切換を行うことにより停車列車でも地上切換に比較すると停車時間を短縮できることから、基本的に1993年までは本装置を使用して運転された。
落成後1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
 
==== ロール式ヘッドマーク改造車 ====
;601 - 603
ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から[[1970年代]]初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。
{{Double image aside|right|JR Kyusyu kuha481-601.jpg|200|JNR kuha481603shanai.JPG|173|クハ481-601<br>1987年 熊本|クハ481-603車内<br>九州鉄道記念館保存車}}
*従来からのヘッドマークも装着可能で、故障時にはヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能とした。
1983年に[[東北新幹線]]開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。
*構造上ヘッドマークが奥まった位置となることから晴天の日中などは判読しにくい難点があった。
*車掌室部分を客室化。
*1975年の九州転出後は使用停止となったが、システムならびにクランク差込口は残された<ref group="注">JR化後「ひたち」で運用されていた勝田配置車両が、イベント展示の際に表示された実績がある。</ref>。
*種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
:;ロールマークで確認されている列車名
*3両共に「ひげ」の溝が有ったが、当時「ひげ」が描かれていたのは602だけであった。(603は、展示の際に描かれたものである)
:*「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
*座席は、当時「[[サロンエクスプレス東京]]」への改造で不要となった[[国鉄14系客車|14系]]座席車の簡易リクライニングシートを転用。
3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は静態保存された。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="7"|クハ481形JR九州所属500番台・600番台改造一覧
|-
|rowspan="3"|種車
!クハ181
|109||colspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!クハ180
|style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||5||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロ481
|colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|3||style="background-color:#cf9;"|4||style="background-color:#cf9;"|5
|-
!colspan="2"|クハ481
|501||502||601||602||603
|}
|-
|
;備考
* 602は1988年にクロ481-4へ復元
|}
 
==== 仙台運転所先頭車タイフォン移設工事 ====
[[File:JR EC Tc481-701.jpg|200px|thumb|right|クハ481-701]]
[[File:583 Hatsukari 485 Hibari Ueno 19750210.jpg|thumb|200px|right|クロ481-101(右)<br>タイフォン移設工事施工車<br>タイフォン上部に手擦が残存]]
;701
仙台運転所に配置されたクハ481-19 - 30・101ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57・101の[[警笛|タイフォン]]は元々スカート部設置で次の3タイプが存在した。
1986年11月のダイヤ改正では特急の増発短編成化によりクハ481形が大量に必要となることから、それに先立ち1985年に金沢運転所所属のサハ489-11へクハ481形300番台に準じた運転台取付改造を松任工場で施工した区分。新製車同様に210kVAのMGを床下にCPを運転台下に搭載するが、以下の相違点がある。
*カバーなし
*屋根上のAU13E形分散式冷房装置搭載位置。
*中折れ式カバー装着
*運転室側面窓の後ろがやや間延び。
*回転式タイフォンカバー装着
*トイレと洗面所の位置が逆。
しかし東北地区では冬期の積雪ならびに氷着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にボンネット部への移設が施工された。
改造後も金沢所属のまま分割民営化時にはJR西日本に承継され、「しらさぎ」「加越」用K編成に組成されたが、2001年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。運用終了により2011年に廃車。
*屋根上前灯カバーもホイッスル部スリットから雪の浸入による溜帯防止のためカバー後方を切欠いた。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
 
100番台ではクハ481・クロ481-101が唯一スカート部へのタイフォンを設置して落成したが、1973年に他車と同じ位置へ改造された。このため名残としてタイフォン上部に手すりが残存する。
;751 - 753
{{Double image aside|right|1987-7-kuha481-752.JPG|210|JR East hakucho kuha481-753 osaka.jpg|200|クハ481-752|クハ481-753}}
1986年に幡生車両所(現在:[[下関総合車両所]])でサハ489形をクハ481形へ改造施工した区分。上述の701とは同目的での改造であるが、以下の相違点が発生したための番台区分。
*MG出力が160 kVA。CPは後述の800番台・850番台も含めて床下搭載としたため助手席下側の機器室搬入口がない。
 
==== ビデオカー改造車 ====
751・752は「北近畿」充当用<ref group="注">1986年5月と早期落成したため福知山所属のまま日根野に貸渡され他のクハ480形改造工事充当車と差し替えられて末期の「くろしお」でも運用された。</ref>で種車がサハ489-202・203のためAU12形冷房装置を搭載する。分割民営化時にはJR西日本に承継され1991年に交流機器使用停止措置を施工されクハ183-751・752へ再改造。
[[File:Video-Ariake.JPG|thumb|200px|「ビデオ特急」表示]]
1980年よりサービス向上の一環としてビデオ上映を実施することから、鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39へ雛壇式床面化ならびに運転台仕切に[[スクリーン]]を設置する改造。客用扉周囲に「[[テレビカー|ビデオ特急]]」のステッカーを貼付た。スクリーン設置に伴いスクリーン側の座席を8席分撤去したため定員は48名となった。
 
主に「有明」で運用されたが、1985年に上映中止となりビデオ機器も後に撤去されたが、雛壇式の床構造はそのままであった。
753は種車がサハ489-5のためAU13E形冷房装置を搭載する。落成後に上沼垂運転区へ配置され分割民営化時にはJR東日本に承継。2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」のクハ484-702へ再改造され廃区分となった。
 
== JR各社の改造車 ==
;801・802
=== JR東日本の改造車 ===
[[File:JRWest-Kuha481-801.jpg|200px|thumb|right|クハ481-801]]
====津軽海峡線対応車====
701と同目的での改造であるが、「くろしお」充当用として既にクハ480形化改造されていたグループが種車による区分。「北近畿」転用のため1986年に大宮工場で210 kVA MGならびにCPを床下に搭載したことによる改造改番である。
{{Vertical_images_list
|幅=200px
|1=4851am.jpg
|2=津軽海峡線対応改造車<br>青森運転所A3編成
|3=Kuha481-1016 20160104.JPG
|4=クハ481-1016<br>CP搬入口グリル閉鎖<br>CP床下移設
}}
1988年3月13日の[[青函トンネル]]に伴うダイヤ改正では、盛岡 - 青森間で運転されていた「はつかり」の一部列車を[[津軽海峡線]]を経由し函館まで延長運転することになった。延長区間のうち[[海峡線]][[新中小国信号場]] - [[木古内駅|木古内]]間は保安装置を[[自動列車制御装置#ATC-L|ATC-L]]、最高運転速度を140km/hとしたことから、当時「はつかり」運用に充当されていた青森運転所所属6両編成×12本のうち1000番台車限定で組成される6本<ref group="注">残り6本のクハ481形は、334・342・350・351・352・1506を組成。</ref>に土崎工場で施工された以下の改造である。
 
; クロハ481形・クハ481形
802は1990年に交流機器停止措置を施工しクハ183-801へ再改造。801は1991年に金沢へ転出し「スーパー雷鳥」用R編成に組成されたが<ref group="注">「スーパー雷鳥」用R編成では分割併合時に中間組込となる基本編成のクハ481形は貫通扉ならびに幌を装備する200番台に限定されており、クハ480形として改造された時点でクハ481形200番台との正面併結が前提であり、幌枠はあるものの貫通幌設置時には美観を考慮しない構造である801は分割併合に関与しない付属編成に充当。1995年の組成変更により10両固定のR21編成へ組成された。なお、同車は自由席車となることからシートピッチ拡大などのグレードアップ改造は未実施で、アコモ改善のみ施工された。</ref>、2001年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。
ATC-Lの搭載ならびに運転台下に設置されていたCPを床下へ移設し1位側CP搬入口グリルを閉鎖。
* クロハ481-1012・1013・1015 - 1017・1019
* クハ481-1006・1010・1016・1020・1022・1030
 
; モハ484形
;851
第1パンタグラフを高速域での架線追従性に優れたPS26B形へ交換。
上述の801・802との相違はMG出力が160 kVAによる区分で「北近畿」転用後の1987年に吹田工場が施工。1990年にクハ183-851へ再改造。
* モハ484-1009・1014・1022・1031・1032・1038・1046・1047・1049・1059・1077・1087
{|style="font-size:90%;"
 
1996年以降に本工事を施工した6編成中5編成に3000番台化工事を施工。対象から漏れたクロハ481-1015・クハ481-1016・モハ485・484-1032・1077は2006年に仙台車両センターへ転出。CP床下搭載やPS26B形パンタグラフはそのままでクロハ→クハ復元・ATC-L撤去などの「あいづ」充当改造を郡山総合車両センターで施工した。このほかモハ484形のPS26B形パンタグラフ交換は増結用MM'ユニットの3049・3051・3067へも施工された。
 
====クロハ481形300番台(303)====
; 303
JR東日本が1989年に土崎工場でクハ481-348に施工した定員16名の半室グリーン室化改造。車番はJR西日本所属車の続番となる303が付番された<ref group="注">JR東日本では、国鉄時代の1986年からクハ481形1000番台・1500番台を種車にクロハ481形1000番台の改造施工を実施していたが、秋田配置のクハ481形1000番台偶数向車はクロハ481形1000番台に全車改造済で種車としての捻出ができず300番台が供出されたという事情がある</ref>。
 
秋田運転区へ配置され後述する1022 - 1027グループと共通運用されたが、2000年に復元と同時にリニューアル改造されクハ481-3348となり、既にJR西日本所属車も復元もしくは他形式へ改造されていたため区分消滅した。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
|-
!colspan="5"|クハ481-348→クロハ481-303→クハ481-3348履歴
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="9"|クハ481形701番台・750番台・800番台・851番台改造一覧
|-
|rowspan="32" style="background-color:#ccc;"|種車&nbsp;
!クハ481-348||style="background-color:#cf9;"|クロハ481-303||colspan="2"|クハ481-3348
!サハ481
|colspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||19||17||16
|-
|日立製作所 新製<br>1976.5.22||土崎工場 改造<br>1989.2.24||土崎工場 改造<br>2000.3.30||廃車<br>2015.7.1
!サハ489
|11||202||203||5||colspan="3"|↓
|-
!配置
!クハ480
|青森→秋田||秋田||colspan="42"|↓||8||6||5上沼垂(新潟)
|}
 
====クロハ481形1500番台====
;1501
[[File:JReast485-kuroha481-1501.JPG|thumb|200px|クロハ481-1501]]
元々は485系電車への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。他の本形式がクハ481形からの改造車であるのに対して、本車のみ種車がサロ481形のため小窓が並ぶ窓配置である。
 
181系電車として落成し車体も使用する最後の1両で勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車などで運用されたが、2013年1月に運用離脱。郡山総合車両センターへ廃車回送され区分消滅した。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
|-
!colspan="26"|サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→ハ481-1501履歴
|-
|701||751||752||753||801||802||851
|rowspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
!style="background-color:#cf9;"|サロ181-1101||style="background-color:#cf9;"|サロ481-1501||クハ481-1104||colspan="2" style="background-color:#cf9;"|クロハ481-1501
|-
|日本車両 新製<br>1978.6.21||盛岡工場 改造<br>1983.1.14||郡山工場 改造<br>1990.1.20||郡山工場 改造<br>1993.11.10||廃車<br>2013.1.17
!colspan="2"|MG出力
|210kVA||colspan="3"|160kVA||colspan="2"|210kVA||160kVA
|-
!配置
!colspan="2"|CP搭載位置
|運転台下新潟||青森→勝田||勝田||colspan="62"|床下仙台→勝田
|-
!colspan="2"|冷房装置
|AU13E||colspan="2"|AU12||colspan="4"|AU13E
|-
!colspan="2"|改造施工工場
|松任||colspan="3"|幡生||colspan="2"|大宮||吹田
|}
|-
|
;備考
* 民営化時に753のみJR東日本へ他車はJR西日本へ継承
* 種車サハ489-202・203はサハ489-2・3にCP搭載を施工した改造車
* 以後は以下の改造を実施
:* 751・752→クハ183-751・752
:* 753→クハ484-702
:* 802→クハ183-801
:* 851→クハ183-851
|}
 
====クハ481形1100番台====
;1101 - 1108
「ひたち」で運用されていたクハ481形初期車置換えのため1989年 - 1991年にかけて郡山工場でサロ481形1000番台・1500番台の先頭車化と普通車格下げ改造を郡山工場で同時施工したグループ。グリーン車の窓配置がそのまま流用されたため客室窓は小さい。
1,980 ⟶ 2,118行目:
|}
 
==== サハ485形300番台 ====
;ロール式ヘッドマーク改造車
ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から[[1970年代]]初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。
*従来からのヘッドマークも装着可能で、故障時にはヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能とした。
*構造上ヘッドマークが奥まった位置となることから晴天の日中などは判読しにくい難点があった。
*1975年の九州転出後は使用停止となったが、システムならびにクランク差込口は残された<ref group="注">JR化後「ひたち」で運用されていた勝田配置車両が、イベント展示の際に表示された実績がある。</ref>。
:;ロールマークで確認されている列車名
:*「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
 
;ビデオカー改造車
[[File:Video-Ariake.JPG|thumb|200px|「ビデオ特急」表示]]
1980年よりサービス向上の一環としてビデオ上映を実施することから、鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39へ雛壇式床面化ならびに運転台仕切に[[スクリーン]]を設置する改造。客用扉周囲に「[[テレビカー|ビデオ特急]]」のステッカーを貼付た。スクリーン設置に伴いスクリーン側の座席を8席分撤去したため定員は48名となった。
 
主に「有明」で運用されたが、1985年に上映中止となりビデオ機器も後に撤去されたが、雛壇式の床構造はそのままであった。
 
;仙台運転所先頭車タイフォン移設工事
[[File:583 Hatsukari 485 Hibari Ueno 19750210.jpg|thumb|200px|right|クロ481-101(右)<br>タイフォン移設工事施工車<br>タイフォン上部に手擦が残存]]
仙台運転所に配置されたクハ481-19 - 30・101ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57・101の[[警笛|タイフォン]]は元々スカート部設置で次の3タイプが存在した。
*カバーなし
*中折れ式カバー装着
*回転式タイフォンカバー装着
しかし東北地区では冬期の積雪ならびに氷着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にボンネット部への移設が施工された。
*屋根上前灯カバーもホイッスル部スリットから雪の浸入による溜帯防止のためカバー後方を切欠いた。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
 
