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'''現代ウクライナ文学'''({{lang-uk|сучасна українська література}})とは一般的には1980年代後半以降に書かれた[[ウクライナ文学]]を指す。[[ソヴィエト連邦]]時代にはウクライナ文学は[[社会主義リアリズム]]を強制されていたが、[[ソ連崩壊]]後は政府による検閲がなくなり表現の自由が生まれた{{sfn|ホメンコ|2019|p=114}}{{sfn|ソロシェンコ|2021|pp=29-30}}。現代ウクライナ文学は、過去にはタブーだったテーマを扱うようになり、新しい様式を取り入れている{{sfn|ホメンコ|2019|pp=}}。
{{出典の明記|date=2010年6月}}
'''現代ウクライナ文学'''({{lang-uk|сучасна українська література}})とは[[ウクライナ人]]の作家により書かれた、ここ数十年の[[ウクライナ文学]]である。実際、どこからを現代ウクライナ文学とするかは定かでは無いため、ここでは一般的に知られる定義である[[ソ連崩壊]]後のウクライナで書かれたものを指す。
 
== 概要歴史 ==
時代的な定義は1980年代後半以降を指し、[[チェルノブイリ原発事故]]や[[ペレストロイカ]]、詩人グループの{{仮リンク|ブー・バー・ブー|uk|Бу-Ба-Бу}}が結成された時期にあたる{{efn|ウクライナ語では、チェルノブイリはチョルノブィル、ペレストロイカはペレブドーヴァとなる{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|p=257}}。}}{{sfn|奈倉|2023|pp=109-110}}。
[[ソ連]]時代、ウクライナ文学は[[社会主義リアリズム]]を強制されていたがソ連崩壊後、政府による[[検閲]]がなくなり[[表現の自由]]が生まれた。その上、外国の自由な文学に影響され現代ウクライナ文学は過去のウクライナ文学では[[タブー]]だった[[ホロドモール]]、[[性行為]]、[[麻薬]]といったものを扱うようになったり、[[ポストモダン]]や[[スルジク]]を含めた新しい様式を取り入れることでソ連時代とは明確に区分化した。
 
[[file:3-тум.jpg|thumb|200px|タラス・シェフチェンコ・ウクライナ語協会の創立10周年記念]]
なお、広い意味での現代ウクライナ文学は[[ロシア語]]で書かれたものも現代ウクライナ文学に含むことがある。
現代ウクライナにおいて原発問題、独立運動、文学は結びついている。1986年のチェルノブイリ原発事故によって政治改革のペレストロイカが進み、ウクライナ語とウクライナの民俗宗教の復権運動が起きた。ウクライナ作家同盟ではウクライナ語と教育の問題が指摘され、1989年に{{仮リンク|タラス・シェフチェンコ・ウクライナ語協会|uk|Товариство української мови імені Тараса Шевченка}}が設立された。同年にはペレストロイカのための市民運動として{{仮リンク|ナロードニーイ・ルーフ|uk|Народний рух України}}(通称ルーフ)が始まり、詩人の{{仮リンク|イワン・ドラチ|uk|Драч Іван Федорович}}が議長となった。ナロードニーイ・ルーフはポーランドの市民運動の[[独立自主管理労働組合「連帯」|連帯]]の影響も受けており、ポーランドはウクライナを支持した{{efn|ポーランドの亡命作家{{仮リンク|イェジー・ギェドロイツ|uk|Jerzy Giedroyc}}と{{仮リンク|ユリウシュ・メロシェフスキ|uk|Juliusz Mieroszewski}}は、ポーランドの外交政策として{{仮リンク|ギェドロイツ-メロシェフスキ・ドクトリン|en|Giedroyc-Mieroszewski doctrine}}を提唱した。これはポーランドの安全保障のために、 (1) かつてのポーランド領をウクライナから取り戻そうとしない、(2) ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアの独立とロシアの民主化を支援するという内容だった。このドクトリンはポーランドのウクライナ外交政策の基礎となっている{{sfn|北出|2018|pp=352-353}}。ウクライナ独立を最初に承認したのもポーランドだった{{sfn|宮崎|2014|p=200}}。}}{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|p=257}}{{sfn|ホメンコ|2023|p=49}}。同年の{{仮リンク|ウクライナ共和国における言語に関する法律|uk|Закон УРСР «Про мови в Українській РСР»|label=言語法}}の制定でウクライナは[[国家語]]となり、ウクライナ語とウクライナ文学への抑圧がなくなった{{sfn|ホメンコ|2019|pp=105-106}}{{sfn|池澤|2023b|pp=170-171}}。80年代はそれまで隠蔽されていた体制の誤りが暴露され、公的な真実に対する信頼が失墜した。作家は自分自身への関心を強め、集団のモラルの欺瞞性を批判した{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=260-261}}。
 
