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== 概要 ==
== 農業工学内での学問区分 ==
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=== 日本農業工学会の加盟学会 ===
日本には、CIGRやASABEのように農業工学を包括的に扱う学会は存在しない。代わりに複数ある農業工学関係の学会が所属する学術団体として、'''日本農業工学会'''が存在する。以下に農業工学の日本での詳細区分の一例として、日本農業工学会への加盟学協会の一覧を示す<ref>{{Cite web|和書|title=所属学会一覧|url= http://www.jaicabe.org/kaiin.htm |website=日本農業工学会 |accessdate=2023-06-24}} ※日本農業工学会に参加している学会の一覧は[http://www.jaicabe.org/ 公式ウェブサイトのトップページ]にも掲げられている。</ref>。
* [[日本生物環境工学会]](旧 日本生物環境調節学会、日本植物工場学会)
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* 日本農作業学会
* [[農業食料工学会]](旧 農業機械学会)
* [[農業施設]]学会
* 農業[[電化]]協会
* [[農業農村工学会]](旧 農業土木学会)
* [[農村計画学会]]
* [[生態工学]]会
* [[農業情報学会]]
== 資格試験等での試験区分 ==▼
[[国家公務員|国家公務員採用試験]]において、[[総合職]]・[[一般職]]ともに「農業農村工学分野」が該当する<ref>{{Cite web|title=受験案内一覧|url=https://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/jyukennannnaiichiran.html|website=www.jinji.go.jp|accessdate=2019-11-17}}</ref>。一般的に農業農村工学は農業土木を示すが、国家公務員試験においては農業工学を包括する用語として使われる。▼
[[技術士 (農業部門)]]には、専門科目として、農業土木、農村地域計画、農村環境、などがある。[[日本技術者教育認定機構]]のJABEEプログラムでは、プログラム名は「農業土木プログラム」である。▼
== 歴史 ==
=== 国際的な歴史 ===
==== アメリカ合衆国 ====
アメリカで農業工学に関する最初のカリキュラムが開設されたのは[[アイオワ州立大学]]で、J.B.ダビッドソンら教授陣が1903年のことである。アメリカ農業食料工学会東北支部会は現在のアメリカ社会農業生物会で、当時の技術者により設立されたのは1907年のことである<ref>{{Cite web |url=http://www.asabe.org/about.html|title=ASABE website |accessdate=2009-05-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090514152850/http://www.asabe.org/about.html |archivedate=2009-05-14<!--DASHBot-->}}</ref>。完全な履歴、農業工学によって直接的または間接的に影響を受けた出来事については、[http://www.asabe.org/about-us/history/timelines.aspx こちら] を参照。農業工学はアカデミックプログラムとして登場し、[[1862年]]に政府法により制度化された、[[アメリカ合衆国|米国]]で最初の農業機械大学を創設。[[1886年]]、[[ネブラスカ大学]]は、農学部で農業工学のコースを提供し、土壌、排水、地形、流量の測定、灌漑のための作業、作物への水の適用を研究する。[[1907年]]12月、ウィスコンシン大学で開催された農業工学分野の専門家の第2回会議の際に、米国農業技術者協会、米国農業技術者協会-ASAEが正式に設立。 [[1910年]] [[アイオワ大学]]は 、最初の農業工学の学位を授与。[[1917年]]に[[コーネル大学]]は農業工学の最初の博士号を授与。[[1925年]]には、米国で農業工学の称号を授与した10の機関があった。[[1950年]]、この専門職は、これらの研究を[[工学|エンジニアリング]]部門として定義および特定するために、農業技術者協会の努力と推進のおかげで大きなブームになる。その年、40の大学が農業技術者の称号を授与し、その多くはマジスターと[[博士]]のレベルで大学院研究を行っていた。現在、米国および[[カナダ]]には、農業工学の50の部門と12,000人を超える専門家がおり、世界中の[[学部生|学部]]および[[大学院|大学院レベル]]で600を超えるキャリアプログラムがある。