100番台ではクハ481・クロ481-101が唯一スカート部へのタイフォンを設置して落成したが、1973年に他車と同じ位置へ改造された。このため名残としてタイフォン上部に手すりが残存する。
[[File:JR EC Tc481-122.jpg|thumb|200px|right|クハ481-122<br>キハ65形連結改造車]]
;向日町運転所100番台車キハ65形連結改造
1986年12月から大阪 - [[和倉温泉駅|和倉温泉]]間に[[国鉄キハ65形気動車|キハ65形]]改造車で臨時特急「[[ゆぅトピア|ゆぅトピア和倉]]」が運転開始されたが、金沢以西は「雷鳥」に無動力で牽引される方法が採られた。当初は向日町運転所所属のクハ481形200番台・300番台車で限定運用されたが、1989年3月以降運用上の制約を避けるため同所所属のクハ481-101・103・105・106・111・112・118 - 123へ電車の連結器交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器装備などを施工した改造である<ref group="注">後に「[[ゴールデンエクスプレスアストル]]」や「シュプール&リゾート」でもこの機能が発揮された。</ref>。
 
なお、本改造は後述する勝田電車区0番台車2編成連結運転対応改造との相違点として、方向転換を考慮して両渡り構造を採用したが、本系列のみによる分割併合運用に対応させる目的はないため、高圧三相引通用KE9形ジャンパ連結器は装備しない。
 
;勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造
[[File:485hitachi.jpg|200px|thumb|right|クハ481-38<br>2編成連結改造車<br>向日町所属時代にロールマーク式改造施工済<br>クランクハンドル差込み口が確認できる]]
1993年以降に「ひたち」は2編成併結14両編成運転を開始したことから、その対応として勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40へ前面スカート一部を欠取り電車の連結器交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器を装備した改造である。
:*本改造は2編成間の総括制御が目的であり、高圧引通ならびにサービス電源用三相引通はそれぞれの編成内で完結させていることから、対応するジャンパ連結器は装備しない。
:*前面に装備される総括制御回線が片渡り構造となるクハ481形1000番台・1100番台に合せて、上り方は正面向って左側、下り方は右側にKE70形を装備したことから、方向が固定された<ref group="注">前面のみが片渡りであるため本工事施工車同士ならびにクハ481形1000番台・1100番台との併結運転は不可能になるが、後部側は従来からの両渡りのままのため方向転換は可能である。また、方向転換を行った場合でも前面両渡り構造のクハ481形200番台・300番台・1500番台と併結運転は可能であるが、本工事施工車が方向転換を行っての営業運転実績はない。</ref>。
:*下り方先頭となる車両にはジャンパ栓とジャンパ栓受けも装備されたが、これは同区の300番台・1000番台・1100番台車にも施工された。「ひたち」運用終了後に上沼垂運転区へ転出した4両のうち下り方に組成されていた332・333・1011の3両は栓受けがそのまま残された<ref group="注">1011は転入直後の1998年3月に3000番台改造を施工された際に撤去、333は2006年に、最後まで運用された332は2014年に廃車。</ref>。
{{-}}
 
===クハ480形===
{{vertical images list
|幅=200px
|1=JR Kyusyu kuha480-3.jpg
|2=クハ480-3<br>貫通扉埋込み改造前
}}
1985年の「くろしお」増発には経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両と短編成のため制御車不足が問題となった。これにはサハ481・489形を種車にMG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両管理所(→新津車両製作所→現在:[[総合車両製作所]][[総合車両製作所新津事業所|新津事業所]])での施工により落成した形式である。
*運転台はクハ481形200番台に準じた貫通型とされたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
:*貫通幌があるクハ481形200番台との正面併結が前提であるため貫通幌設置時の美観を考慮しない構造である<ref group="注">クハ481形200番台同様に貫通幌を外付けで取付けることは可能だが、この場合は必然的に貫通幌が剥き出しの状態となる。また、このケースでの営業運転実績は無い。</ref>。
:*落成当初、貫通扉特急マークは標準的な立体型の物を一部車両は装着したが、貫通路構成時に通行に支障を来たすため短期間で平面型の物に交換された<ref group="注">[[国鉄キハ181系気動車|キハ181系気動車]]で運用されていた「つばさ」は基本7両+付属4両の11両編成とされたが、編成中間のキハ181形は立体型特急マークが貫通路構成時に通行支障をきたすことから同様例として取り外された。そのため「つばさ」基本7両編成の間合い運用で運転される「あおば」では秋田方キハ181形の特急マークが外された状態とされた。なお、分割併合運転が多数存在した[[国鉄キハ80系気動車|キハ82系]]で運用されていた列車に関しては、この様な措置は採られていない。</ref>。
*サハ489形からの改造車はAU12形冷房装置搭載の初期車であり同時にCPを撤去。
 
1986年に「くろしお」が[[国鉄381系電車|381系]]に再度統一されることになり、全11両のうち1 - 4・7・9 - 11が「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区へ、5・6・8が「[[こうのとり (列車)|北近畿]]」用として福知山運転所(現在:[[福知山電車区]])へ転出した。
 
南福岡転出の8両は車体改修時に貫通扉埋込みならびに立体型特急マークの装着などの改造が施工されたが、2000年までに全車廃車された。
*改造施工後の画像は[[#JR九州改修車]]を参照
 
福知山転出の3両は寒冷地対策ならびにMG・CP搭載を施工した上で1986年に8・6がクハ481-801・802へ、1987年に5がクハ481-851へ改造<ref group="注">801・802は早期落成したため福知山所属のまま日根野貸渡で「くろしお」運用にも充当。一方で851は改造日程の都合でクハ480-5のまま福知山へ転出し「北近畿」に充当されてから改造という差異がある。</ref>。1991年に金沢運転所へ転出した801を除き、交流機器使用停止措置を施工されクハ183形へ再改造された。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="13"|クハ480形改造一覧
|-
|rowspan="2"|種車
!サハ481
|12||13||14||15||16||17||18||19||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!サハ489
|colspan="8"|↓||201||204||252
|-
!colspan="2"|クハ480
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11
|-
!colspan="2"|冷房装置
|colspan="3"|AU12||colspan="5"|AU13E||colspan="3"|AU12
|-
!colspan="2"|改造施工工場
|colspan="2"|広島||長野||幡生||新津||広島||colspan="2"|幡生||colspan="3"|長野
|}
|-
|
;備考
* 種車サハ489-201・204はサハ489-1・4にCP搭載を施工した改造車
* 種車サハ489-252はサハ481-2→サハ489-52→サハ489-252への改造履歴あり
* 以後は以下の改造を実施
:* 5→クハ481-851→クハ183-851
:* 6→クハ481-802→クハ183-801
:* 8→クハ481-801
|}
 
===クモハ485形===
;1 - 15
{{Double image aside|right|Kumoha485 0 red kirishima.jpg|155|JRkyushu-kumoha485-1.jpg|200|クモハ485-9<br>運転席側後部グリルは機器室通風用|クモハ485-1<br>助手席下側グリルは主電動機冷却風取入口}}
1984年 - 1985年にクロ480形0番台と編成組成をするモハ485形15両に以下の改造を鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工。
*前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
*運転台後部に110 kVA・MGおよびCPを搭載する機器室としたため定員は16名減の56名。
*客用扉・デッキを機器室後部に移設。
分割民営化時には全車JR九州に承継。最後まで残存した5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。
{|class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
!モハ485
|97||98||100||101||102||104||105||109||111||113||116||118||120||134||145
|-
!クモハ485
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12||13||14||15
|}
 
;101 - 108
1986年に熊本発着「有明」の3両編成用に鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形へ以下の改造を施工。
*前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
*短編成用のため0番台と異なり機器室は未設置とし、MG・CPを省略し定員64名
*出入台および行先表示器は後位側に移設。
後に「ハウステンボス」へ転用。さらに「K&H」カラーへ変更。最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した<ref name="ReferenceA">『JR電車編成表2015夏』ISBN 9784330569154 p.359。</ref>。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|202||231||240||241||242||243||244||245
|-
!クモハ485
|101||102||103||104||105||106||107||108
|}
 
;201 - 207
[[File:JR West 485 superraicho 3.jpg|thumb|200px|right|クモハ485形200番台]]
1991年に「スーパー雷鳥」の[[七尾線]]乗り入れに伴う付属編成用として吹田・松任の両工場でモハ485形へ以下の改造を施工。
*前位に切妻貫通型の運転台を設置し制御電動車化。
*後位車端に電話室を設置。
*指定席車仕様として座席床面を70mm嵩上、R55系フリーストップリクライニングシートを1010mmピッチで配置し、定員は60名。
*前位側台車は種車のDT32E形に手ブレーキ装置とスノープロウなどを取付たWDT32形に変更
 
1995年の付属編成方向転換時に205が運用を外れ休車。1997年には201・203・204は「しらさぎ」運用へ転用された際に分割併合作業軽減化の観点から電気連結器を装着。2001年の編成変更の際にはユニットを組むモハ484形が組み替えられ、2003年まで運用された。
 
「スーパー雷鳥」用に残存した202・206・207は2001年の運用終了後は休車となり、2003年に205は廃車、残存車は交流機器使用停止措置の上でクモハ183形200番台に改造された。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|219||220||235||236||246||247||239
|-
!クモハ485
|201||202||203||204||205||206||207
|-
!(クモハ183)
|201||202||203||204||style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||205||206
|}
 
;1001 - 1009
[[File:JREast-Kumoha485-1008.jpg|thumb|200px|right|クモハ485-1008]]
「たざわ」短編成化のために土崎工場で改造された区分。MG・CPは省略されたが、編成中のMGが1基のみとなることから非常用の電源装置ならびに充電装置を搭載する。
 
改造工事は秋田所属車へ1986年7月 - 10月に施工。落成後の1986年11月1日付で全車青森運転所へ転出し「たざわ」で運用開始。移管により1988年3月13日付で秋田へ再転出となったが、以後は運用減で以下の経歴となった。
* 1001・1009:上沼垂→幕張転出を経て1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」へ改造
* 1002 - 1004・1007:「こまくさ」廃止による休車を経て2004年中に廃車
残存した1005・1006・1008は、引き続き秋田所属のまま「かもしか」で運用されたが、2011年に廃止のため廃車となり廃区分番台となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|1017||1048||1019||1072||1080||1079||1073||1023||1076
|-
!クモハ485
|1001||1002||1003||1004||1005||1006||1007||1008||1009
|}
 
===モハ485形===
;501 - 506
[[File:Moha485-501.JPG|thumb|200px|right|モハ485-501]]
「スーパー雷鳥」編成に組成されるクロ481形2000番台・2100番台は床下にMGを搭載するが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台に移設されていた。しかし、2001年に「しらさぎ」へ転用する際にサロ481形が編成から外れ廃車となることから、新たにクロ481形の次位に連結されるモハ485形へCPを金沢総合車両所で移設したことにより改番した区分である。
 
本区分は「スーパー雷鳥」へグレードアップする工事を施工した際にトイレ・洗面所を電話室と清涼飲料水自動販売機スペースへ変更していたことから、同時に撤去した床下水タンク跡にCPを搭載する。
 
「しらさぎ」運用終了後は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用され2011年までに全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!rowspan="2"|モハ485
|234||222||218||232||248||237
|-
|501||502||503||504||505||506
|}
 
===モハ484形===
; 耐塩害対策施工車
羽越本線ならびに奥羽本線秋田 - 青森間の[[日本海]]に近い電化区間では、冬期の強い北西風による[[塩害]]で屋根上特別高圧機器に塩分が付着すると絶縁性能低下による短絡が懸念されたことから、同区間で運用される青森・秋田・新潟配置となる車両には[[がいし|碍子]]に緑色のシリコン樹脂塗料を付着させて対応した。
 
===サハ481形===
;モハ485形電装解除車(JR九州)
1992年 - 1994年に鹿児島車両所・小倉工場で「[[ハウステンボス (列車)|ハウステンボス]]」編成用にモハ485形6両の電装解除をしサハ481形化した改造<ref group="注">ユニットを組成していたモハ484形は廃車。</ref>。車番は形式のみ変更を実施。2000年までに全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|rowspan="2"|93||rowspan="2"|126||rowspan="2"|153||rowspan="2"|159||rowspan="2"|163||rowspan="2"|195
|-
!サハ481
|}
 
;201
1983年に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した。車番は新たに201が区分されJR九州に承継されたが1990年に廃車。
*車両番号の推移は[[#サハ489形]]を参照のこと
 
;301 - 308
1989年の[[JR東日本651系電車|651系]]「[[ひたち (列車)|スーパーひたち]]」運転開始と同時に通常の「ひたち」は短編成モノクラス化が実施された。そのため車販準備室装備普通車の必要が発生しサハ481形100番台が転用されたが、それでも不足したことから保留車となっていたサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台を郡山工場で普通車化改造を施工し充当させることになり発生した番台区分である。
2,202 ⟶ 2,150行目:
* 303は種車がサロ481形1000番台に準じた構造のサロ481-115のため当初から車販準備室を装備。
|}
[[File:JR EC T481-501.jpg|thumb|200px|right|サハ481-501<br>「しらさぎ」色]]
;501 - 503
「しらさぎ」用付属編成捻出により「スーパー雷鳥」用編成3本が10両貫通固定編成化されることになり、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造。外観は種車と大差ないが、グレードアップ化で指定席車両となることから、床面を70mm嵩上げした上でシートピッチを1010mmとしたことで窓配置と座席間隔が一致しない。
 