1990年にルーフはペレストロイカを組織名から削除してウクライナ独立を目標とした{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=257-258}}。人権団体{{仮リンク|ウクライナ・ヘルシンキ・グループ|uk|Українська Гельсінська група}}には反体制派の作家も参加し、1990年のウクライナ最高会議選挙では、ヘルシンキ・グループを中心とする民主ブロックが議席の約3分の1を獲得した{{efn|ウクライナ・ヘルシンキ・グループは、[[ヘルシンキ宣言]]を受けて1976年に創設された。民主主義や人権の価値観と国際的連帯を主張し、当局の弾圧を受けた{{sfn|藤森|2018|pp=179-180}}。}}{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=256-257}}{{sfn|藤森|2018|p=180}}。1991年に[[ソ連8月クーデター]]が失敗すると、独立を問う住民投票で約90%の賛成票が投じられ、ウクライナ最高議会が主権宣言を採択し、ソ連崩壊をへて独立国家となった{{efn|1970年代以降のウクライナは、ソ連の予算変更による工業設備の老朽化、農村人口の減少、出生率の低下、出版や教育のロシア語化、ソ連からの給料・年金の遅配などの問題があった。ウクライナの大半の住民にとって、ソ連にとどまるという選択はなかった{{sfn|藤森|2018|pp=179-181}}。}}{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=257-258}}。独立によってバラエティに富む作品が発表され、ソ連時代に検閲されていた作品の復刊や再評価が進んだ。1990年代初頭のウクライナ社会は希望に満ちていたが、その後に経済的な沈滞が訪れ、幻滅や失望は作家にも影響を与えた{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=260-261}}{{sfn|ホメンコ|2019|pp=105-106}}。1990年代後半からは、自分たちが置かれたグローバルな世界や[[新植民地主義]]の状況を描く作品が現れた{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=264-265}}。
== 現代ウクライナ小説家 ==
 
国内では[[ロシア]]と[[欧州連合]](EU)のいずれと関係を深めるかをめぐって対立が続いた{{efn|ウクライナは1995年に[[欧州評議会]]に加盟し、その根拠として自由で平等な選挙と改革によるマクロ経済の安定があった{{sfn|藤森|2006|p=25}}。}}。[[オレンジ革命]](2004年)では、大統領選挙の不正をきっかけとして市民運動が起き、親ロシア派の[[ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ]]政権が退陣した{{efn|同時期には、ジョージアの[[バラ革命]](2003年)やキルギスの[[チューリップ革命]](2005年)も起き、政権が選挙の不正によって退陣したという共通点がある。オレンジ革命については、肯定的な評価として民主化運動の進展があり、問題点としては[[オリガルヒ]]や汚職の温存などが指摘された。2006年の選挙は民主的選挙の国際基準に合致した内容となった{{sfn|藤森|2006|p=25}}。}}。その後、[[世界金融危機]](2008年)や[[ロシア・ウクライナガス紛争]](2009年)をへてロシアとの対立が深まった{{efn|世界金融危機が起きると、国際通貨基金(IMF)の緊縮案を受け入れた政府に対する不満が集まり、オレンジ革命で退陣したヤヌコーヴィチが再び大統領となった{{sfn|トゥーズ|2020|pp=276-278}}。}}{{sfn|トゥーズ|2020|pp=276-278}}。[[尊厳の革命]](2014年)ではキーウの[[独立広場 (キーウ)|独立広場]]で100人近い人々が殺害され、政権の交替後に[[ウクライナ紛争]]が始まった{{efn|ポーランドの日刊紙『{{仮リンク|ガゼタ・ヴィボルチャ|pl|Gazeta Wyborcza}}』は、独立広場の市民運動の最中に意見広告を出して支持を表明した。同紙は歴史家・エッセイストの{{仮リンク|アダム・ミフニク|pl|Adam Michnik}}が編集しており、連帯が築いた市民運動の価値観が表れている{{sfn|宮崎|2014|pp=189-191}}。}}。こうした情勢をもとにした作品も発表されている{{sfn|ホメンコ|2019|p=126}}{{sfn|トゥーズ|2020|pp=593–600, 612}}。
 