==== ドイツ ====
ドイツは、過去には、Agrotechnikは工学技術系の専門分野であった。したがって、Strickhofは技術者の学校であった。2005年に高等専門学校の施設を持つStrickhofは、農林業向けの最初の高等専門学校である。
==== メキシコ ==== [[メキシコ]]のチャピンゴ自治大学 (Universidad Autónoma Chapingo) は、ラテンアメリカで最初の農業工学の発展を促進した大学。1854年2月22日の時点で、国立農業獣医教育機関ENAとして発足。[[1930年代]]には、農業科学と工学の確固たる基盤を備えた灌漑専門の[[作物栽培学|農学]]カリキュラムで開校された。現在学校は灌漑、農業力学、農業経済学、保護園芸、土壌、農業寄生虫学、農村社会学、林業、農業ビジネスなどを含む23の専門分野で農学者を養成しておりまたこれらの分野で大学院プログラムを備える。現在、メキシコのこの知識分野における研究の最高の教育機関は31州および連邦管轄区のそれぞれからの学生を擁し、次のように大規模な研究機関ある国際トウモロコシ・コムギ改良センター ([[国際トウモロコシ・コムギ改良センター|CIMMYT]])、メキシコ国立農科大学大学院とInifapがある。メキシコの農学者の日は、チャピンゴ自治大学の設立日を記念して2月22日に祝われる。 ====[[ラテンアメリカ]]==== 中南米にも[[1950年代]]に農業の近代化と並行して最初の学校が[[1957年]]に[[エクアドル]]の[[ポルトビエホ]]市にあるマナビ工科大学に設立された。このプログラムは、灌漑と機械の分野を対象としていた。[[1958年]]、[[国際連合食糧農業機関|FAO]]が組織した国際機械化会議が[[チリ]]の[[チヤン]]で開催された。 このイベントの結論の中で、農業工学がラテンアメリカの農業の発展に貢献してきたことが強調されている。リマの農業工学研究所は [[1959年]] [[農務省|に農業省に]]付属する団体として設立。 新しい研究所の目的は、過去2年間農学部の学生に農業工学コースを提供することで卒業生は、植物技術、[[農業経済学]]、動物飼育技術または農業といった[[作物栽培学|農業技術者]]の称号を取得した。[[1960年]]、ペルーの国立農業学校は現在のラモリーナ国立農業大学であるが、その後農業工学部になる。この新しい流れと[[国際連合|国連]]による技術的および財政的支援のおかげで、[[1962年]]に73人の学生で始まった農業工学の5年間の専門的プログラムの創設への扉が開かれた。同様に、1941年にホンジュラスにパンアメリカン農業学校が設立され、またザモラノが一般的に知られて以来、この小さな学校はアメリカ大陸の役目を果たす今日の大学センターに成長した。[[1966年]]に32人の農業技術者が卒業し、同年、アグラリアラモリーナ大学では432人の学生が工学部に入学した。 [[ブラジル]]などの他の中南米諸国では農業工学の教育は、1960年、今日のミナスジェライス州の農村大学で、農産物、トラクター、農業機械の商業化の分野の大学院課程で開始した。[[ヴィソーザ連邦大学]]では基本的に農業エンジニア向けのプログラムであったのですぐにブラジルの教育省は農学の卒業生の基本的な工学科学の分野での欠如に気づく。工学部の卒業生では生物学および農業科学の知識がほとんどなかった。この経験の結果、[[1969年]]にサンパウロのカンピナス大学、リオグランデドスルのペロタス大学など工学分野の先駆でヴィソーザに[[学部生|学部]]レベルの農業工学プログラムを設置することを決定した。
=== 日本国内における歴史 ===
日本では明治に入り農業事業は大規模化し、安積疏水·那須疏水·明治用水などの農業水利開発、新潟平野などの排水改良、児島湾·有明海などの干拓、北海道、三本木、牧の原などの開墾、耕地整理などが行われ、大正四年には、下館市(現在の筑西市)の伊讃美ヶ原記念揚水事業で揚水ポンプを使って鬼怒川から水を引き、低地の水田の排水と、台地の畑地への利水という二つの大きな問題点を解決していく。八郎潟干拓では、従来の[[圃場整備]]技術に都市計画的農村計画の手法を組み合わせることにより、開発が進む。1960年代からは[[農業基本法]](昭和三六年制定)に基づき、 農業生産性の向上を図るため、全国各地で農業水利開発や農地,草地の造成、既存の水田を中心とした園場整備が進められた。1970年代からは広域農道整備、農村総合整備、農業集落排水整備、1990年代からは農村の自然環境整備、田園空間整備など農村環境整備が進められていくこうした日本の農業技術は海外でも極めて高く評価されている。