====上沼垂運転区所属グレードアップ改造車====
2001年に「しらさぎ」へ転用、2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
{{Double image aside|right|JNR 485 katsuta-color K60.jpg|200|485 Inaho 8 Higashi-Niigata 20080526.JPG|205|グレードアップ改造施工車<br>画像は勝田転属・塗装変更後|改造車組込の新潟T14編成<br>客室窓の大きい車両が該当}}
{{-}}
JR東日本が日本海縦貫線運用に充当していた上沼垂運転区(現在:新潟車両センター)所属の9両編成であるT1 - T8編成へ1988年12月から1990年12月に施工した主に内装をデラックス化する改造工事である。内容は1987年から施工された松本運転所(現在:[[松本車両センター]])所属の「[[あずさ (列車)|あずさ]]」充当用[[国鉄183系電車#グレードアップ改造|183系1000番台グレードアップ車]]に準した以下で解説するものである。
* 外部塗装を白地に緑と青の帯を配する'''上沼垂色'''{{Refnest|group=注|雪国のスノーホワイトを基調に日本海のマリンブルーと越後平野のプレイングリーンを配する<ref>鉄道ファン1989年4月号 p.32</ref>。}}へ変更
* 普通車座席を背面テーブル付R55型リクライニングシートへ交換
:* 大阪方1号車 - 3号車・5号車・6号車の普通車指定席はシートピッチを970mmへ拡大し定員4名減
:* 新潟方7号車 - 9号車の普通車自由席はシートピッチ910mmのままアコモデーション改善を実施
* 4号車に組成されるサロ481形グリーン車はシートピッチをそのままにC席を独立させた1+2配置の3列式とし従来より座面横幅の広いシートへの交換により定員36名に変更
* 指定席車両は座席部分の床を70mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大し内窓カバーパネル(窓キセ)を[[繊維強化プラスチック|FRP]]製に変更
* 荷棚を読書灯付の物に交換
* 仕切ドアを自動ドアに改造し上部にデジタル時計と案内表示器を設置
* [[百円硬貨]]専用→[[テレホンカード]]式の[[公衆電話]]を新設
* 洗面所をリニューアル
; 該当車の車両番号ならびに編成組成は[[#新潟車両センター〈新ニイ〉]]を参照のこと。
 
1998年の運用減ならびに3000番台R編成落成により自由席に組成されていた初期型・中期型MM'ユニットならびにクハ481形ボンネット車と753が運用を外れ8編成→5編成に縮小、さらに2001年3月3日ダイヤ改正で9両編成としての運用が終了し廃車となった車両を除き以下の編成に組成された。
[[File:Saha481-601.JPG|thumb|200px|right|サハ481-601]]
* T19編成→勝田車両センターK60編成
;601 - 604
* T22編成→T21編成MM'ユニットと6両で長野総合車両センターへ転出しジョイフルトレイン「彩(いろどり)」へ改造
2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用時にサハ481形が4両不足したことから金沢総合車両所でモハ484形を電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用されたほか、種車は指定席用グレードアップ改造を施工済。2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
* MM'ユニット3組:新潟残留でそれぞれT14・T16・T17編成に組成<ref group="注">自由席となる4・5号車に組成。これは未改造車に比較すると定員が4名減となるため指定席となる2・3号車への組成を避けたことによる。</ref>され定期運用終了する2015年まで充当。
 
また、上沼垂色は後に同センター配置車両のうちジョイフルトレイン・3000番台車・国鉄色車を除いた車両へ施工し、所属車の標準色ともいえる形で採用された。
602は「かがやき」用S編成時代にトイレ・洗面所を撤去し電話室と自販機が設置されたが本改造時に復元された。
{{-}}
 
[[File:JR EC T481-702.jpg|thumb|200px|right|サハ481-702]]
;701・702・751
2003年の「しらさぎ」「加越」への[[JR西日本683系電車|683系電車]]投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500番台・600番台の7両では不足することから、金沢総合車両所でモハ485形を電装解除して充当したための区分。
 
「雷鳥」では2号車 - 4号車を指定席用シートピッチ1010mm車に統一する必要性から全車モハ485形時代にグレードアップ工事を施工済。また、751は種車が1000番台による区分である。2011年までに全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="12"|サハ481形500・600・700番台改造一覧
|-
|rowspan="3"|種車
!style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"|66||style="background-color:#cf9;"|121||style="background-color:#cf9;"|131||colspan="7" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!モハ484
|colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||333||335||332||321||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!モハ485
|colspan="7" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||227||228||1029
|-
!colspan="2"|サハ481
|501||502||503||601||602||603||604||701||702||751
|}
 
===サシ481形===
;1000番台対応引通線改造車
1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われ、編成組成するサシ481形では在来車に引通線増設などでの対応になった。このため全車1000番台で構成される秋田運転区に転入した際に土崎工場で施工された改造である。
 
本来ならサシ481形1000番台ともいえる内容ながらサシ489形からの改造車を除き車番変更は未実施。本グループでは1976年に施工された6両と1978年 - 1979年に施工された8両に分類できる。
 
;1976年施工車(6両):57 - 59・61 - 63
1973年に向日町運転所へ新製配置。1975年3月10日のダイヤ改正で山陽新幹線博多開業に伴い南福岡電車区へ転出し「にちりん」用編成に充当されていた<ref group="注" name="mifu_485_sashi481"/>。長崎本線・[[佐世保線]]の電化工事の遅れから休車扱いとなり「[[つばさ (列車)|つばさ]]」電車化時1000番台落成までの暫定投入された200番台車44両と同時に南福岡電車区から秋田運転区へ再転出。他の車両が1000番台置換え後に南福岡へ再転出後も秋田残留となることから改造されたグループである。
 
1982年に秋田配置車が編成から除外された一方で、運用増により向日町へ57 - 59が、編成に食堂車が再組成となった金沢へ61 - 63が転出したが、いずれも1985年3月14日のダイヤ改正で編成から食堂車が外され、全車1986年2月 - 3月に廃車された。
 
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;"
|-
!colspan="6"|サシ481形1000番台対応引通線改造1976年施工車
|-
!style="background-color:#ff9;"|車両番号||向日町新製配置||南福岡転属||秋田転属||向日町/金沢転属||廃車
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-57'''||1973.2.19 川重||rowspan="6"|1975.3.10||rowspan="6"|1975.9.16||rowspan="3"|1982.11.14 向日町||1986.3.31
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-58'''||1973.2.28 東急||rowspan="2"|1986.2.27
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-59'''||1973.1.1 近車
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-61'''||1973.2.20 日立||rowspan="2"|1982.7.4 金沢||rowspan="3"|1986.3.31
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-62'''||1973.3.12 日立
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-63'''||1973.6.14 日車||1982.8.27 金沢
|}
 
;1978年 - 1979年施工車(8両):65 - 67・75・76・81 - 83
1978年10月2日のダイヤ改正では金沢運転所所属の「白山」用489系では「はくたか」共通運用化ならびに食堂車を編成から外したことにより余剰となった<ref group="注">「雷鳥」「しらさぎ」運用に充当される編成では引き続き食堂車が組成されていたため同編成用にはサシ489-1 - 9・101・102が転用組成された。</ref>。一方で東北地区では急行列車の格上げなどで大増発となり、秋田運転区では同改正の運用増で12両編成が従来の6本→12本となることから同年中に以下の6両が改造施工された。
:; 65 - 67
:* 1973年製造車。1975年3月10日ダイヤ改正で向日町運転所から金沢運転所へ転入。
:; 81 - 83
:* 1974年にサシ489-10 - 12として金沢運転所へ新製配置。本改造に併せて横軽協調運転装置撤去を施工しサシ481-81 - 83へ改番を実施。
 
さらに落成が遅れた1000番台新製車に対応させ1979年7月1日ダイヤ改正では12両編成×14本となることから、同年に金沢運転所予備車1両と編成変更で余剰となった仙台運転所所属車1両へ追加改造を施工した。
:; 75・76
:* サシ481形としては最終製造ロットとなる1974年製造車。75は金沢運転所へ、76は仙台運転所へ新製配置された。
 
本グループの8両は1982年に1976年改造施工車と同様の理由で金沢へ再転出したが、83は車両需給調整から横軽協調運転装置を再搭載してサシ489-83への改造を施工。1985年に編成からの食堂車除外で余剰化後は以下に示す複雑な経歴を残した。
: 65・66
:* 国鉄時代の1986年3月31日付で廃車
: 67・75・76
:* 国鉄時代の1986年3月31日付で廃車 分割民営化直前の1987年2月から3月にかけて車籍復活ならびに「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」用[[国鉄24系客車|24系]]食堂車スシ24 501 - 503へ改造されJR北海道が承継
: 81・82
:* サロ481形500番台→2000番台へ改造 JR西日本が承継
: 83
:* 保留車のまま1987年3月11日に北長野運転所<ref group="注" name="nagano_center"/>へ転出 JR東日本が承継しスシ24 506へ改造<ref group="注">改造の際に調理室区画の小窓1ヶ所が埋込れた。</ref>
 
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:75%;"
|-
!colspan="8"|サシ481形1000番台対応引通線改造1978年 - 1979年施工車
|-
!rowspan="2" style="width:10em; background-color:#ff9;"|新製時<br>車両番号||rowspan="2"style="width:8em;"|秋田転入||rowspan="2" style="width:10em; background-color:#ff9;"|サシ481<br>改造||style="width:10em;|金沢転出||colspan="2" style="background-color:#cf9;"|サロ481改造||rowspan="2" style="width:10em; background-color:#ff9;"|スシ24<br>改造||style="width:22em;"|最終所属
|-
!style="background-color:#ff9;"|サシ489復元||style="width:10em; background-color:#cf9;"|500番台||style="width:10em; background-color:#cf9;"|2000番台||廃車日
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-65'''<br>1973.5.24<br>日立/向日町||rowspan="3"|1978.8.6||rowspan="5" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||1982.8.30||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||rowspan="2"|国鉄<br>金沢運転所<br>1986.3.31
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-66'''<br>1973.6.20<br>日立/向日町||1982.8.27||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-67'''<br>1973.8.24<br>川重/向日町||1982.8.30||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 501'''<br>1987.2.2<br>松任工場||rowspan="3"|JR北海道<br>札幌運転所<br>2008.4.30
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-75'''<br>1974.8.30<br>東急/金沢||rowspan="2"|1979.5.15||rowspan="2"|1982.9.8||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 502'''<br>1987.3.23<br>吹田工場
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-76'''<br>1974.7.19<br>日立/仙台||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 503'''<br>1987.3.20<br>新津車両所
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-10'''<br>1974.8.30<br>近車/金沢||rowspan="3"|1978.7.25||style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-81'''<br>1978.9.14<br>土崎工場||rowspan="2"|1982.9.3||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-508'''<br>1985.3.2<br>吹田工場||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-2006'''<br>1991.1.20<br>吹田工場||rowspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||JR西日本<br>金沢総合車両所<br>2001.12.26
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-11'''<br>1974.7.15<br>東急/金沢||style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-82'''<br>1978.10.19<br>土崎工場||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-509'''<br>1985.3.5<br>吹田工場||style="background-color:#cf9;"|'''サロ481<br>-2005'''<br>1991.6.24<br>吹田工場||JR西日本<br>金沢総合車両所<br>2001.11.6
|-
|style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-12'''<br>1974.7.5<br>日立/金沢||style="background-color:#ff9;"|'''サシ481-83'''<br>1978.10.19<br>土崎工場||style="background-color:#ff9;"|'''サシ489-83'''<br>1982.11.12<br>松任工場||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#ff9;"|'''スシ24 506'''<br>1988.2.23<br>新津車両所||JR東日本<br>尾久車両センター<br>保留車
|}
|-
|
;備考
* サシ481-67・75・76は1986年3月31日付で廃車 1987年にスシ24形化改造により車籍復活させ落成後は札幌運転所へ配置
* サシ481-83→サシ489-83は改造と同時に金沢運転所へ転出
* サシ489-83→スシ24 506は改造と同時に尾久客車区へ転出 2015年の「北斗星」運用終了後も保留車として2020年現在でも車籍を有する
* サロ481-508・509は向日町運転所へ配置
* サロ481-2005・2006は金沢運転所へ配置
|}
 
===サロ489形===
[[File:1992-8-11-saro489-101.JPG|thumb|200px|サロ489-101]]
;101
1988年にクロ481-2101への改造が予定されていたサハ481-118にMGを、サロ481-2006へCPを供出するためサロ489-1004に松任工場で撤去工事を施工した区分。サロ489形1000番台は本車を除いてすべて制御車化改造が施工されたため新製時の車体を維持する唯一の車両である。
 
改造後も引き続き新製配置の金沢運転所で「しらさぎ」「加越」「北越」などに充当されたが、681系電車・683系電車への置換えで運用離脱となり2003年に廃車。
 
====サロ489形1050番台====
;1051・1052
種車は1975年に製造された「つばさ」本系列化の際に製造されたサロ481-122・116。一旦九州地区で運用されたが、それぞれ1053・1052に改造し秋田へ再転出。1986年に勝田電車区へ転出し「ひたち」で運用されたが、1990年に長野工場で横軽協調装置を搭載する489系化改造を施工。長野配置で運用されたが北陸新幹線の一部先行開通により上沼垂に転出。以後は上沼垂色に変更されT編成に組み込まれる予備車として運用された。2001年にT編成からサロ481形が外された後も[[要人|VIP]]対応車で[[防弾ガラス]]などを備え[[お召列車]]用としての装備を持つことから長らく保留車となっていたが、2010年10月に廃車。
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|}
 
===モハ489形=訓練車====
[[File:JREast485K26.jpg|thumb|200px|勝田電車区訓練車K26編成]]
;「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にしたモヤ484形訓練車が改造で落成した。
1989年に金沢運転所所属で「白山」用H編成の6号車に組成されるモハ489-18 - 21へ車両番号は変更せず松任工場で施工された以下の改造である。
* 客室はユニットを組むモハ488形寄り側窓4区画分の定員32名に変更
* 客室に続く側窓1枚分区画は仕切りとし客室側半区画は窓を埋込とし残り半分のラウンジ側は外気取り入れ可能な上段下降式窓へ変更
* 客室寄り側窓2枚分区画はフリーラウンジスペースとして1位側・3位側に波形テーブルと丸椅子 2位側・4位側にテーブルとソファを設置
* デッキ寄り側窓2区画は1位側・3位側が[[流し台]]を備えたカウンター 2位側・4位側が窓を埋込とし冷蔵ケースや商品陳列棚としたコンビニエンススペースとした
* カウンター妻面には[[冷蔵庫]]ならびに[[電子レンジ]]も装備し[[レトルト食品|レトルト]]や[[冷凍食品]]であるものの[[カレーライス]]・[[鰻丼]]・[[おでん]]・[[たこ焼き]]などの軽食を加熱して供した
* 洗面所とトイレは倉庫などの業務用室に変更し電動行先表示機を使用停止
コンビニエンス営業は「白山」のみで行われ、他の列車では専ら車内販売の基地として使用された。
 