作家の世代によって作風に違いが見られる。1928年から1947年生まれの作家は1960年代以降から活動しており{{仮リンク|60年代人|uk|Шістдесятники}}と呼ばれ、「心の亡命」の世代とも呼ばれる{{efn|リーナ・コステンコ、{{仮リンク|リュドミラ・スキルダ|uk|Скирда Людмила Михайлівна}}らがいる。60年代に活動した作家で、創作を続けながら政治家になった者として、{{仮リンク|イワン・ドラチ|uk|Драч Іван Федорович}}、{{仮リンク|ドミトロー・パフリチコ|uk|Павличко Дмитро Васильович}}、{{仮リンク|ヴォロディミル・ヤヴォリーフスキ|uk|Яворівський Володимир Олександрович}}らがいる{{sfn|ホメンコ|2019|pp=106-107}}。}}{{sfn|ホメンコ|2019|p=114}}。1939年から1953年生まれの作家は1970年代から活動しており、{{仮リンク|ポスト60年代人|uk|Постшістдесятники}}で内向的とも呼ばれる{{efn|この世代の作家として、レシ・ポデレビャンスキ、カテリーナ・モトリッチ、{{仮リンク|ユーリ・ウィンイチュック|uk|Винничук Юрій Павлович}}、{{仮リンク|オレグ・リシェガ|uk|Лишега Олег Богданович}}、ボフダン・ジョルダック、{{仮リンク|ミコーラ・リャブチュック|uk|Рябчук Микола Юрійович}}らがいる{{sfn|ホメンコ|2019|p=115}}。}}。1949年から1965年生まれの作家は{{仮リンク|80年代人|uk|Вісімдесятники}}で個人主義でメランコリーの世代とも呼ばれる{{efn|この世代の作家として、オクサーナ・ザブジュコ、{{仮リンク|レオニッド・コノノビチ|uk|Кононович Леонід Григорович}}、ユーリ・アンドルホーヴィチ、{{仮リンク|イワン・マルコビチ|uk|Малкович Іван Антонович}}、{{仮リンク|ビクトル・ネボラック|uk|Неборак Віктор Володимирович}}、{{仮リンク|ナタルカ・ビロツェルキウェツィ|uk|Білоцерківець Наталка Геннадіївна}}、{{仮リンク|ハリーナ・パフチャック|uk|Пагутяк Галина Василівна}}、{{仮リンク|コスチャンティン・モスカレツ|uk|Москалець Костянтин Вілійович}}、{{仮リンク|ヴォロディミル・ディブロワ|uk|Діброва Володимир Георгійович}}、イレン・ロズドブディコ、{{仮リンク|イホーリ・リマルック|uk|Римарук Ігор Миколайович}}、{{仮リンク|フリツコ・チュバイ|uk|Чубай Григорій Петрович}}、オレーシ・ウリャネンコ、ヴォロディーミル・ダニレンコ、エウヘーニャ・コノネンコらがいる{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|p=262}}{{sfn|ホメンコ|2019|p=115}}。}}{{sfn|ホメンコ|2019|pp=115-116}}。1964年から1977年生まれの{{仮リンク|90年代人|uk|Дев'ятдесятники}}は、検閲がなくなって文学を多様化した世代とも形容される{{efn|この世代の作家として、{{仮リンク|マリアンナ・サフカ|uk|Савка Мар'яна Орестівна}}、セルヒー・ジャダン、{{仮リンク|イワン・アンドルシャック|uk|Андрусяк Іван Михайлович}}、ワシーリー・マフノ、{{仮リンク|ロマン・クハルック|uk|Кухарук Роман Васильович}}、{{仮リンク|アンドリー・ボドナル|uk|Бондар Андрій Володимирович}}、タラス・プロハシコ、ステパーン・プロチュク、ラリーサ・デニセンコらがいる{{sfn|ホメンコ|2019|p=115}}。}}{{sfn|ホメンコ|2019|pp=115-116}}。1978年から1988年生まれの作家は自己PRやパフォーマンスがうまい世代とも呼ばれる{{efn|この世代の作家として、{{仮リンク|カテリーナ・バブキナ|uk|Бабкіна Катерина Богданівна}}、{{仮リンク|ドミトロ・ラズトキン|uk|Лазуткін Дмитро Михайлович}}、{{仮リンク|ハリナ・クルック|uk|Крук Галина Григорівна}}、スヴィトラーナ・ポヴァリャーイェヴァ、ミハイロー・ブリニフ、リューブコ・デーレシ、{{仮リンク|アナトリー・ドニストリウィー|uk|Анатолій Дністровий}}、イレナ・カルパ、{{仮リンク|スウィトラナ・ピルカロ|uk|Пиркало Світлана Вячеславівна}}、{{仮リンク|サシコ・ウシカロフ|uk|Ушкалов Олександр Леонідович}}、{{仮リンク|ナタルカ・スニャダンコ|uk|Сняданко Наталя Володимирівна}}、{{仮リンク|アンドリイ・リュブカ|uk|Любка Андрій Степанович}}らがいる{{sfn|ホメンコ|2019|pp=115-116}}。}}。さらに2010年代以降に活動を始めた作家や、世代的な特徴では区分できない作家もいる{{sfn|ホメンコ|2019|pp=115-116}}。
 
== 言語 ==
言語的な定義は、ウクライナ在住またはウクライナをテーマとする[[ウクライナ語]]や[[ロシア語]]作家の作品を主に指す。これに加えて、ウクライナ語とロシア語の混合語[[スルジク]]の作品や、国外の作家がウクライナ語や非ウクライナ語で執筆した作品もある([[#言語の多様性|後述]]){{sfn|奈倉|2023|pp=109-110}}{{sfn|田中|2022|p=64}}。
 
ウクライナ語は[[古東スラヴ語]]をもとにしており、ロシア語や[[ベラルーシ語]]に近い。ウクライナがロシア帝国領やソ連の構成国だった時代には、ウクライナ語はしばしば使用を禁止された{{efn|ウクライナ語の禁止令は1720年、1847年、1863年、1876年、1881年、1882年、1914年、1933年に行われた{{sfn|中澤|2018|p=101}}。ウクライナ語の出版や教育を抑圧した[[ヴァルーエフ指令]](1863年)や{{仮リンク|エムス法|uk|Емський указ}}(1876年)が有名である{{sfn|田上|2017|pp=25-26}}{{sfn|光吉|2018a|pp=148-149}}。}}。独立後のウクライナ語は[[国家語]]として規定され、標準語・国語化が進んでいる{{efn|2019年の「国家語としてのウクライナ語の機能保障法」によって社会生活におけるウクライナ語の使用が義務づけられた{{sfn|池澤|2023|p=115}}。}}{{sfn|中澤|2018|p=104}}{{sfn|池澤|2023|p=115}}。
 