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耕地面積は、1961年の609万ヘクタールをピークに一貫して減少し、2008年には、ピーク時の七割となる462万8千ヘクタールとなっている。耕地のかい廃要因は、 耕作放棄(41%)と宅地等への転換(39%)が大部分を占めている。
日本の農業
▲=== 日本の農業土木教育の変遷 ===
▲日本の農業土木教育は、明治の近代化の課程で近代的学制の施行が行われ、近代農業土木もこれまでの[[水田]]農業体系を踏まえて成長する制度的基盤が与えられて、欧米の科学技術を輸入しつつ、公的に教育研究する学制を築き上げていく。
前期農業土木は独自の水田農業体系をつくり上げたが、その知識体系のなかでも水利技術などが[[役人]]の[[世襲]]的な行政知識のなかに閉じ込められていて、近代的公教育のなかで一般化される必要があった。
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==== 畜産土木 ====
1981年に[[北里大学]]の獣医畜産学部に3番目の学科として「畜産土木工学科」が増設されたが、[[1980年代]]の日本の農業環境は[[稲作]]一辺倒の反省から[[畜産]]振興が盛んに取り上げられていた時代であったため、[[酪農]]や[[肉牛]]などの大動物飼養を保証する[[飼料]]基盤の整備、[[養鶏]]や[[養豚]]などで多頭羽飼養のための基盤整備などにかかわる専門技術が農業工学領域の新たなる展開の時代とみなされたのである。
== 農業工学技術者 ==
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ドイツでは、Landtechniker, Agrartechniker, 土地改良技術者、農業工学技術者、などの語で呼ばれ、農業工学技術者は農場で従事(園芸、ぶどう栽培、商品、農業実験および研究機関など)。土、家畜、種の他に農機の世話をし、さらに作業プロセスの計画を担当するが、自身の農事活動も行う。土地改良技術者としての訓練は、技術専門学校での2年間の高度訓練を通して行われ、これの前提条件は、完了した職業訓練である。農業工学技術者の大多数はBAT Vbに報酬は位置づけられる。ドイツ連邦政府および州政府の基本給BAT Vb(西側ユーロでの総平均給与)は、21歳で1,424ユーロ、地域の追加料金および一般手当を含む。団体基本給は職業経験に応じて、1,964ユーロから2,144ユーロの間である。
日本では、[[農業土木コンサルタント]]企業も複数存在しており<ref>{{Cite web|和書|title=会員情報 {{!}} 一般社団法人農業土木事業協会|url=http://www.jagree.or.jp/jagree/member.html|website=www.jagree.or.jp|accessdate=2019-11-17}}</ref>、そういった企業や農業機械・園芸ハウスなど各種の農業関連メーカーなどでの活動がある。
; 専門分野
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* 生物資源工学、機械の分子レベルの環境貢献
* 作物と動物の生産に関する[[実験計画法|計画実験]]
▲=== 資格試験等での試験区分 ===
▲[[国家公務員|国家公務員採用試験]]において、[[総合職]]・[[一般職]]ともに「農業農村工学分野」が該当する<ref>{{Cite web|和書|title=受験案内一覧|url=https://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/jyukennannnaiichiran.html|website=www.jinji.go.jp|accessdate=2019-11-17}}</ref>。一般的に農業農村工学は農業土木を示すが、国家公務員試験においては農業工学を包括する用語として使われる。
▲[[技術士 (農業部門)]]には、専門科目として、農業土木、農村地域計画、農村環境、などがある。[[日本技術者教育認定機構]]のJABEEプログラムでは、プログラム名は「農業土木プログラム」である。
== 脚注 ==
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