;モヤ484-1・2
1997年にH編成1本減で18が波動輸送対応用Z01編成に転用されたが1998年に廃車。残りの3両は1997年の「白山」廃止後も引き続きH編成に組成され「能登」で運用され続けたが、コンビニエンス営業が終了となったことから冷蔵ケースや商品陳列棚を撤去し[[清涼飲料水]]の[[自動販売機]]を設置。2010年の運用終了後は2012年までに廃車となった。
:1がモハ484-60を種車に青森運転所で、2がモハ484-61を種車に郡山工場で改造施工。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや[[視聴覚教育]]用[[ディスプレイ (コンピュータ)|モニタ]]、ビデオを搭載するためのラックを装備する。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別される。
 
訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に以下の2編成<ref group="注">どちらもクハ481形は481系時代に向日町運転所と483系時代に仙台運転所に新製配置された車両で、電動車も1972年製造の仙台→青森→仙台→勝田と同じ経歴を持つユニットで組成された。</ref>が配置された。
===サハ489形===
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
;51・52→251・252
1972年にサハ481形へ吹田工場で横軽協調装置を搭載する改造が施工されサハ489形50番台に改番されたが、試運転でEF63重連との協調運転時にパンクさせる空気ばね台車への空気再供給を短時間で行う改善<ref group="注">これは189系のサロ189形でMG・CP双方を装備する100番台のほか、0番台もCPを装備することにフィードバックされた。</ref>が必要となったことから、翌1973年に吹田工場でCPを搭載して250番台に再改番された区分。
 
;201 - 204
サハ489-1 - 4には当初CP未搭載であったが250番台と同理由で1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。
*このためサハ489形の1 - 4は欠番となった。
上述した250番台を含めて1985年から1986年にかけて他形式へ改造されて区分消滅。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!colspan="6"|サハ489形0・50→200・250番台改造一覧
|-
!rowspan="2"|編成番号
!サハ481形<br>新製車||サハ489形<br>改造||サハ489形<br>新製車||サハ489形<br>CP搭載改造||他形式への改造
|colspan="4"|{{TrainDirection|上野|青森}}
|-
!クハ481||style="background-color:#ee82ee;"|モヤ484||モハ485||クハ481
|rowspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||rowspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||1<br><small>1972.2.10 東急</small>||201<br><small>1973.5.8 吹田</small>||クハ480-9<br><small>1985.2.21 長野</small>
|-
!青森運転所A13編成
|2<br><small>1972.2.10 東急</small>||202<br><small>1973.5.24 吹田</small>||クハ481-751<br><small>1986.5.20 幡生</small>
|16||style="background-color:#ee82ee;"|1||60||24
|-
!勝田電車区K26編成
|3<br><small>1972.1.18 近車</small>||203<br><small>1973.3.30 吹田</small>||クハ481-752<br><small>1986.7.3 幡生</small>
|26||style="background-color:#ee82ee;"|2||61||17
|-
|4<br><small>1972.2.8 近車</small>||204<br><small>1973.5.31 吹田</small>||クハ480-10<br><small>1985.3.1 長野</small>
|-
|1<br><small>1970.5.15 日車</small>||51<br><small>1972.11.9 吹田</small>||rowspan="2"|→||251<br><small>1973.3.7 吹田</small>||サハ481-201<br><small>1984.2.2 小倉</small>
|-
|2<br><small>1970.5.15 日車</small>||52<br><small>1972.11.9 吹田</small>||252<br><small>1973.4.14 吹田</small>||クハ480-11<br><small>1984.12.20 長野</small>
|}
2001年には勝田所属のクハ481-17が60 Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車。勝田車も2007年に青森方2両が廃車、上野方2両は[[#静態保存車|復元工事を実施し鉄道博物館に静態保存]]された。
 
==== 勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造 ====
===サシ489形===
[[File:485hitachi.jpg|200px|thumb|right|クハ481-38<br>2編成連結改造車<br>向日町所属時代にロールマーク式改造施工済<br>クランクハンドル差込み口が確認できる]]
;83
1993年以降に「ひたち」は2編成併結14両編成運転を開始したことから、その対応として勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40へ前面スカート一部を欠取り電車の連結器交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器を装備した改造である。
元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12。
:*本改造は2編成間の総括制御が目的であり、高圧引通ならびにサービス電源用三相引通はそれぞれの編成内で完結させていることから、対応するジャンパ連結器は装備しない。
 
:*前面に装備される総括制御回線が片渡り構造となるクハ481形1000番台・1100番台に合せて、上り方は正面向って左側、下り方は右側にKE70形を装備したことから、方向が固定された<ref group="注">前面のみが片渡りであるため本工事施工車同士ならびにクハ481形1000番台・1100番台との併結運転は不可能になるが、後部側は従来からの両渡りのままのため方向転換は可能である。また、方向転換を行った場合でも前面両渡り構造のクハ481形200番台・300番台・1500番台と併結運転は可能であるが、本工事施工車が方向転換を行っての営業運転実績はない。</ref>。
詳細な改造遍歴は[[#サシ481形]]を参照のこと。
:*下り方先頭となる車両にはジャンパ栓とジャンパ栓受けも装備されたが、これは同区の300番台・1000番台・1100番台車にも施工された。「ひたち」運用終了後に上沼垂運転区へ転出した4両のうち下り方に組成されていた332・333・1011の3両は栓受けがそのまま残された<ref group="注">1011は転入直後の1998年3月に3000番台改造を施工された際に撤去、333は2006年に、最後まで運用された332は2014年に廃車。</ref>。
 
{{-}}
;101・102
====「ビバあいづ」用改造====
1972年に長野工場(現在:[[長野総合車両センター]])で新潟運転所所属のサシ181形100番台に施工した489系化転用改造。
[[File:JRE-485-VivaAidu.JPG|thumb|200px|right|「ビバあいづ」]]
*調理室側妻面に回送運転台を増設。
*種車の181系用TR69C形台車は枕ばりが低いため改造の上で床面高さを調整。
*本系列とは車体断面が異なるため外観上にわずかな相違点が残る。
*内装関係の改造は未施工だったことから、ベネシャンブラインドや「[[あずさ (列車)|あずさ]]」充当記念で壁面に飾られた[[中央本線|中央東線]]沿線の名峰レリーフもそのまま残存。
2両とも向日町→金沢配置で運用されたが、運用終了ならびに老朽化で1986年に廃車された。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="6"|サシ181形→サシ489形改造一覧
|-
!style="background-color:#ff9;"|サシ181||style="background-color:#ff9;"|サシ489||改造施工工場||施工日||レリーフ
|-
|style="background-color:#ff9;"|102||style="background-color:#ff9;"|101||rowspan="2"|長野工場||1972.2.7||[[槍ヶ岳]]
|-
|style="background-color:#ff9;"|103||style="background-color:#ff9;"|102||1972.3.17||[[白馬岳]]
|}
 
===黒磯駅通過用列車選別装置搭載工事===
東北本線[[黒磯駅]]は、[[1959年]]の電化開業時は地上切切換方式の交直接続設備を有しており、1965年の483系運転開始時は同駅に必ず停車しパンタグラフを降下、地上側で電源切替後にパンタグラフを再上昇させ発車する形態を採用した。しかし1968年10月1日ダイヤ改正では一部の特急列車が通過となったことから<ref group="注">「はつかり」の盛岡以南、「やまびこ」の仙台以南は基本的に1県1駅のみの停車とされ、「ひばり」「つばさ」「やまばと」も増発や所要時間短縮の関係上停車駅を絞る傾向が強まった。</ref>、下り1番線と上り5番線に従来の地上切換設備を残存させたまま新たに車上切換が可能なデッドセクションを追設した。本設備は同時に信号動作も行う方式としたために通過運用に充当される青森・秋田・仙台配置のクハ481形・クロ481形には[[列車選別装置]]を搭載する工事が施工された。なお、北陸・山陽・九州線向けの先頭車両についても、1968年度以降の製造車は将来の東日本地区への転配属を考慮して準備工事とした。
 
同改正後の電車特急は、同駅通過・停車問わず車上切換を行うことにより停車列車でも地上切換に比較すると停車時間を短縮できることから、基本的に1993年までは本装置を使用して運転された。
 
===津軽海峡線対応車===
{{Vertical_images_list
|幅=200px
|1=4851am.jpg
|2=津軽海峡線対応改造車<br>青森運転所A3編成
|3=Kuha481-1016 20160104.JPG
|4=クハ481-1016<br>CP搬入口グリル閉鎖<br>CP床下移設
}}
1988年3月13日の[[青函トンネル]]に伴うダイヤ改正では、盛岡 - 青森間で運転されていた「はつかり」の一部列車を[[津軽海峡線]]を経由し函館まで延長運転することになった。延長区間のうち[[海峡線]][[新中小国信号場]] - [[木古内駅|木古内]]間は保安装置を[[自動列車制御装置#ATC-L|ATC-L]]、最高運転速度を140km/hとしたことから、当時「はつかり」運用に充当されていた青森運転所所属6両編成×12本のうち1000番台車限定で組成される6本<ref group="注">残り6本のクハ481形は、334・342・350・351・352・1506を組成。</ref>に土崎工場で施工された以下の改造である。
 
; クロハ481形・クハ481形
ATC-Lの搭載ならびに運転台下に設置されていたCPを床下へ移設し1位側CP搬入口グリルを閉鎖。
* クロハ481-1012・1013・1015 - 1017・1019
* クハ481-1006・1010・1016・1020・1022・1030
 
; モハ484形
第1パンタグラフを高速域での架線追従性に優れたPS26B形へ交換。
* モハ484-1009・1014・1022・1031・1032・1038・1046・1047・1049・1059・1077・1087
 
1996年以降に本工事を施工した6編成中5編成に3000番台化工事を施工。対象から漏れたクロハ481-1015・クハ481-1016・モハ485・484-1032・1077は2006年に仙台車両センターへ転出。CP床下搭載やPS26B形パンタグラフはそのままでクロハ→クハ復元・ATC-L撤去などの「あいづ」充当改造を郡山総合車両センターで施工した。このほかモハ484形のPS26B形パンタグラフ交換は増結用MM'ユニットの3049・3051・3067へも施工された。
 
===上沼垂運転区所属グレードアップ改造車===
{{Double image aside|right|JNR 485 katsuta-color K60.jpg|200|485 Inaho 8 Higashi-Niigata 20080526.JPG|205|グレードアップ改造施工車<br>画像は勝田転属・塗装変更後|改造車組込の新潟T14編成<br>客室窓の大きい車両が該当}}
JR東日本が日本海縦貫線運用に充当していた上沼垂運転区(現在:新潟車両センター)所属の9両編成であるT1 - T8編成へ1988年12月から1990年12月に施工した主に内装をデラックス化する改造工事である。内容は1987年から施工された松本運転所(現在:[[松本車両センター]])所属の「[[あずさ (列車)|あずさ]]」充当用[[国鉄183系電車#グレードアップ改造|183系1000番台グレードアップ車]]に準した以下で解説するものである。
* 外部塗装を白地に緑と青の帯を配する'''上沼垂色'''{{Refnest|group=注|雪国のスノーホワイトを基調に日本海のマリンブルーと越後平野のプレイングリーンを配する<ref>鉄道ファン1989年4月号 p.32</ref>。}}へ変更
* 普通車座席を背面テーブル付R55型リクライニングシートへ交換
:* 大阪方1号車 - 3号車・5号車・6号車の普通車指定席はシートピッチを970mmへ拡大し定員4名減
:* 新潟方7号車 - 9号車の普通車自由席はシートピッチ910mmのままアコモデーション改善を実施
* 4号車に組成されるサロ481形グリーン車はシートピッチをそのままにC席を独立させた1+2配置の3列式とし従来より座面横幅の広いシートへの交換により定員36名に変更
* 指定席車両は座席部分の床を70mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大し内窓カバーパネル(窓キセ)を[[繊維強化プラスチック|FRP]]製に変更
* 荷棚を読書灯付の物に交換
* 仕切ドアを自動ドアに改造し上部にデジタル時計と案内表示器を設置
* [[百円硬貨]]専用→[[テレホンカード]]式の[[公衆電話]]を新設
* 洗面所をリニューアル
; 該当車の車両番号ならびに編成組成は[[#新潟車両センター〈新ニイ〉]]を参照のこと。
 
1998年の運用減ならびに3000番台R編成落成により自由席に組成されていた初期型・中期型MM'ユニットならびにクハ481形ボンネット車と753が運用を外れ8編成→5編成に縮小、さらに2001年3月3日ダイヤ改正で9両編成としての運用が終了し廃車となった車両を除き以下の編成に組成された。
* T19編成→勝田車両センターK60編成
* T22編成→T21編成MM'ユニットと6両で長野総合車両センターへ転出しジョイフルトレイン「彩(いろどり)」へ改造
* MM'ユニット3組:新潟残留でそれぞれT14・T16・T17編成に組成<ref group="注">自由席となる4・5号車に組成。これは未改造車に比較すると定員が4名減となるため指定席となる2・3号車への組成を避けたことによる。</ref>され定期運用終了する2015年まで充当。
 
また、上沼垂色は後に同センター配置車両のうちジョイフルトレイン・3000番台車・国鉄色車を除いた車両へ施工し、所属車の標準色ともいえる形で採用された。
 
===「あいづ」用改造===
1993年に「[[あいづ]]」は[[郡山駅 (福島県)|郡山]]発着となった際に独自の改装を施工した専用編成が用意された。その後「あいづ[[デスティネーションキャンペーン]]」で復活した際も独自改造が行われた専用編成が投入されている。全編成とも仙台車両センターに所属し郡山総合車両センターが改造施工を担当した。
 
====「ビバあいづ」編成====
[[File:JRE-485-VivaAidu.JPG|thumb|200px|right|「ビバあいづ」]]
1993年12月1日から郡山 - [[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]間で運転開始された特急「ビバあいづ」に充当された編成。1993年7月・8月に勝田電車区所属の6両編成を仙台運転所へ転出させ、1993年11月までに郡山工場で以下の改造を施工した。
* 銀色をベースとした専用塗装。
2,482 ⟶ 2,240行目:
|}
 