== 作品形式とテーマ ==
ソ連時代の文学では社会主義リアリズムが強制され、ウクライナ文化の表現が迫害の対象だった{{sfn|ソロシェンコ|2021|pp=29-30}}。独立後は言語や表現の抑圧がなくなり、それまでになかったジャンルの作品も発表された。また、国外の文芸作品の翻訳が読まれるようになった{{sfn|ホメンコ|2019|pp=107, 114}}。
 
[[File:Yuri Andrukhovych.jpg|thumb|200px|ユーリー・アンドルホーヴィチ]]
80年代人と呼ばれる世代以降の作家は多様なテーマで創作し、形式的にもさまざまな挑戦をおこなっている。それより前の世代は民族運動・道徳・ウクライナのアイデンティティなどのテーマが多く、特定のイデオローグの影響が大きかった{{efn|1960年代のイデオローグとして{{仮リンク|イワン・ジューバ|uk|Дзюба Іван Михайлович}}、{{仮リンク|イワン・スヴィトリーチヌイ|uk|Світличний Іван Олексійович}}、{{仮リンク|エヴヘン・スヴェルチューク|uk|Сверстюк Євген Олександрович}}らがいる{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|p=260}}。}}{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=260-263}}。解放と自由によって1990年代から2000年代に重要な作品を発表した作家として、[[ユーリー・アンドルホーヴィチ]]、{{仮リンク|エフゲン・パシュコフスキ|uk|Пашковський Євген Володимирович}}、{{仮リンク|オレーシ・ウリャネンコ|uk|Олесь Ульяненко}}、[[オクサーナ・ザブジュコ]]、{{仮リンク|ユルコー・イゾドリック|uk|Іздрик Юрій Романович}}、[[ステパーン・プロチュク]]らがいる{{efn|この時期の作品として、パシュコフスキ『Вовча зоря』(1991年)、アンドルホーヴィチ『Московіада』(1993年)や『Перверзія』(1995年)、ウリャネンコ『Сталінка』(1996年)、ザブジュコ『ウクライナのセックスのフィールドワーク』(1996年)、イゾドリック『Воццек』(1997年)、プロチュク『Шибениця для ніжності』(2001年)などがある{{sfn|ホメンコ|2019|p=107}}。}}{{sfn|ホメンコ|2019|p=107}}。これらの多様な作品は、ウクライナにおける[[ポストモダン文学]]の受容と密接な関係があり、旧世代の作家の作品にもポストモダンは影響を与えた{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=262-263}}。
 
=== 詩、歌謡 ===
1987年に結成された詩人グループのブー・バー・ブーは、ペレストロイカ期の1987年から1992年にかけて[[リヴィウ]]や[[キーウ]]で詩の朗読会を行い、風刺と笑いの作風で人気を集めた{{sfn|奈倉|2023|p=109}}。ブー・バー・ブーのメンバーであるユーリー・アンドルホーヴィチは現代ウクライナ文学の牽引者として知られており、小説やエッセイも発表し、ハンナ・アレント賞などで国際的な評価を得ている{{sfn|ホメンコ|2019|p=119}}{{sfn|奈倉|2023|p=110}}。
 
[[File:Kateryna Kalytko in 2019.jpg|thumb|200px|カテリーナ・カリツコ]]
[[File:Serhiy Zhadan Frankfurter Buchmesse 2022 2.jpg|thumb|200px|セルヒー・ジャダン]]
[[セルヒー・ジャダン]]は繊細な詩とソ連崩壊後の社会問題をテーマとする小説を発表している{{sfn|ホメンコ|2019|p=123}}。[[カテリーナ・カリツコ]]は詩作の他に[[ボスニア語]]の文学の研究や翻訳を行なっており、ウクライナ社会の断絶や問題、言葉の必要性をテーマにしている<ref name='penuk210816a'>{{Cite web |date=2021-08-16 |title=Катерина Калитко: "Ми не вміємо вправлятися зі своєю свободою" |url= https://pen.org.ua/kateryna-kalytko-my-ne-vmiyemo-vpravlyatysya-zi-svoyeyu-svobodoyu |access-date=2024-05-23 |website=PEN Ukraine |language=uk}}</ref><ref name='penuk210816b'>{{Cite web |date=2021-08-16 |title=Калитко Катерина |url=https://pen.org.ua/members/kalytko-kateryna |access-date=2024-05-23 |website=PEN Ukraine |language=uk}}</ref>。{{仮リンク|イリーナ・ ツィリック|uk|Ірина Цілик}}は、詩人・作家のほかに映画監督としても活動している{{sfn|ホメンコ|2019|p=125}}。音楽活動を行う作家もおり、セルヒー・ジャダンはロックバンド{{仮リンク|ジャダン・イ・ソバキ|uk|Жадан і Собаки}}(ジャダンと犬)、イレーナ・カルパは{{仮リンク|カルパ (バンド)|uk|Qarpa|label=カルパ}}というパンクバンドで人気を呼んでいる{{sfn|ホメンコ|2021|pp=26-27}}。ウクライナ文学では、短編小説が詩に近い形式としても用いられている([[#小説|後述]])。
 
