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== 歴史 ==
=== 統一王国の成立 ===
長らく王政ヘブライ諸部族とらなかっ統率していイスラエルの[[選挙王]]的指導者である[[士師]]に代わって、最初の世襲として[[サウル]]であっ([[ヘブライ語]]:Šāʾūl, シャウル)が即位した。サウルは12部族の中から選ばれたが中央王と言ってもまだ集権的というよりではなく、諸部族長を中心とする寡頭政治リーダーであ勢力は依然として強かったとされる
 
=== ダビデの時代 ===
サウルが王国建設途上で挫折した後を継いだ[[ダビデ]](ヘブライ語:Dāwīḏ, ダヴィド)は、[[ペリシテ人]]を撃破するなど軍事遠征を成功させ、近隣王国と友好同盟を結び、イスラエルをその地方の強カな勢力に作り上げた。その結果、ダビデの権力はエジプトや紅海の境界からユーフラテスの川岸にまで広がっていった。つまり、北は[[ダマスカス]]から南は[[アカバ湾]]にいたる地域を確保し、[[エルサレム]]を王都に定めてイスラエル王国の礎を築いた。
 
国内でもダビデは新しい統治を始めた。イスラエルを構成する12部族を1つの王国に統一し、エルサレムと君主政治を民族の支柱においた。聖書の言い伝えでは、ダビデには詩や音楽など、政治以外の多彩な才能備わっていたようである。彼の詩の才能、音楽の才能などは、「ダビデの作」言わている詩篇の中にうかがうことができる。
 
また、当時の国際情勢としては、[[前1200年のカタストロフ]]の影響によって当時の大国であった[[ヒッタイト]]が滅亡、[[古代エジプト|エジプト]]<ref>ビル・マンリー著 鈴木まどか監修 古田実訳 『古代エジプト地図で読む世界の歴史』 河出書房新社、1998年 pp.94 - 95 ISBN 4-309-61183-4</ref>および[[アッシリア]]<ref>佐藤 (2002) p.38</ref>、[[バビロニア]]<ref>佐藤 (2002) pp.38 - 39</ref>が揃って衰退期を迎えていた。これらの大国に囲まれる位置にあった[[歴史的シリア]] ([[レヴァント]]) の地域には、大国の同時衰退によって権力の空白地帯が生じたため、大国の干渉を受けることなく多数の[[アラム人]]などの小国が誕生した<ref>佐藤 (2002) pp.104 - 105</ref>。イスラエル王国もそのような状況下で誕生した新興国の一つである。
 
=== ソロモンの時代 ===
[[ソロモン]](ヘブライ語:Šəlōmōh, シュロモ)は、父ダビデが築いた国を継承し、その王国をより強大にするためにもっぱら努カした。近隣王国と[[条約]]を交わし、政略結婚を重ねて自国を強国に育てあげた。とりわけエジプトに対しては、終始礼を尽くし属国として振る舞い、[[ファラオ|エジプト王]]の娘を娶ることで良好な関係を築いた。
 
ソロモンは外国との交易を広げ、銅の採鉱や金属精錬など大きな事業を進めて国の経済を発展させ、統治システムとしての官僚制度を確立して国内制度の整備を行った。また、大規模な土木工事をもって国内各地の都市も強化している。[[フェニキア]]の技術を導入してエルサレムに壮麗な神殿 ([[エルサレム神殿]]) を建立したことでも有名である。これはユダヤ人の民族生活、宗教、生活の中心となった。旧約聖書のなかの『[[箴言]]』と『[[雅歌]]』は、かつてソロモンの手によるものと考えられていた。しかし、晩年はユダヤ教以外の信仰を容認するようになり、これがユダヤ教徒の厳格派から[[偶像崇拝]]と批判されることで、[[ユダヤ教]]徒と他の宗教信者との宗教的対立を誘発。国家分裂の原因の一つにまでなっている。
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ソロモンの長い統治は経済的繁栄と国際的名声をもたらしたが、統一王国という支配体制は一般民衆の不満からほころぶことになった。人々はソロモンの野心的な事業のために重税と賦役をになわされていたのである。またソロモンが自分の出身部族を優待したことも他の部族を憤慨させ、君主政治と部族分離主義者との対立が次第に大きくなった。
 
[[紀元前922年]]ごろの[[ソロモン]]の去し、部族間の統制を失った統一イスラエル王国は北王国として知られるイスラエル王国と南王国として知られるユダ王国に分裂した。
 
イスラエルが分裂した原因は、『[[列王記]]』11章では「ソロモンが異教の神をあがめるようになったので主から見限られた」としている<ref>[[s:列王紀上(口語訳)#11:4|列王記上(口語訳)#11:4-13]]や[[s:列王紀上(口語訳)#11:30|列王記上(口語訳)#11:30-39]]など。</ref>が、預言者や聖職者ではない一般民衆はソロモンによる重税や苦役の緩和を聞き入れない後継王[[レハブアム]]に怒り見限ったという説明が続く12章にあり<ref>[[s:列王紀上(口語訳)#12:4|列王記上(口語訳)#12:4-17]]</ref>、いわば王国に内在していた矛盾がソロモンの死とともに一気に噴出して、南北の2国に分裂することになったのである。
 