====3000番台====
====「あいづデスティネーションキャンペーン」編成====
{{Double image aside|right|Limited Express Aizu 2005 color.jpg|200|485 Rapid Aizu-Liner at Aizuwakamatsu Station in Spiring.jpg|180|2005年改造車|2006年改造車}}
{{Double image aside|right|JNR 485 series 161.JPG|190|JNR 485 series 163.JPG|190|2006年改造車 車内|交換された座席}}
2002年11月8日付で元青森運転所A7編成が仙台運転所へ転入。2002年12月1日より列車名を「あいづ」「ホリデーあいづ」に改称して充当されたが、2003年10月1日ダイヤ改正で快速「あいづライナー」に格下げとなった。しかし同列車も2004年10月15日に廃止となり、元A7編成は事実上の休車となった。
 
2005年7月1日から「あいづデスティネーションキャンペーン」開催に合わせて7月1日は「オープニングあいづ」として会津若松→喜多方を片道運行。翌2日から[[新宿駅|新宿]] - [[喜多方]]間の特急「あいづ」1往復ならびに郡山 - 会津若松・喜多方間の特急「アクセスあいづ」2往復が運転されることになり<ref group="注">「あいづ」は土休日を中心に、「アクセスあいづ」は平日を中心に運転されるため両列車が同日に運転されることはない。また、車両は東大宮もしくは会津若松で夜間滞留となり、所属の仙台車両センターへは月1回検査のため平日に出入が行われ、その際には「アクセスあいづ」は運休となった。</ref>、元A7編成を2005年6月までに後述する改造を施工して充当。2005年9月まで運転されたのち2005年12月15日付で[[小山車両センター]]へ転出した。
 
2006年も「この夏も会津へ2006キャンペーン」が開催されることになり、元青森運転所A3編成が2006年3月23日付で仙台運転所へ転入。2006年7月26日まで対応改造を施工して7月29日より上野発着の「あいづ」ならびに仙台発着の「仙台あいづ」に2006年9月まで充当された<ref group="注">両列車とも磐越西線郡山 - 喜多方間は共通のダイヤ設定とし、平日は仙台発着、土曜・休日は上野発着とした。</ref>。
 
いずれの編成も以下の共通する改造を郡山総合車両センターで施工した。
*クロハ481形をクハ481形に復元。
*座席交換とシートピッチの拡大(1100mm定員380名→319名)。
*首都圏乗入運用対応のためATS-Pならびにデジタル列車無線機を搭載。
:*2006年度改造車は海峡線用ATC-Lを撤去し[[自動列車停止装置#ATS-Ps|ATS-Ps]]を追加搭載。
*外板塗装の変更。
:*2005年度改造車は[[東武100系電車]]と同色塗装<ref group="注">後に「日光・きぬがわ」用へ転用改造することを前提としていたため。</ref>。
:*2006年度改造車は[[会津大学短期大学部]]学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装。
{{vertical images list
|幅=200px
|1=485 G58 Nikko omiya.JPG
|2=再改造後の2005年改造車
|3=Series485-A1A2.jpg
|4=国鉄色化後の2006年改造車
}}
2005年度改造車は、小山転出後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を3000番台に準じた1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・[[自動列車停止装置#東武鉄道TSP式(多変周式・パターン照査型)・東京都交通局T形ATS|東武形ATS]]と[[列車無線]]ならびに自動放送装置搭載などの再改造を郡山総合車両センターで施工。2006年3月18日から[[東武鉄道]]乗入特急「日光・きぬがわ」に投入されたが、[[JR東日本253系電車|253系]]1000番台の投入に伴い2012年2月10日付で仙台車両センターへ再度転出。「あいづライナー」運用に充当されたが、老朽化により2015年7月3日付で廃車された<ref name="hensei16w356" />。
 
2006年度改造車は仙台所属のまま引き続き快速「あいづライナー」運用へ充当されたが、2007年 - 2010年まで夏期キャンペーン期間のみ「あいづ」へ充当された<ref group="注" name="Aizu_Linner"/><ref group="注">2009年7月4日・7月5日の「あいづ」には車両運用の都合で新潟車両センター所属T18編成が充当された。</ref>。2011年6月には国鉄色への塗装変更を施工。2012年2月に「あいづライナー」をA3・A4編成充当に変更した以降は波動対応ならびにA3・A4編成の予備として運用されたが、老朽化により2016年8月4日付で廃車された<ref name="JRR 2017W 356"/>。
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
|-
!rowspan="2"|改造<br>年次
|colspan="6"|{{TrainDirection|上野・新宿・郡山・喜多方|会津若松・仙台}}
|-
!クハ481!!モハ484!!モハ485!!モハ484!!モハ485!!クハ481
|-
!2005年
|334||colspan="2"|1058||colspan="2"|1055||1017<ref group="注">クロハ481-1014より復元</ref>
|-
!2006年
|1016||colspan="2"|1077||colspan="2"|1032||1015<ref group="注">クロハ481-1013より復元</ref>
|}
 
===3000番台===
[[File:Limited express hakucho 485-3000 bandai.JPG|200px|thumb|right|3000番台<br>青森車両センター所属車]]
JR東日本が青森運転所・上沼垂運転区所属の1000番台車を中心に施工した大幅なリニューアル工事による番台区分。土崎工場(現在:[[秋田総合車両センター]])とMM'ユニットの一部のみ青森運転所東派出所<ref group="注">青森での改造車も最終の塗装行程は土崎工場で実施。</ref>で改造を施工した。青森運転所所属車は1995年度から1999年度にかけて6両編成7本・増結用MM`ユニット3組の48両に、上沼垂運転区所属車は1996年度から2000年度にかけて、9両編成2本・6両編成5本の48両に施工された。
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制御装置・方式などは在来車と共通のため混結運用は可能だが営業運転での実績はない。
 
=====配置基地別の相違=====
青森車と新潟車については以下の違いがある。
{{Double image aside|right|JR East 485-3000 Tsugaru-Imabetsu.jpg|190|Inaho express 2.jpg|190|青森車両センター所属車|新潟車両センター所属車}}
2,663 ⟶ 2,380行目:
:*非対応の制御車は、2006年にクロハ481-3020・クハ481-3350が新潟へ転出。クロハ481-3021・クハ481-3005が2016年12月に廃車
 
=====形式=====
表中の施工工場・配置車両基地は竣工当時の名称で記載し、以下に読み替える。
*青森東派→青森運転所東派出所
2,839 ⟶ 2,556行目:
|}
 
====「あいづデスティネーションキャンペーン」向け改造====
===訓練車===
{{Double image aside|right|Limited Express Aizu 2005 color.jpg|200|485 Rapid Aizu-Liner at Aizuwakamatsu Station in Spiring.jpg|180|2005年改造車|2006年改造車}}
[[File:JREast485K26.jpg|thumb|200px|勝田電車区訓練車K26編成]]
{{Double image aside|right|JNR 485 series 161.JPG|190|JNR 485 series 163.JPG|190|2006年改造車 車内|交換された座席}}
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にしたモヤ484形訓練車が改造で落成した。
2002年11月8日付で元青森運転所A7編成が仙台運転所へ転入。2002年12月1日より列車名を「あいづ」「ホリデーあいづ」に改称して充当されたが、2003年10月1日ダイヤ改正で快速「あいづライナー」に格下げとなった。しかし同列車も2004年10月15日に廃止となり、元A7編成は事実上の休車となった。
 
2005年7月1日から「あいづデスティネーションキャンペーン」開催に合わせて7月1日は「オープニングあいづ」として会津若松→喜多方を片道運行。翌2日から[[新宿駅|新宿]] - [[喜多方]]間の特急「あいづ」1往復ならびに郡山 - 会津若松・喜多方間の特急「アクセスあいづ」2往復が運転されることになり<ref group="注">「あいづ」は土休日を中心に、「アクセスあいづ」は平日を中心に運転されるため両列車が同日に運転されることはない。また、車両は東大宮もしくは会津若松で夜間滞留となり、所属の仙台車両センターへは月1回検査のため平日に出入が行われ、その際には「アクセスあいづ」は運休となった。</ref>、元A7編成を2005年6月までに後述する改造を施工して充当。2005年9月まで運転されたのち2005年12月15日付で[[小山車両センター]]へ転出した。
;モヤ484-1・2
:1がモハ484-60を種車に青森運転所で、2がモハ484-61を種車に郡山工場で改造施工。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや[[視聴覚教育]]用[[ディスプレイ (コンピュータ)|モニタ]]、ビデオを搭載するためのラックを装備する。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別される。
 
2006年も「この夏も会津へ2006キャンペーン」が開催されることになり、元青森運転所A3編成が2006年3月23日付で仙台運転所へ転入。2006年7月26日まで対応改造を施工して7月29日より上野発着の「あいづ」ならびに仙台発着の「仙台あいづ」に2006年9月まで充当された<ref group="注">両列車とも磐越西線郡山 - 喜多方間は共通のダイヤ設定とし、平日は仙台発着、土曜・休日は上野発着とした。</ref>。
訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に以下の2編成<ref group="注">どちらもクハ481形は481系時代に向日町運転所と483系時代に仙台運転所に新製配置された車両で、電動車も1972年製造の仙台→青森→仙台→勝田と同じ経歴を持つユニットで組成された。</ref>が配置された。
 
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
いずれの編成も以下の共通する改造を郡山総合車両センターで施工した。
*クロハ481形をクハ481形に復元。
*座席交換とシートピッチの拡大(1100mm定員380名→319名)。
*首都圏乗入運用対応のためATS-Pならびにデジタル列車無線機を搭載。
:*2006年度改造車は海峡線用ATC-Lを撤去し[[自動列車停止装置#ATS-Ps|ATS-Ps]]を追加搭載。
*外板塗装の変更。
:*2005年度改造車は[[東武100系電車]]と同色塗装<ref group="注">後に「日光・きぬがわ」用へ転用改造することを前提としていたため。</ref>。
:*2006年度改造車は[[会津大学短期大学部]]学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装。
{{vertical images list
|幅=200px
|1=485 G58 Nikko omiya.JPG
|2=再改造後の2005年改造車
|3=Series485-A1A2.jpg
|4=国鉄色化後の2006年改造車
}}
2005年度改造車は、小山転出後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を3000番台に準じた1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・[[自動列車停止装置#東武鉄道TSP式(多変周式・パターン照査型)・東京都交通局T形ATS|東武形ATS]]と[[列車無線]]ならびに自動放送装置搭載などの再改造を郡山総合車両センターで施工。2006年3月18日から[[東武鉄道]]乗入特急「日光・きぬがわ」に投入されたが、[[JR東日本253系電車|253系]]1000番台の投入に伴い2012年2月10日付で仙台車両センターへ再度転出。「あいづライナー」運用に充当されたが、老朽化により2015年7月3日付で廃車された<ref name="hensei16w356" />。
 
2006年度改造車は仙台所属のまま引き続き快速「あいづライナー」運用へ充当されたが、2007年 - 2010年まで夏期キャンペーン期間のみ「あいづ」へ充当された<ref group="注" name="Aizu_Linner"/><ref group="注">2009年7月4日・7月5日の「あいづ」には車両運用の都合で新潟車両センター所属T18編成が充当された。</ref>。2011年6月には国鉄色への塗装変更を施工。2012年2月に「あいづライナー」をA3・A4編成充当に変更した以降は波動対応ならびにA3・A4編成の予備として運用されたが、老朽化により2016年8月4日付で廃車された<ref name="JRR 2017W 356"/>。
{|class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center;"
|-
!rowspan="2"|編成番号改造<br>年次
|colspan="46"|{{TrainDirection|上野・新宿・郡山・喜多方|青森会津若松・仙台}}
|-
!クハ481||style="background-color:#ee82ee;"|!!ハ484!!モハ485!!モハ484||!!モハ485||!!クハ481
|-
!2005年
!青森運転所A13編成
|334||colspan="2"|1058||colspan="2"|1055||1017<ref group="注">クロハ481-1014より復元</ref>
|16||style="background-color:#ee82ee;"|1||60||24
|-
!2006年
!勝田電車区K26編成
|1016||colspan="2"|1077||colspan="2"|1032||1015<ref group="注">クロハ481-1013より復元</ref>
|26||style="background-color:#ee82ee;"|2||61||17
|}
2001年には勝田所属のクハ481-17が60 Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車。勝田車も2007年に青森方2両が廃車、上野方2両は[[#静態保存車|復元工事を実施し鉄道博物館に静態保存]]された。
 
===金沢運転所所属グレードアップ JR西日本の改造車 ===
====クロ480形1000・2300番台====
;1001 - 1004・2301
1000番台は1988年に「北越」短編成化に伴い組成された金沢運転所O編成用に吹田工場で改造された区分。種車がサロ489形1000番台のために210kVA MG・CPを搭載するほか、台車はTR69Hを装着する。0番台同様に前位側トイレ・洗面所区画を台枠ごとカットし新たに別途製造済の運転台を接合したほか、後位側に車掌室・車販準備室のほか電話室を設置する。
 
2301は1991年に「かがやき」用S編成にグリーン車組込むため1002に転用改造を吹田工場で施工した区分。クロ481形2300番台同様に座席配置を2+1とし床面を50mm嵩上げ、またトイレ・洗面所のリニューアルにより同部分の小窓を埋込とし、車掌室・車販準備室を撤去した上で方向幕は客室化した部分の客窓上部に移設などグレードアップ化を実施した。
 
2002年にO編成・S編成を統合する形で全車「加越」用K編成に転用されたが、2004年の「加越」「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となり1000番台は廃車。2301は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A10編成に組成されたが、2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!style="background-color:#cf9;"|サロ489
|style="background-color:#cf9;"|1002||style="background-color:#cf9;"|1005||style="background-color:#cf9;"|1008||style="background-color:#cf9;"|1010
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロ480
|style="background-color:#cf9;"|1001||style="background-color:#cf9;"|1002|| style="background-color:#cf9;" |1003||style="background-color:#cf9;"|1004
|-
!クロ480
|
|2301
|
|
|}
 