1960年代にデビューした[[リーナ・コステンコ]]は、幼少期に[[独ソ戦]]を経験し、政治的圧力を受けながら創作を続けて1980年代に著名になった経歴があり、ウクライナ文学の生き証人である。歴史物語詩『{{仮リンク|マルーシャ・チュライ (リーナ・コステンコの作品)|uk|Маруся Чурай (роман)|label=マルーシャ・チュライ}}』(1979年)や『十字路のマドンナ』(2012年)など古典的な詩から自由詩までさまざまな形式で発表している{{sfn|原田|2018|pp=105-106, 138}}{{sfn|ホメンコ|2019|p=106, 117}}。19世紀の詩人[[タラス・シェフチェンコ]]は民族独立の象徴になっている国民的作家で、生誕200年祭は尊厳の革命の直後に行われた{{efn|ロシア侵攻後は、シェフチェンコの詩『死者と生者とまだ生まれざる同郷人たちへ』をもとにしたシールが街の一角に貼られることもあった{{sfn|キャンベル|2023|p=151}}。}}{{sfn|藤井|2018|p=188}}。
 
=== 小説 ===
[[File:Oksana Zabuzhko, 2015.jpg|thumb|200px|オクサーナ・ザブジュコ]]
短編小説は、叙事詩に近い形式としてウクライナ社会の明暗を表現するのに適しており、独立後に多数の短編が書かれた{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=258-260}}{{sfn|ホメンコ|2019|pp=116-117}}。理想と現実のギャップや絶望感を反映し、2000年代までの作品には弱者や敗者が多く登場する{{sfn|ホメンコ|2019|p=109}}。{{仮リンク|ワシーリ・ポルチャク|uk|Портяк Василь Васильович}}の『脱出』は、ソ連末期の社会と[[出エジプト記]]をモチーフにして出口の幻想に導かれるホームレスの姿を描いた{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|p=261}}。{{仮リンク|ヴォロディーミル・ダニレンコ|uk|Даниленко Володимир Григорович}}の作品では、首都の裕福な青年を指す「キーウの坊ちゃん」という言葉に憧れる若い男が破滅する{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=161, 262-263}}。
 
短編小説の流行ののちに長編小説が発表されるようになった。オクサーナ・ザブジュコは『置いて行かれた秘密の図書館』(2009年)という832ページの小説を発表し、ウクライナには本当に長い長編がないという批判への反証となった{{efn|ザブジュコはベラルーシの作家[[スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ]]の『チェルノブイリの祈り』をロシア語からウクライナ語に翻訳している{{sfn|奈倉|2023|p=110}}。}}{{sfn|ホメンコ|2019|pp=116-117}}。詩人のリーナ・コステンコは初の小説として、オレンジ革命を経験するプログラマーの物語『{{仮リンク|ウクライナのいかれた人の日記|uk|Записки українського самашедшого}}』(2010年)でも注目された{{sfn|ホメンコ|2019|p=117}}。[[アンドレイ・クルコフ]]の『{{仮リンク|ペンギンの憂鬱|uk|Пікнік на льоду}}』(1996年)、『大統領の最後の恋』(2004年)、『ウクライナ日記』(2015年)は、独立後から2010年代のウクライナ社会の変化も描いている{{sfn|奈倉|2023|pp=110-111}}。
 
[[File:T.Maljartschuk.jpg |thumb|200px|ターニャ・マリャルチュック]]
[[File:Ljubko Deresz 2015.jpg|thumb|200px|リューブコ・デーレシ]]
{{仮リンク|ミロスラフ・ドチネツィ|uk|Дочинець Мирослав Іванович}}の『時代をみた人』(2011年)はカルパチアの老人の伝記の形式をとりながら過去のウクライナ人の知恵が語られている。長生きの秘訣、食事やレシピ、運動についても触れられており、それまでウクライナになかった種類の作品だった{{sfn|ホメンコ|2019|p=118}}。ウィーン在住の[[ターニャ・マリャルチュック]]は幅広くテーマを扱い、ウクライナの厳しい現実、[[マジック・リアリズム]]、思想家の{{仮リンク|ビャチェスラフ・リピンスキ|uk|Липинський В'ячеслав Казимирович}}をテーマにした作品などがある{{sfn|ホメンコ|2019|p=121}}。[[リューブコ・デーレシ]]は18歳で最初の作品を出版し、世代間の衝突や孤独感などを描く。ポストモダンやファンタジーの作風もあり、同世代に読まれている{{sfn|ホメンコ|2019|pp=123-124}}{{sfn|奈倉|2023|p=110}}。
 
