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[[江戸時代]]の[[寛文]]6年([[1666年]])、[[仙台藩]]の幼藩主[[伊達綱村]]は数え8歳の時に毒殺されかけたが、毒見役の働きによって難を逃れている。
 
[[徳川将軍家]]では「[[膳奉行|御膳奉行]]」が毒見をし、問題がなければ運ばれ、最終的に[[小姓]]が毒見をするという二重の毒見制とされる<ref>{{Cite book|title=図解! 江戸時代|publisher=三笠書房|year=2015|page=144}}</ref>。徳川幕府は直臣について、悪食による体調悪化に関しては武家心得不届として懲罰を定めていたため、将軍当人に対しても特に厳格な調理吟味が徹底されていたものと思われる
 
[[磯田道史]]の古文書研究による解読によれば、[[近世#日本|近世期]]の毒見役とは毒見をする係ではなく、毒見をさせる係であり、その毒見をさせられたのは調理担当者と御膳を運ぶ者とされる<ref>{{Cite book|title=日本史の内幕|publisher=中公新書|year=2018|page=130|last=磯田|first=道史|edition=10}}</ref>。