====「かがやき」「きらめき」グレードアップ改造車====
{{Vertical_images_list
|幅=200px
|1=JNR kagayaki 485.jpg
|1=JR West raicho kuha481-801 superraichocollar tsuruga.jpg
|2=「かがやき」用S編成
|2=グレードアップ改造施工車<br>画像は「スーパー雷鳥」
|3=JR West raicho kuha481-801 superraichocollar tsuruga.jpg
|4=「スーパー雷鳥」転用後のグレードアップ改造施工車
}}
JR西日本が1988年3月13日ダイヤ改正で運転開始した「かがやき」「きらめき」に充当する金沢運転所S編成に施工した専用塗装化ならびに内装をデラックス化する改造工事である。
2,883 ⟶ 2,642行目:
S編成充当車は1997年に一部が「はくたか」用V編成にならびに「加越」用K編成に、R編成充当車は2001年に一部が「しらさぎ」用Y編成などに転用されたが、いずれも2003年までに金沢での運用を終了。一部は京都総合運転所に転出し「雷鳥」などで運用され、2011年8月までに廃車となった。
 
====モハ489形「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車====
===JR九州改修車===
;「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
1989年に金沢運転所所属で「白山」用H編成の6号車に組成されるモハ489-18 - 21へ車両番号は変更せず松任工場で施工された以下の改造である。
* 客室はユニットを組むモハ488形寄り側窓4区画分の定員32名に変更
* 客室に続く側窓1枚分区画は仕切りとし客室側半区画は窓を埋込とし残り半分のラウンジ側は外気取り入れ可能な上段下降式窓へ変更
* 客室寄り側窓2枚分区画はフリーラウンジスペースとして1位側・3位側に波形テーブルと丸椅子 2位側・4位側にテーブルとソファを設置
* デッキ寄り側窓2区画は1位側・3位側が[[流し台]]を備えたカウンター 2位側・4位側が窓を埋込とし冷蔵ケースや商品陳列棚としたコンビニエンススペースとした
* カウンター妻面には[[冷蔵庫]]ならびに[[電子レンジ]]も装備し[[レトルト食品|レトルト]]や[[冷凍食品]]であるものの[[カレーライス]]・[[鰻丼]]・[[おでん]]・[[たこ焼き]]などの軽食を加熱して供した
* 洗面所とトイレは倉庫などの業務用室に変更し電動行先表示機を使用停止
コンビニエンス営業は「白山」のみで行われ、他の列車では専ら車内販売の基地として使用された。
 
1997年にH編成1本減で18が波動輸送対応用Z01編成に転用されたが1998年に廃車。残りの3両は1997年の「白山」廃止後も引き続きH編成に組成され「能登」で運用され続けたが、コンビニエンス営業が終了となったことから冷蔵ケースや商品陳列棚を撤去し[[清涼飲料水]]の[[自動販売機]]を設置。2010年の運用終了後は2012年までに廃車となった。
 
==== クロ481形2000・2100番台 ====
;2001 - 2005・2101
<gallery perrow="2" widths="180" style="float:right; font-size:90%;">
File:JRWest-kuro481-2002.jpg|クロ481-2002<br>旧国鉄色
File:JR EC Tsc481-2002.jpg|クロ481-2002<br>しらさぎ色
File:JR West 485 superraicho 7.jpg|クロ481-2101<br>スーパー雷鳥色(旧塗り分け)<br>客室窓配置に相違
File:In car of Type Tsc485-2000 japan.JPG|しらさぎリニューアル以後の客室内
</gallery>
[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#3月11日|1989年3月11日ダイヤ改正]]で「スーパー雷鳥」が運転開始されることに伴い、同列車充当金沢運転所R編成用に[[西日本旅客鉄道吹田工場|吹田工場]]でサロ489形1000番台・サハ481形100番台へ施工した先頭車化ならびにグレードアップリニューアル改造である。
 
2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なるが、以下は共通する施工内容である。
*前頭部を流線型とし、前面展望を可能とするパノラマ運転台は、客室より低い位置に傾斜角をつけて設置。
*前灯・尾灯はフロントガラス下部へ並列にまとめてケース内設置としたほか、フロントガラス内上部にも前灯を2基搭載する。
*シートは乗客用扉から運転席に向かって通路を挟み向かって左側が2席、右側が1席の2+1配置<ref group="注">展望の観点からシートのヘッドレスト部分が小型化されるなど以後のJR西日本におけるパノラマ型[[展望車]]の基礎となった。</ref>とした上で床面を150mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大。また、2001 - 2005は車掌室を、2101は車販準備室をそれぞれ客室化。
*塗装はオイスターホワイト(白)を基調とし、JR西日本のコーポレートである青色帯の上にピンク色のピンストライプを巻いた「スーパー雷鳥」専用色に変更。
:*落成直後は側面帯を正面まで回り込む仕様とされたが、短期間のうちに乗務員扉付近とライトケース周囲で帯を分断する仕様に変更し、乗務員扉と客窓間・正面フロントガラス下部運転席側に青色のJRマークを追加した。
*MGは種車の床下搭載をそのまま継承したが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台へ移設となったことから、事実上のユニットとなった。「しらさぎ」転用時にサロ481形2000番台が廃車となったために以後は次位にCP搭載改造を施工したモハ485形500番台+モハ484形ユニットを連結することが限定された。
 
[[2000年代のJRダイヤ改正#3月3日|2001年3月3日ダイヤ改正]]で683系電車「サンダーバード」投入により「スーパー雷鳥」が廃止されたため塗装変更と内装リニューアルを施し2001年7月12日より「しらさぎ」用Y編成に転用。2003年7月19日に「しらさぎ」も683系へ置換えられたため京都総合運転所へ転出。旧国鉄色へ塗色変更し「雷鳥」用A01 - A06編成に組成され2001年9月20日から2011年3月11日まで運用されたのち、全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!colspan="8"|クロ481-2001 - 2005・2101改造一覧
|-
|rowspan="2"|種車
!style="background-color:#cf9;"|サロ489
|style="background-color:#cf9;"|1001||style="background-color:#cf9;"|1006||style="background-color:#cf9;"|1003||style="background-color:#cf9;"|1007||style="background-color:#cf9;"|1009||style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!サハ481
|colspan="5" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||118
|-
!colspan="2" style="background-color:#cf9;"|クロ481
|style="background-color:#cf9;"|2001||style="background-color:#cf9;"|2002||style="background-color:#cf9;"|2003||style="background-color:#cf9;"|2004||style="background-color:#cf9;"|2005||style="background-color:#cf9;"|2101
|}
 
====サロ481形2000番台====
;2001 - 2006
[[File:JR EC Ts481-2005.jpg|thumb|200px|right|サロ481-2005]]
JR西日本が1989年と1991年に吹田工場でサロ481形500番台のうち6両を「スーパー雷鳥」用に再改造したための区分。大元となったサシ481形の車体構造を踏襲するが、編成を組成する上で隣接するクロ481形2000番台・2100番台が当初は富山方先頭車となるため方向転換を実施した上で「スーパー雷鳥」色へ塗装変更を含み以下の改造を施工した。
*クロ481形と連結する業務用室は側窓埋込が行われたが、サシ481形時代に設置されていた妻面の回送運転台用窓は残存。また、クロ481形には側面方向幕を搭載しないため新たに方向幕を新設。
:*また、1989年改造の2001-2004については、車端部の手すりの撤去と窪みの埋め込みも行われている。1991年に追加改造された2005・2006は手すりを残置。
*500番台時代の座敷は側窓4枚分はクロ481形へ向かって左側2席・右側1席ならびにシートピッチ1180mmの2+1配置6列定員18名のリクライニングシート<ref group="注">クロ481形2000番台・2100番台同様の配置であるが、背摺りは前方眺望を考慮する必要がないためヘッドレストは小型化していない一般形状。</ref>を装備するグリーン客室へ変更した上で床面を150mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大。
*客室に続く側窓1区画は埋込とし仕切壁・ビデオデッキ&モニターテレビ機器室・カード式公衆電話室を設置。
*500番台時代のビュフェをコンビニエンスラウンジに変更。
:*ラウンジ部は1位側・3位側は大型ソファーをコの字状に配置。2位側・4位側はサシ481形時代の通路窓で高位置となることから、背もたれが無い床机状のソファーを縦に3席配置して窓下に長テーブルを設置。落成直後の色調は[[バブル景気|バブル期]]を反映して壁面は白、座席は薄紫を基調としたが、後年に茶色を基調としたシックで落ち着いた和の雰囲気に変更された。
:*ビュフェカウンター部<ref group="注">サシ481形では調理室車端部寄りの一角。</ref>を売店とし、商品陳列棚・ジュースクーラー・冷蔵ショーケースなどを設置。ほぼ同時期に改造されたモハ489形ラウンジ&コンビニエンスカーと同様に冷蔵庫ならびに電子レンジも装備した。また、床面はローンテックスを施工した上でタイルカーペットを敷設。
 
500番台時代から引き続き外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。また、同時に改造されたクロ481形2000番台・2100番台の種車はサロ489形1000番台・サハ481-118であったことからMG・CP搭載をしていたが、本改造でCPを本車へ移設したため常時次位で連結された。しかし2001年の「しらさぎ」転用では編成対象から外れて廃車されたことから、CPはモハ485形500番台に再移設。台車は新たに改造されるサハ481形600番台・700番台に転用された。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="11"|サロ481形500番台・2000番台改造一覧
|-
|種車
!style="background-color:#ff9;"|サシ481
|style="background-color:#ff9;"|54||style="background-color:#ff9;"|55||style="background-color:#ff9;"|69||style="background-color:#ff9;"|70||style="background-color:#ff9;"|71||style="background-color:#ff9;"|73||style="background-color:#ff9;"|74||style="background-color:#ff9;"|81||style="background-color:#ff9;"|82
|-
!rowspan="2" style="background-color:#cf9;"|サロ481||style="background-color:#cf9;"|500番台
|style="background-color:#cf9;"|501||style="background-color:#cf9;"|502||style="background-color:#cf9;"|503||style="background-color:#cf9;"|504||style="background-color:#cf9;"|505||style="background-color:#cf9;"|506||style="background-color:#cf9;"|507||style="background-color:#cf9;"|508||style="background-color:#cf9;"|509
|-
!style="background-color:#cf9;"|2000番台
|style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|2001||style="background-color:#cf9;"|2002||style="background-color:#cf9;"|2003||style="background-color:#cf9;"|2004||colspan="2" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||style="background-color:#cf9;"|2006||style="background-color:#cf9;"|2005
|}
|-
|
;備考
* 種車となったサシ481形のうち81・82はサシ489-10・11からならびに1000番台対応引通線追加改造車
|}
 
====サロ489形100番台====
[[File:1992-8-11-saro489-101.JPG|thumb|200px|サロ489-101]]
;101
1988年にクロ481-2101への改造が予定されていたサハ481-118にMGを、サロ481-2006へCPを供出するためサロ489-1004に松任工場で撤去工事を施工した区分。サロ489形1000番台は本車を除いてすべて制御車化改造が施工されたため新製時の車体を維持する唯一の車両である。
 
改造後も引き続き新製配置の金沢運転所で「しらさぎ」「加越」「北越」などに充当されたが、681系電車・683系電車への置換えで運用離脱となり2003年に廃車。
 
==== 向日町運転所100番台車キハ65形連結改造 ====
[[File:JR EC Tc481-122.jpg|thumb|200px|right|クハ481-122<br>キハ65形連結改造車]]
1986年12月から大阪 - [[和倉温泉駅|和倉温泉]]間に[[国鉄キハ65形気動車|キハ65形]]改造車で臨時特急「[[ゆぅトピア|ゆぅトピア和倉]]」が運転開始されたが、金沢以西は「雷鳥」に無動力で牽引される方法が採られた。当初は向日町運転所所属のクハ481形200番台・300番台車で限定運用されたが、1989年3月以降運用上の制約を避けるため同所所属のクハ481-101・103・105・106・111・112・118 - 123へ電車の連結器交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器装備などを施工した改造である<ref group="注">後に「[[ゴールデンエクスプレスアストル]]」や「シュプール&リゾート」でもこの機能が発揮された。</ref>。
 
なお、本改造はJR東日本勝田電車区0番台車2編成連結運転対応改造との相違点として、方向転換を考慮して両渡り構造を採用したが、本系列のみによる分割併合運用に対応させる目的はないため、高圧三相引通用KE9形ジャンパ連結器は装備しない。
 
==== クロ481形2200・2300番台 ====
[[File:JR EC Tsc481-2201.jpg|200px|thumb|right|クロ481-2201]]
;2201
1990年から「かがやき」と運用分離されていた「きらめき」も1992年3月14日のダイヤ改正でモノクラス4両→6両グリーン車組込編成で共通運用化されることになり、松任工場でクハ481-224に施工した以下のグリーン車化改造で後述する2300番台とほぼ同様の内容であるが、本区分は種車がクハ481形200番台によるものである。
*座席を2+1配置12列に変更。
*妻面[[ダクト]]を新形状の物へ交換
*洗面所部に設置されていた側面方向幕を客室窓上へ移設。
 
[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#3月22日|1997年3月22日ダイヤ改正]]で「かがやき」「きらめき」が廃止となったため旧国鉄色に変更し「加越」「北越」に転用。さらに2002年には「加越」専従のK編成に組成されたが、[[2000年代のJRダイヤ改正#10月1日|2003年10月1日ダイヤ改正]]で「加越」が「しらさぎ」に統合され683系化されたことに伴い廃車。
 
[[File:1992-8-kuro481-2303.JPG|200px|thumb|right|クロ481-2303]]
;2301 - 2303
1991年に「かがやき」用S編成へグリーン車連結のため吹田工場でクハ481形300番台を種車にグリーン車化改造を施工した区分。改造内容は前述の2201に準ずる。
 
1997年3月22日ダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となり、2301は旧国鉄色に変更され「加越」「北越」用に、2302・2303は新塗装に変更し「はくたか」用V編成に転用されたが、[[2000年代のJRダイヤ改正#3月23日|2002年3月23日のダイヤ改正]]で「はくたか」の681系電車置換えにより後述2両も旧国鉄色へ変更した上で2301も含めて「加越」用K編成へ転用された。
 