[[file:Marina and Sergey Dyachenko.jpg|thumb|200px|マリーナ&セルゲイ・ディアチェンコ]]
SF、ファンタジー、ホラーなどの作品は独立後に増えて読まれるようになった{{sfn|宮風|2015|p=}}{{sfn|ホメンコ|2019|pp=114, 121}}。
{{仮リンク|ウラジーミル・アレーネフ|uk|Володимир Арєнєв}}はファンタジーを中心としつつ評論でも活動し、自作のウクライナ語訳も手がける{{sfn|宮風|2015|p=54}}。{{仮リンク|ゲンリ・ライオン・オルジ|uk|Генрі Лайон Олді}}はドミートリイ・グロモフとオレグ・ラディジェンスキイのコンビのペンネームで、ファンタジー、ホラー、SFなどの要素を組み合わせた作風を持つ{{sfn|宮風|2015|pp=62-63}}。{{仮リンク|マクス・フライ|uk|Макс Фрай}}は画家のスヴェトラーナ・マルティンチクのペンネームで、90年代後半のファンタジーブームを牽引し、SFやアンソロジーの編集でも活動している{{sfn|宮風|2015|p=106}}。{{仮リンク|マリーナ&セルゲイ・ディアチェンコ|uk|Дяченки Марина та Сергій}}はジャンルにとらわれずに共作している夫妻作家で、少女が奇妙な専門学校で人間ではない存在に変容する過程を、家族関係や恋愛をまじえながら描いた長編『[[:uk:Vita Nostra|Vita Nostra]]』(2007年)が広く読まれた{{sfn|宮風|2015|pp=82-83}}。{{仮リンク|アンドレイ・ワレンチノフ|uk|Андрій Валентинов}}は歴史上の人物が登場するファンタジーを執筆しており、架空歴史小説のシリーズを発表している{{sfn|宮風|2015|p=127}}。テチャーナ・マリャルチュックにはマジック・リアリズム的な設定で周囲に馴染めない主人公が登場する作品もある{{sfn|ホメンコ|2019|p=121}}。[[クリミア半島]]出身のイラストレイターの{{仮リンク|カテリナ・シュタンコ|uk|Штанко Катерина Володимирівна}}は『龍たち、行け!』(2014年)という児童文学でクリミアが舞台のファンタジー作品を書いている{{efn|その他のファンタジーやSFの作家として、{{仮リンク|ユリヤ・ウラジミロヴナ・オスタペンコ|uk|Остапенко Юлія Володимирівна}}、{{仮リンク|ナターリヤ・ソコローワ|ru|Соколова, Наталья Викторовна}}、{{仮リンク|アレクサンドル・ゾリチ|uk|Олександр Зорич}}{{sfn|宮風|2015|pp=90-91}}、{{仮リンク|ユーリイ・ニキーチン|uk|Нікітін Юрій Володимирович}}、{{仮リンク|ウラジーミル・ポクロフスキイ|uk|Покровський Володимир Валерійович}}らがいる{{sfn|宮風|2015|p=}}。}}{{sfn|宮風|2015|p=}}
{{sfn|ホメンコ|2019|p=127}}。
 
[[File:Ірен Роздобудько.jpg |thumb|200px|イレン・ロズドブディコ]]
{{仮リンク|イレン・ロズドブディコ|uk|Роздобудько Ірен Віталіївна}}はサスペンス作家で脚本家でもあり、街の一般的なウクライナ女性を描く作品が多い。{{仮リンク|ラリーサ・デニセンコ|uk|Денисенко Лариса Володимирівна}}は『マスクでの踊り』(2006年)でウクライナ人にとって珍しい韓国のウクライナ人の物語を描いた。{{仮リンク|リュコー・ダシュワル|uk|Люко Дашвар}}は村や小さな町の生活や対立、人間関係をテーマとしている。歌手でもある[[イレーナ・カルパ]]は日常会話のウクライナ語で小説、紀行などを発表している{{sfn|ホメンコ|2021|pp=26-27}}。
 
独立後の小説には歴史や社会をテーマにした作品が増え、ソ連時代は検閲されていたテーマも発表されている(後述){{sfn|ホメンコ|2019|p=116}}。
 
=== エッセイ、ノンフィクション ===
[[File:Вп тарас прохасько.jpg|thumb|200px| タラス・プロハシコ]]
疫学者の{{仮リンク|ユーリー・シチェルバク|uk|Щербак Юрій Миколайович}}は、チェルノブイリ原発事故についてのドキュメンタリーとして『チェルノブイリからの証言』(1987年)を発表した{{sfn|ホメンコ|2019|p=200}}<ref name='複合原子力科学研究所'>{{cite web | title =来日講演会資料 チェルノブイリの遺産:21世紀へ向けて ユーリ・シチェルバク、ウクライナ特別全権大使 | publisher = 複合原子力科学研究所 | date =2006年4月 | url = http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No102/scherbak060414.pdf | accessdate =apr 8, 2024}}</ref>。{{仮リンク|タラス・プロハシコ|uk|Прохасько Тарас Богданович}}の『{{仮リンク|なぜならその通りである|uk|БотакЄ}}』(2010年)は端正なウクライナ語で哲学的な内容を持ち、自由や社会、人間関係について考察されている{{sfn|ホメンコ|2018|p=120}}。尊厳の革命とその後の模様はエッセイや日記としても発表された{{efn|{{仮リンク|ルスラン・ホロウィイ|uk|Руслан Горовий}}、{{仮リンク|アルテム・チェフ|uk|Артем Чех}}、アンドレイ・クルコフらの著作がある{{sfn|ホメンコ|2019|p=126}}。}}{{sfn|ホメンコ|2019|p=126}}。
 