=== 分裂後 ===
[[ファイル:イスラエル王の系譜。.jpg|サムネイル|ソロモン王死後の、分裂したイスラエルの南北王の系譜]]
分裂直後レハブアムは一度は反乱を鎮圧させようと、[[ユダ族|ユダ]][[ベニヤミン族|ベニヤミン]]から兵士を招集しようとしたが、今度は神の人とされる[[シマヤ (ヘブライ人)|シマヤ]]の進言を聞き入れ北部への遠征を中止した。『[[歴代誌]]』下11章ではこの直後にユダ内部で都市の防衛を整える記述がある<ref>[[s:歴代志下(口語訳)#11:1|列王記上(口語訳)#11:1-12]]</ref>が、名前をあげられている都市を見るといずれもエルサレムより南の物ばかりで北側の都市の防衛増強の説明がないことから対北イスラエル用ではなく他の地域の勢力向けで、レハブアムは当初イスラエルが別勢力になったことを認めたと刺激したくなかったのだろうとギホンやヘルツォーグといった学者は推測している<ref>『古代ユダヤ戦争史 聖地における戦争の地理学研究』モルデハイ・ギホン&ハイム・ヘルツォーグ著、池田裕 訳、悠書館、2014年、ISBN 978-4-903487-89-2、p.227-231「国境防衛における“ギャップ”」。</ref>。
 
統一イスラエル王国の最大版図は、地中海沿岸の[[フェニキア人]]都市国家群を除けば34000平方kmほどで、うち24000平方kmほどがイスラエルの10部族に引き継がれた。最初の首都は[[ケム|シケム]]であったが、後にティルツァをへて[[サマリア]]に落ち着いた。サマリアは、北王国がアッシリアの軍靴に踏み潰されるまで首都でありつづけた。
 
人口の点でも耕地面積においてもイスラエル王国はユダ王国をしのいでおり、経済的にも優位に立っていたが、多くの部族を抱えたイスラエル王国は、反ユダ王国感情によってまとまっているにすぎず、きわめて不安定でクーデターが頻発し、王朝はたびたび交代した。オムリ王朝の時はイスラエルとユダは同盟を組み、王族同士の婚姻関係もあったが、他の時期は基本的に対立していた。
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年号は[[ウィリアム・オルブライト]]による。年号はすべて紀元前である。分裂後、北王国の王はイエフを除くと暴君か暗君しか王位に就いていないと旧約聖書は述べているが、史実の事績{{要出典|date=2015-2-16}}とはかなり異なっている王も少なくない。
 
* シャウル朝
** 1021年 - 1000年 [[サウル|シャウル]] - イスラエルの最初の王
** 1000年 [[イシュ・ボシェテ]] - サウルの子、暗殺される ([[サムエル記]]下 4:7)
* ダヴィド朝
** 1000年 - 962年 [[ダビデ|ダヴィド]]
** 962年 - 922年 [[ソロモン|シュロモ]] - ダビデが[[バト・シェバ]]との間にもうけた子。
** 922年 [[レハブアム]] - イスラエル王国から分離したユダ王国の最初の王になる。
* ヤロブアム朝
*: イスラエル王国とユダ王国に分裂
** 922年 - 901年 [[ヤロブアム1世]] - 北イスラエル王国最初の王。
** 901年 - 900年 [[ナダブ (イスラエル王)|ナダブ]] - 暗殺される ([[列王記]]上 15:28)
* バシャ朝
** 900年 - 877年 [[バシャ]]
** 877年 - 876年 [[エラ (イスラエル王)|エラ]] - 家臣ジムリの手で暗殺される。 (列王記上 15:28)
* 876年 [[ジムリ]] - 主君エラを討ち、7日間王位にあったが、進撃してきた武将オムリの前に死ぬ。
* オムリ朝
** 876年 - 869年 [[オムリ]]
** 869年 - 850年 [[アハブ]] - 妻は[[イゼベル]]。旧約聖書では北王国随一の暴君とされる。
** 850年 - 849年 [[アハズヤ (イスラエル王)|アハズヤ]]
** 849年 - 842年 [[ヨラム (イスラエル王)|ヨラム]] 
* イエフ朝
** 842年 - 815年 [[イエフ]] - 旧約聖書では北王国唯一の名君とされる。
** 815年 - 801年 [[ヨアハズ (イスラエル王)|ヨアハズ]]
** 801年 - 786年 [[ヨアシュ (イスラエル王)|ヨアシュ]]
** 786年 - 746年 [[ヤロブアム2世]] - イスラエル王国の絶頂期。
** 746年 [[ゼカリヤ (イスラエル王)|ゼカリヤ]] - 家臣シャルムの手で殺害される。 (列王記下 15:10)
* 745年 [[シャルム (イスラエル王)|シャルム]] - ゼカルヤを殺害して王位につく。
* 745年 - 738年 [[メナヘム]]
** 745年 - 738年 [[メナヘム]] - [[アッシリア]]王[[ティグラト・ピレセル3世]]に臣服する。
** 738年 - 737年 [[ペカフヤ]] - 侍従ペカの手で殺害される。 (列王記下 15:25)
* 737年 - 732年 [[ペカ]] - 家臣だったホシェアに暗殺される。 (列王記下 15:30)
* 732年 - 722年 [[ホセア (イスラエル王)|ホシェア]] - イスラエル王国最後の王。侵攻したアッシリア軍に一度は従順を誓うも、密かにエジプトと結ぼうとしたためアッシリアによって牢に入れられた。 (列王記下 17:4)
 
== 脚注 ==