2003年に「加越」の「しらさぎ」統合ならびに683系電車化で余剰となるが、3両とも京都総合運転所へ転出して「雷鳥」用A編成に組成転用された。2009年に「雷鳥」運用減で福知山電車区へ転出し183系電車化改造が施工されたが、2011年に廃車となった。
 
====クモハ485形200番台====
;201 - 207
[[File:JR West 485 superraicho 3.jpg|thumb|200px|right|クモハ485形200番台]]
1991年に「スーパー雷鳥」の[[七尾線]]乗り入れに伴う付属編成用として吹田・松任の両工場でモハ485形へ以下の改造を施工。
*前位に切妻貫通型の運転台を設置し制御電動車化。
*後位車端に電話室を設置。
*指定席車仕様として座席床面を70mm嵩上、R55系フリーストップリクライニングシートを1010mmピッチで配置し、定員は60名。
*前位側台車は種車のDT32E形に手ブレーキ装置とスノープロウなどを取付たWDT32形に変更
 
1995年の付属編成方向転換時に205が運用を外れ休車。1997年には201・203・204は「しらさぎ」運用へ転用された際に分割併合作業軽減化の観点から電気連結器を装着。2001年の編成変更の際にはユニットを組むモハ484形が組み替えられ、2003年まで運用された。
 
「スーパー雷鳥」用に残存した202・206・207は2001年の運用終了後は休車となり、2003年に205は廃車、残存車は交流機器使用停止措置の上でクモハ183形200番台に改造された。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|219||220||235||236||246||247||239
|-
!クモハ485
|201||202||203||204||205||206||207
|-
!(クモハ183)
|201||202||203||204||style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||205||206
|}
 
====モハ485形500番台====
;501 - 506
[[File:Moha485-501.JPG|thumb|200px|right|モハ485-501]]
「スーパー雷鳥」編成に組成されるクロ481形2000番台・2100番台は床下にMGを搭載するが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台に移設されていた。しかし、2001年に「しらさぎ」へ転用する際にサロ481形が編成から外れ廃車となることから、新たにクロ481形の次位に連結されるモハ485形へCPを金沢総合車両所で移設したことにより改番した区分である。
 
本区分は「スーパー雷鳥」へグレードアップする工事を施工した際にトイレ・洗面所を電話室と清涼飲料水自動販売機スペースへ変更していたことから、同時に撤去した床下水タンク跡にCPを搭載する。
 
「しらさぎ」運用終了後は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用され2011年までに全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!rowspan="2"|モハ485
|234||222||218||232||248||237
|-
|501||502||503||504||505||506
|}
 
==== サハ481形500・600番台 ====
[[File:JR EC T481-501.jpg|thumb|200px|right|サハ481-501<br>「しらさぎ」色]]
;501 - 503
「しらさぎ」用付属編成捻出により「スーパー雷鳥」用編成3本が10両貫通固定編成化されることになり、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造。外観は種車と大差ないが、グレードアップ化で指定席車両となることから、床面を70mm嵩上げした上でシートピッチを1010mmとしたことで窓配置と座席間隔が一致しない。
 
2001年に「しらさぎ」へ転用、2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
{{-}}
 
[[File:Saha481-601.JPG|thumb|200px|right|サハ481-601]]
;601 - 604
2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用時にサハ481形が4両不足したことから金沢総合車両所でモハ484形を電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用されたほか、種車は指定席用グレードアップ改造を施工済。2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
 
602は「かがやき」用S編成時代にトイレ・洗面所を撤去し電話室と自販機が設置されたが本改造時に復元された。
{{-}}
 
[[File:JR EC T481-702.jpg|thumb|200px|right|サハ481-702]]
;701・702・751
2003年の「しらさぎ」「加越」への[[JR西日本683系電車|683系電車]]投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500番台・600番台の7両では不足することから、金沢総合車両所でモハ485形を電装解除して充当したための区分。
 
「雷鳥」では2号車 - 4号車を指定席用シートピッチ1010mm車に統一する必要性から全車モハ485形時代にグレードアップ工事を施工済。また、751は種車が1000番台による区分である。2011年までに全車廃車となった。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="12"|サハ481形500・600・700番台改造一覧
|-
|rowspan="3"|種車
!style="background-color:#cf9;"|サロ481
|style="background-color:#cf9;"|66||style="background-color:#cf9;"|121||style="background-color:#cf9;"|131||colspan="7" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!モハ484
|colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||333||335||332||321||colspan="3" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!モハ485
|colspan="7" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||227||228||1029
|-
!colspan="2"|サハ481
|501||502||503||601||602||603||604||701||702||751
|}
 
==== クロ481形2350番台 ====
;2351
「スーパー雷鳥」編成に組成されていたクロ481-2001 - 2005・2101は、2001年に「しらさぎ」転用されたが、その際に基本編成は6本→7本になることからクロ481形は1両不足となった。このためクハ489-301に金沢総合車両所で施工したグリーン車化改造である。
 
2201・2300番台と同様に座席は2+1配置12列の定員36名へ変更したほか、床面を50mm嵩上げ。車掌室ならびに業務用控室は省略する。2300番台とほぼ同様の改造形態であるが、種車が2300番台はクハ481形300番台であるのに対し本車はクハ489形300番台による区分であり、CPは床下搭載となるために助手席(1位側)下部のCP用機器搬入口が無く、前面ジャンパ連結器もクハ489形時代のままで側面方向幕の客室窓上移設は未施工でトイレ・洗面所設置のままなど相違がある。
 
「しらさぎ」の683系電車化に伴い、2003年7月19日に廃車。
{|style="font-size:90%;"
|-
|
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:100%;"
|-
!colspan="7"|クロ481-2201・2301 - 2303・2351改造一覧
|-
|rowspan="2"|種車
!クハ481
|224||307||325||327||style="background-color:#ddd;"|&nbsp;
|-
!クハ489
|colspan="4" style="background-color:#ddd;"|&nbsp;||301
|-
!colspan="2" style="background-color:#cf9;"|クロ481
|style="background-color:#cf9;"|2201||style="background-color:#cf9;"|2301||style="background-color:#cf9;"|2302||style="background-color:#cf9;"|2303||style="background-color:#cf9;"|2351
|}
|-
|
;備考
* 2301 - 2303は2009年にクロ183-2707 - 2709へ改造
|}
 
=== JR九州の改造車 ===
====クロハ481形0番台====
クロハ481形は特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
 
;1 - 13
{{Double image aside|right|JRkyushu-kuroha481-5.jpg|200|JRK kuroha481-5 Green Careen.jpg|150|クロハ481-5|グリーン室}}
民営化後の1987年 - 1988年にJR九州小倉工場で計13両が改造された区分。
*1 - 8は種車がクハ481形200番台。
*9 - 13は種車がクハ481形300番台
*グリーン席は3列×5席。
1993年に1がクハ481-226に復元。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。
 
====クロハ480形50番台====
;50番台
1987年 - 1988年に小倉工場でクロ480形へ前位側グリーン席5列を残して後位側を普通車化改造したグループ。52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!style="background-color:#cf9;"|クロ480
|style="background-color:#cf9;"|11||style="background-color:#cf9;"|12
|-
!style="background-color:#cf9;"|クロハ480
|style="background-color:#cf9;"|51||style="background-color:#cf9;"|52
|}
 
====「RED EXPRESS」シリーズへの改造====
{{vertical images list
|幅=200px
2,972 ⟶ 2,973行目:
{{-}}
 
====クロ481形300番台====
===ジョイフルトレイン===
[[File:JR EC Tsc481-301.jpg|thumb|200px|right|クロ481-301]]
本系列をベースとしたジョイフルトレインは以下で解説する車両があり、改造および所有はすべてJR東日本である。
;301
1990年にJR九州小倉工場(現在:[[小倉総合車両センター]])が南福岡電車区配置のクハ481-243へ施工した全室グリーン車化改造で1両のみの区分とされ、改造施工後は鹿児島運転所に配置された。
 
改造により出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓が2分割されており、シートピッチ拡大により窓配置が一致しないほか、座席は落成時が通常の2+2配置とされたものの1991年以降に実施された2+1の3列配置へグレードアップが施工された。
[[2022年]][[12月11日]]に全ての編成が運転を終了した。
<gallery widths="190" perrow="3">
File:JRE-485-yu-K30.JPG|[[リゾートエクスプレスゆう]]
File:Series485-NoDoKa.jpg|[[シルフィード (鉄道車両)|NO.DO.KA]]
File:JRE 485 Irodori 20100724.jpg|[[彩 (鉄道車両)|彩]]
File:JRE485 Utage Higashi-Koganei 20130621.jpg|[[宴 (鉄道車両)|宴]]
File:JRE485 Hana Higashi-Koganei 20130606.jpg|[[華 (鉄道車両)|華]]
File:Nnanohana2.JPG|[[ニューなのはな]]
File:Model 485 of YAMANAMI.jpg|[[リゾートやまどり#やまなみ|やまなみ]]
File:JRE-485-Seseragi.jpg|[[リゾートやまどり#せせらぎ|せせらぎ]]
File:JREast485-KiraKiraUetu.jpg|[[きらきらうえつ]]
File:JReast485_ResortYamadori.JPG|[[リゾートやまどり]]
File:Series485-Zipangu Koriyama.jpg|[[ジパング (鉄道車両)|ジパング]]
</gallery>
 
1995年4月20日ダイヤ改正で「にちりん」運用が終了し「きりしま」専従なった際にグリーン車連結を中止したため南福岡電車区へ転出。同区配置のクロ480形と「にちりん」「かもめ」で共通運用されたが、2000年3月11日ダイヤ改正で同区の全室グリーン車運用終了に伴い2000年3月31日付で廃車ならびに廃区分番台となった。
====型式====
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
全車改造車。施工内容は車体[[構体 (鉄道車両)|構体]]を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えを実施したケースなど、多種におよぶ。
!クハ481
 
|243
; モロ485形
|-
; 1 - 9
!style="background-color:#cf9;"|クロ481
2以降はすべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。2・4・8・9が公衆電話、3・5・7がトイレ・休息室・更衣室も設置する。
|style="background-color:#cf9;"|301
: 1:「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名から28名へ変更。
|}
:* サロ189-6→モロ485-1
: 2・3:「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
:* モハ485-56・37→モロ485-2・3
: 4・5:「華」の中間電動車。定員はともに28名。
:* モハ485-87・149→モロ485-4・5
: 6・7:「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
:* モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
: 8:「やまなみ」の中間電動車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
:* モハ485-58→モロ485-8
: 9:「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
:* モハ485-1071→モロ485-9
; 5007・5024
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車(5024・定員28名)にはマッサージチェア・パウダールーム、5号車(5007・定員22名)には車いす対応座席・トイレ・添乗員室を装備。
:* モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024→モロ485-5007・5024<ref name="N201_+4000kaiban"/>
 
; モロ484形
; 1 - 11
パンタグラフ付中間電動車。4以降はすべて新規製造構体に載せ換えたお座敷(和式)電車として落成した。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なりすべて1基搭載に変更されたほか、4 - 8・10・11は低屋根部をミーティングルームとした。
 
: 1:モハ484-701の項目を参照のこと。
: 2・3:「リゾートエクスプレスゆう」。1998年10月の和式化で定員が39名→32名へ変更。
:* サロ189-7・8→モロ484-2・3
: 4・5:「宴」。定員24名。
:* モハ484-56・37→モロ484-4・5
: 6・7:「華」。定員24名。
:* モハ484-87・251→モロ484-6・7
: 8・9:「ニューなのはな」。定員は畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・[[テレホンカード]]式[[公衆電話]]を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を設置。
:* モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
: 10:「やまなみ」。定員24名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* モハ484-58→モロ484-10
: 11:「せせらぎ」。定員32名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* モハ484-1071→モロ484-11
; 5007・5024
「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車(5024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能。4号車(5007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。[[ボーズ (企業)|BOSE社]]製のスピーカーと[[液晶ディスプレイ]]を設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは本系列初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである[[中央本線]]への乗り入れが可能である。
* モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024→モロ484-5007・5024<ref name="N201_+4000kaiban"/>
 
; クモロ485形
: 1:クモハ485形700番台を参照。
: 2:「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名へ変更。トイレ・洗面所を装備。
:* サロ189-5→クモロ485-2
 
; クロ481-5502・5503
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートとした。運転室背後に談話スペースとし、前面展望映像も投影可能な32V[[液晶ディスプレイ|液晶モニタ]]を設置。前面愛称表示機は市販の40Vワイド液晶モニタを搭載する。中央本線狭小トンネル対策から静電アンテナを後位に移設し、屋根上ヘッドライトを撤去した。
* クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503→クロ485-5502・5503<ref name="N201_+4000kaiban"/>
 
; クロ485形
すべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部は展望室とされた。
: 1:「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-25→クロ485-1
: 2:「華」の奇数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-21→クロ485-2
: 3:「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
:* サロ481-1007→クロ485-3
: 4:「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。2012年「ジパング」に再改造。
:* クハ481-40→クロ485-4
: 5:「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。後述するクロ484-7とともに「やまなみ」との併結運転対応からシャンパ連結器を高圧引き通し用のKE10形から総括制御用のKE70形に設計変更されたほか、外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加された。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
 
; クロ484形
3以降は新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。
: 1:クハ484-701の項目を参照のこと。
: 2:「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名から20名へ変更。
:* サロ183-1008→クロ484-2
: 3:「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-22→クロ484-3
: 4:「華」の偶数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-28→クロ484-4
: 5:「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
:* サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
: 6:「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。2012年「ジバング」へ再改造。
:* クハ481-34→クロ484-6
: 7:「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
 
; サロ485-1
{{Double image aside|right|Resort Express Yu Saro485-1.jpg|180|JR EC Ts485-1inside.JPG|160|サロ485-1|車内}}
「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型展望席のほか、ステージ・サービスカウンター・AVコントロール室で構成されたイベントスペースを設置。
* サロ481-1002→サロ485-1
{{-}}
 