ユリア・サヴォースティナ(Юлия Савостина)は、2013年に「国産で1年生きる」というプロジェクトを行い、ウクライナ産の品物のみを扱う店舗やマーケットを企画し、それをもとにした本も発表した{{sfn|ホメンコ|2021|p=32}}。{{仮リンク|ボグダン・ログウィネンコ|uk|Богдан Логвиненко}}は旅行ブログの執筆から旅行記を出版し、ウクライナ各地の文化とそれを支える人々を紹介する動画プロジェクトを行っている{{sfn|ホメンコ|2019|p=125}}。オリガ・コトルシ (Ольга Котрус)はパリでの生活をブログに書いて話題になり、キーウに戻ってから『私を食べてしまった街』という本を予約制で自費出版した{{sfn|ホメンコ|2019|p=113}}。ウィーン在住の[[テチャーナ・マリャルチュック]]は国外のウクライナ人のアイデンティティについて書いている{{sfn|ホメンコ|2021|p=32}}。
 
=== ジェンダー ===
[[File:Кононенко Євгенія.jpg |thumb|200px|エウヘーニャ・コノネンコ]]
ウクライナ独立後の初のフェミニストとしては、文芸評論家の{{仮リンク|ソロミヤ・パウリチコ|uk|Соломія Павличко}}や作家・評論家のオクサーナ・ザブジュコがいる{{sfn|ホメンコ|2019|p=119}}。ザブジュコはウクライナ社会の女性の役割や考え方を『{{仮リンク|ウクライナ人のセックスのフィールドワーク|uk|Польові дослідження з українського сексу}}』(1996年)で論じた{{sfn|ホメンコ|2021|pp=25-26}}。セックスとアイデンティティはそれまで語られていなかったテーマだった。ウクライナでは性的な話がある作品は少なく、ザブジュコの前述の作品や、ボグダン・ログウィネンコが書いたポルノ映画に出演する女性の日記体小説などがある{{sfn|ホメンコ|2019|p=119, 125-126}}。ソ連末期の社会を描いた作品に{{仮リンク|エウヘーニャ・コノネンコ|uk|Кононенко Євгенія Анатоліївна}}の「新しいストッキング」があり、姑と夫に手術費用のための売春を強要される妻を通して、家族愛を口実にした欺瞞を描いた{{sfn|ホメンコ|2005|p=261}}。
 
[[File:Тамара Марценюк.jpg|thumb|200px|タマラ・マルツェニュック]]
[[File:Karpa-gdansk-nnastazja-IMG0017.7.jpg|thumb|200px|イレーナ・カルパ]]
尊厳の革命は女性の意識や社会進出に影響を与えた。ヤヌコーヴィチ政権への反対運動に参加した女性は、デモの舞台となった独立広場で積極的に活動した。社会における自分の位置や自立を考えるきっかけとなり、女性をテーマにした出版も増加した{{sfn|ホメンコ|2021|pp=28-31}}。女性が活躍する『これは彼女が作った』(2018年)という子供向けの物語が出版されて人気を呼び、続刊も作られた{{efn|ジャーナリスト出身の{{仮リンク|ハンナ・ホプコ|uk|Гопко Ганна Миколаївна}}や{{仮リンク|スヴェトラーナ・ザリシュック|uk|Заліщук Світлана Петрівна}}など若い世代の女性議員も増えた{{sfn|ホメンコ|2021|p=31}}。}}{{sfn|ホメンコ|2021|p=31}}。{{仮リンク|タマラ・マルツェニュック|uk|Тамара Марценюк}}は『皆のためのジェンダー。ステレオタイプを変革しよう』(2017年)や『なぜフェミニズムを怖がらなくてもいいのか』(2018年)で注目を集めた{{sfn|ホメンコ|2021|p=31}}。アメリカ在住の{{仮リンク|オクサーナ・ルツィーシナ|uk|Оксана Луцишина}}は、ウクライナ社会の女性、家族、愛、暴力などをテーマにしている。パリで活動するイレーナ・カルパはパリのウクライナ女性をテーマにした『アラル海からの日記』(2019年)や、『どうして何回も結婚していいのか』(2020年)において伝統的なウクライナの女性像や家族観の変化を書いてヒットした{{sfn|ホメンコ|2021|pp=32-33}}。女性や家族、女性の声を読みやすく伝える作家として、{{仮リンク|ハリーナ・フドビチェンコ|uk|Вдовиченко Галина Костянтинівна}}や{{仮リンク|ミラ・イワンツォワ|uk|Міла Іванцова}}もおり、フドビチェンコは『黒くてより黒い鶏』(2018年)など子供向けの本も発表している{{sfn|ホメンコ|2019|p=122}}。ラリーサ・デニセンコは児童書『マヤと彼女のお母さん達』(2017年)では多様化する家族の形を子ども向けの物語として広めた{{sfn|ホメンコ|2021|p=26}}。
 