====サハ481形電装解除車====
; クモハ485-701
;モハ485形電装解除車(JR九州)
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。[[国鉄165系電車|165系電車]]からの改造車である「[[パノラマエクスプレスアルプス]]」(現在:[[富士急行2000形電車|富士急行2000形]])と同じ構造で、運転席を2階<ref group="注">[[名古屋鉄道|名鉄]][[パノラマカー]]や[[小田急電鉄|小田急]][[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]]のような完全な2階建てではない。</ref> にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット敷き電車「NO.DO.KA/のどか」に改称ならびに普通車化再改造を施工。
1992年 - 1994年に鹿児島車両所・小倉工場で「[[ハウステンボス (列車)|ハウステンボス]]」編成用にモハ485形6両の電装解除をしサハ481形化した改造<ref group="注">ユニットを組成していたモハ484形は廃車。</ref>。車番は形式のみ変更を実施。2000年までに全車廃車となった。
* サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
{|class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center;"
!モハ485
|rowspan="2"|93||rowspan="2"|126||rowspan="2"|153||rowspan="2"|159||rowspan="2"|163||rowspan="2"|195
|-
!サハ481
|}
 
==他系列への改造車==
;モハ484-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。パンタグラフ部分は低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上でトイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月の再改造で定員を30名→36名に変更。
* サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
 
;クハ484-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持つ。MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用[[ディーゼルエンジン]]を床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更。
* サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
 
;モハ485-701+モハ484-702
「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で業務用室・多目的室を設置する。
 
モハ484-702は4両編成の2号車の和風ラウンジカーでパンタグラフ部分低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上で茶屋(ミニビュフェ)としたほか18名分のボックス席(フリースペース)と反対側車端部に映像ゾーンを設置。
* モハ485・484-1078→モハ485-701+モハ484-702
 
; クハ485-701・クハ484-702
「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、新規製造した構体へ載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースを設置。
* クハ481-349→クハ485-701
* サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
 
;モハ485・484-703・704
2011年に[[東急車輛製造]]で「せせらぎ」「やまなみ」の中間電動車ユニットを種車に「リゾートやまどり」用へ再改造して落成。703が2・3号車、704が4・5号車に組成される。ユニット間車両番号統一のためモハ485-702は欠番。
* (モハ485-58)→モロ485-8→モハ485-703
* (モハ485-1071)→モロ485-9→モハ485-704
* (モハ484-58)→モロ484-10→モハ484-703
* (モハ484-1071)→モロ484-11→モハ484-704
 
;クハ485・484-703
上述の「リゾートやまどり」用制御車。種車は「せせらぎ」用制御車。車両番号統一のためにクハ485-702は欠番となった。
* (サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)→クロ485-5→クハ485-703
* (サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107)→クロ484-7→クハ484-703
 
;モハ485・484-3014
[[東日本旅客鉄道盛岡支社|盛岡支社]]所有のジョイフルトレイン「ジパング」用中間電動車。2012年に青森車両センター所属だった増結用MM'ユニットから捻出され郡山総合車両センターで改造。改造に伴う改番は未実施。
 
;クハ485・484-704
上述の「ジパング」用制御車。種車は「リゾートやまどり」再改造で余剰となった「やまなみ」用クロ485形・484形で郡山総合車両センターで普通車化を含んだ再改造を施工された。
* (クハ481-40)→クロ485-4→クハ485-704
* (クハ481-34)→クロ484-6→クハ484-704
 
===他系列への改造車===
短編成化による付随車の制御車化改造ならびに余剰となったグリーン車の転用が圧倒的に多く、24系客車化では不足した食堂車の転用が主になる。
 
====181系電車への改造車====
「とき」の183系と編成組成共通化に伴うグリーン車の電動車→付随車変更による改造である。改造車両については[[#113系電車への改造車|#113系への改造車]]を参照。
{{main|国鉄181系電車#1000番台・1050番台・1100番台}}
 
====183系電車への改造車====
JR東日本では付随車ならびにグリーン車の転用が主となるのに対し、JR西日本では直流区間のみでの運用となることから183系電車化であるため経緯が異なる。
 
=====JR東日本所属車=====
{|style="font-size:90%;"
|-
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{{main|国鉄183系電車#他系列からの改造車}}
 
=====JR西日本所属車=====
:交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化された200番台・700番台・800番台の改造車。制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との連結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とはジャンパ連結器が違うことから連結はできない。
{{main|JR西日本183系電車}}
 
====189系電車への改造車====
{|style="font-size:90%;"
|-
3,216 ⟶ 3,096行目:
{{main|国鉄183系電車#189系}}
 
====113系電車への改造車====
いずれもグリーン車の格下げ改造である。300番台・350番台は[[東海道本線]]東京口で、1350番台は[[横須賀・総武快速線]]で運用された。全車JR東日本が継承。
{|class="wikitable" style="font-size:90%; text-align:center;"
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{{main|国鉄113系電車#サロ110形 特急形改造車}}
 
====24系客車への改造車====
いずれの改造でも密着自動連結器への交換・ブレーキ装置のCL化・引通回路・車体色の変更が施工された。2020年現在では保留車ではあるもののスシ24 506が車籍を有するほか、一部車両が保存もしくは譲渡されている。
 
3,299 ⟶ 3,179行目:
|}
{{main|国鉄24系客車}}
 
==ジョイフルトレインへの改造==
本系列をベースとしたジョイフルトレインは以下で解説する車両があり、改造および所有はすべてJR東日本である。
 
[[2022年]][[12月11日]]に全ての編成が運転を終了した。
<gallery widths="190" perrow="3">
File:JRE-485-yu-K30.JPG|[[リゾートエクスプレスゆう]]
File:Series485-NoDoKa.jpg|[[シルフィード (鉄道車両)|NO.DO.KA]]
File:JRE 485 Irodori 20100724.jpg|[[彩 (鉄道車両)|彩]]
File:JRE485 Utage Higashi-Koganei 20130621.jpg|[[宴 (鉄道車両)|宴]]
File:JRE485 Hana Higashi-Koganei 20130606.jpg|[[華 (鉄道車両)|華]]
File:Nnanohana2.JPG|[[ニューなのはな]]
File:Model 485 of YAMANAMI.jpg|[[リゾートやまどり#やまなみ|やまなみ]]
File:JRE-485-Seseragi.jpg|[[リゾートやまどり#せせらぎ|せせらぎ]]
File:JREast485-KiraKiraUetu.jpg|[[きらきらうえつ]]
File:JReast485_ResortYamadori.JPG|[[リゾートやまどり]]
File:Series485-Zipangu Koriyama.jpg|[[ジパング (鉄道車両)|ジパング]]
</gallery>
 
===型式===
全車改造車。施工内容は車体[[構体 (鉄道車両)|構体]]を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えを実施したケースなど、多種におよぶ。
 
; モロ485形
; 1 - 9
2以降はすべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。2・4・8・9が公衆電話、3・5・7がトイレ・休息室・更衣室も設置する。
: 1:「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名から28名へ変更。
:* サロ189-6→モロ485-1
: 2・3:「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
:* モハ485-56・37→モロ485-2・3
: 4・5:「華」の中間電動車。定員はともに28名。
:* モハ485-87・149→モロ485-4・5
: 6・7:「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
:* モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
: 8:「やまなみ」の中間電動車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
:* モハ485-58→モロ485-8
: 9:「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
:* モハ485-1071→モロ485-9
; 5007・5024
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車(5024・定員28名)にはマッサージチェア・パウダールーム、5号車(5007・定員22名)には車いす対応座席・トイレ・添乗員室を装備。
:* モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024→モロ485-5007・5024<ref name="N201_+4000kaiban"/>
 
; モロ484形
; 1 - 11
パンタグラフ付中間電動車。4以降はすべて新規製造構体に載せ換えたお座敷(和式)電車として落成した。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なりすべて1基搭載に変更されたほか、4 - 8・10・11は低屋根部をミーティングルームとした。
 
: 1:モハ484-701の項目を参照のこと。
: 2・3:「リゾートエクスプレスゆう」。1998年10月の和式化で定員が39名→32名へ変更。
:* サロ189-7・8→モロ484-2・3
: 4・5:「宴」。定員24名。
:* モハ484-56・37→モロ484-4・5
: 6・7:「華」。定員24名。
:* モハ484-87・251→モロ484-6・7
: 8・9:「ニューなのはな」。定員は畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・[[テレホンカード]]式[[公衆電話]]を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を設置。
:* モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
: 10:「やまなみ」。定員24名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* モハ484-58→モロ484-10
: 11:「せせらぎ」。定員32名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* モハ484-1071→モロ484-11
; 5007・5024
「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車(5024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能。4号車(5007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。[[ボーズ (企業)|BOSE社]]製のスピーカーと[[液晶ディスプレイ]]を設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは本系列初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである[[中央本線]]への乗り入れが可能である。
* モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024→モロ484-5007・5024<ref name="N201_+4000kaiban"/>
 
; クモロ485形
: 1:クモハ485形700番台を参照。
: 2:「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名へ変更。トイレ・洗面所を装備。
:* サロ189-5→クモロ485-2
 
; クロ481-5502・5503
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートとした。運転室背後に談話スペースとし、前面展望映像も投影可能な32V[[液晶ディスプレイ|液晶モニタ]]を設置。前面愛称表示機は市販の40Vワイド液晶モニタを搭載する。中央本線狭小トンネル対策から静電アンテナを後位に移設し、屋根上ヘッドライトを撤去した。
* クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503→クロ485-5502・5503<ref name="N201_+4000kaiban"/>
 
; クロ485形
すべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部は展望室とされた。
: 1:「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-25→クロ485-1
: 2:「華」の奇数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-21→クロ485-2
: 3:「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
:* サロ481-1007→クロ485-3
: 4:「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。2012年「ジパング」に再改造。
:* クハ481-40→クロ485-4
: 5:「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。後述するクロ484-7とともに「やまなみ」との併結運転対応からシャンパ連結器を高圧引き通し用のKE10形から総括制御用のKE70形に設計変更されたほか、外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加された。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
 
; クロ484形
3以降は新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。
: 1:クハ484-701の項目を参照のこと。
: 2:「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名から20名へ変更。
:* サロ183-1008→クロ484-2
: 3:「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-22→クロ484-3
: 4:「華」の偶数向き制御車。定員24名。
:* クハ481-28→クロ484-4
: 5:「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
:* サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
: 6:「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。2012年「ジバング」へ再改造。
:* クハ481-34→クロ484-6
: 7:「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
:* サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
 
; サロ485-1
{{Double image aside|right|Resort Express Yu Saro485-1.jpg|180|JR EC Ts485-1inside.JPG|160|サロ485-1|車内}}
「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型展望席のほか、ステージ・サービスカウンター・AVコントロール室で構成されたイベントスペースを設置。
* サロ481-1002→サロ485-1
{{-}}
 
; クモハ485-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。[[国鉄165系電車|165系電車]]からの改造車である「[[パノラマエクスプレスアルプス]]」(現在:[[富士急行2000形電車|富士急行2000形]])と同じ構造で、運転席を2階<ref group="注">[[名古屋鉄道|名鉄]][[パノラマカー]]や[[小田急電鉄|小田急]][[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]]のような完全な2階建てではない。</ref> にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット敷き電車「NO.DO.KA/のどか」に改称ならびに普通車化再改造を施工。
* サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
 
;モハ484-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。パンタグラフ部分は低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上でトイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月の再改造で定員を30名→36名に変更。
* サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
 
;クハ484-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持つ。MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用[[ディーゼルエンジン]]を床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更。
* サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
 
;モハ485-701+モハ484-702
「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で業務用室・多目的室を設置する。
 
モハ484-702は4両編成の2号車の和風ラウンジカーでパンタグラフ部分低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上で茶屋(ミニビュフェ)としたほか18名分のボックス席(フリースペース)と反対側車端部に映像ゾーンを設置。
* モハ485・484-1078→モハ485-701+モハ484-702
 
; クハ485-701・クハ484-702
「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、新規製造した構体へ載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースを設置。
* クハ481-349→クハ485-701
* サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
 
;モハ485・484-703・704
2011年に[[東急車輛製造]]で「せせらぎ」「やまなみ」の中間電動車ユニットを種車に「リゾートやまどり」用へ再改造して落成。703が2・3号車、704が4・5号車に組成される。ユニット間車両番号統一のためモハ485-702は欠番。
* (モハ485-58)→モロ485-8→モハ485-703
* (モハ485-1071)→モロ485-9→モハ485-704
* (モハ484-58)→モロ484-10→モハ484-703
* (モハ484-1071)→モロ484-11→モハ484-704
 
;クハ485・484-703
上述の「リゾートやまどり」用制御車。種車は「せせらぎ」用制御車。車両番号統一のためにクハ485-702は欠番となった。
* (サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)→クロ485-5→クハ485-703
* (サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107)→クロ484-7→クハ484-703
 
;モハ485・484-3014
[[東日本旅客鉄道盛岡支社|盛岡支社]]所有のジョイフルトレイン「ジパング」用中間電動車。2012年に青森車両センター所属だった増結用MM'ユニットから捻出され郡山総合車両センターで改造。改造に伴う改番は未実施。
 
;クハ485・484-704
上述の「ジパング」用制御車。種車は「リゾートやまどり」再改造で余剰となった「やまなみ」用クロ485形・484形で郡山総合車両センターで普通車化を含んだ再改造を施工された。
* (クハ481-40)→クロ485-4→クハ485-704
* (クハ481-34)→クロ484-6→クハ484-704
 
==事故廃車==
5,570 ⟶ 5,598行目:
|}
 
{{Vertical_images_list
|幅=200px
|1=JNR kagayaki 485.jpg
|2=「かがやき」用S編成
}}
;「かがやき」「きらめき」→「加越」用(S編成) グレードアップ車4両・6両編成 1988年 - 2002年
1988年3月13日のダイヤ改正で金沢発着で運転開始された「かがやき」2往復は長岡で[[上越新幹線]]へ、「きらめき」1往復<ref group="注">臨時「加越」1往復にも充当。</ref>は米原で[[東海道新幹線]]へ連絡の速達性を重視した列車で<ref group="注">運転開始時の途中停車駅は、「かがやき」が[[高岡駅|高岡]]・富山・直江津、「きらめき」が福井のみを設定。</ref>、充当にあたっては並行する北陸自動車道高速バスとの競合も考慮された結果、[[#金沢運転所所属グレードアップ改造車|グレードアップ改造]]ならびに特別塗装を施工した専用編成が必要と判断されたことから組成されたのが本編成である。