[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスの流行]]によるロックダウンが始まった時期には、ウクライナ初の女性向け出版社として{{仮リンク|クリエイティヴ・ウーマン・パブリッシング|uk|Creative Women Publishing (видавництво)}}が設立された。同社は女性の支援を目標とし、女性の原稿を集めたエッセイ集『Про що вона мовчить』(2021年)を出版した<ref name="womanmagazine">{{Cite web|url=https://womanmagazine-npp.com/2021/03/25/creative-women-publishing-horosha-komanda-ce-koli-ne-zrozumilo-hto-bos/|title=Creative Women Publishing: «Хороша команда – це коли не зрозуміло, хто бос»|last=Егорова|first=Ніка|date=25 березня 2021|website=Woman Magazine|accessdate=2024.05.08}}</ref>。このエッセイ集には、身体性、セクシュアリティ、母性、病気、死別、家庭内暴力、有害な関係、自分らしくあることなどについての物語や経験が収められた<ref>{{Cite web|title=«Чоловіки бились об заклад, коли я вже здамся». Історія першої українки, яка піднялася на Еверест|url=https://www.wonderzine.com.ua/wonderzine/culture/books/5155-choloviki-bilis-ob-zaklad-koli-ya-vzhe-zdamsya-istoriya-pershoyi-ukrayinki-yaka-pidnyalasya-na-everest|website=Wonderzine|date=2021-04-19|accessdate=2024-05-08}}</ref>。
 
=== 歴史 ===
[[File:Vinnitchuk.jpg|thumb|200px|ユーリー・ウィニチューク]]
独立後のウクライナでは、ソ連で禁止されていた歴史テーマも扱われている。20世紀初頭の独立運動はウクライナ革命とも呼ばれているが、ソ連時代にはブルジョワ民族主義や分離主義として否定されていた{{sfn|ホメンコ|2019|pp=116-117}}{{sfn|光吉|2018b|p=161}}。また、ウクライナを中心として大量の餓死者を出した[[ホロドモール]]について書くことはタブーとされていた{{sfn|赤尾|2018|p=98}}。
 
{{仮リンク|カテリーナ・モトリッチ|uk|Мотрич Катерина Вакулівна}}の短編「天空の神秘の彼方に」(1991年)は、ホロドモールから第二次大戦後の時代を舞台にして民衆の苦難を詩的に描いた{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|pp=258-260}}。{{仮リンク|ワシーリー・シクリャル|uk|Шкляр Василь Миколайович}}はウクライナのベストセラーの父とも呼ばれ、1920年代の[[ソビエト・ウクライナ戦争]]におけるウクライナ独立軍を描いた『{{仮リンク|黒いカラス|uk|Чорний ворон. Залишенець}}』(2009年)が最も知られている。{{仮リンク|ユーリー・ウィニチューク|uk|Винничук Юрій Павлович}}は小説の他に短編、児童書、歴史書や百科事典にも関わっており、『{{仮リンク|死のタンゴ|uk|Танґо смерті (роман)}}』(2012年)では第二次世界大戦下のウクライナ人、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人の友人関係と現在が交錯する。{{仮リンク|ヴォロディーミル・リース|uk|Лис Володимир Савович}}は、『{{仮リンク|ヤーコブの100年間|uk|Століття Якова}}』(2010年)で5つの政権を経験した人物を主人公にしている。シクリャルとリースの作品はウクライナ文学の授業にも採用された{{sfn|ホメンコ|2019|pp=117-118}}。{{仮リンク|マリヤ・マティオス|uk|Матіос Марія Василівна}}はウクライナの複雑な歴史と人間関係を描き、『{{仮リンク|可愛いダルーシャ|uk|Солодка Даруся}}』(2004年)ではソ連軍に占領されたウクライナの村が舞台となっている{{sfn|ホメンコ|2019|p=120}}。
 
=== 紛争 ===
[[File:Могила письменниці Вікторії Амеліної..jpg|thumb|200px|ロシアの攻撃で死亡したヴィクトリア・アメリーナの墓]]
2014年以降には政変やウクライナ紛争についての作品が増加している。アンドレイ・クルコフの小説『{{仮リンク|灰色のミツバチ|uk|Сірі Бджоли}}』(2018年)では、紛争の前線近くに住んでいる養蜂家がロシア人、ウクライナ人、[[クリミア・タタール人]]と交流するが、どちらの陣営からも警戒されてしまう{{sfn|奈倉|2023|pp=112-114}}。イリーナ・ ツィリックは、軍隊に志願する女性たちが増加する傾向に注目して『見えない部隊』(2017年)というドキュメンタリーも作った{{sfn|ホメンコ|2021|p=29}}。侵攻後は以前のような創作活動はできないと語る作家もいる{{sfn|名古屋学院大学|2023|pp=5-6}}。他方、2014年以降のキーウではグラフィティ(ムラール)が増え、19世紀や20世紀の作家であるタラス・シェフチェンコ、[[イヴァン・フランコ]]、[[レーシャ・ウクライーンカ]]らも描かれている{{sfn|ホメンコ|2023|p=85}}。
 
児童書でも紛争が語られるようになり、『戦争が町にやってくる』(2015年)や『私のおじいちゃんはサクランボの木だった』(2015年)が出版された{{sfn|ホメンコ|2019|pp=126-127}}<ref name='絵本ナビ'>{{cite web | title =ウクライナの翻訳絵本『戦争が町にやってくる』平和とは戦争とは何か | publisher = 絵本ナビ | date =2022.6.16 | url = https://style.ehonnavi.net/ehon/2022/06/14_717.html | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。絵本作家のオリガ・グレベンニクによる『戦争日記』は、子供を連れて[[ハルキウ]]から避難した体験が描かれている{{sfn|奈倉|2023|pp=112-114}}。児童文学作家の[[ヴォロディミル・ヴァクレンコ]]は、自閉症の息子のために物語を書いたり、児童施設での読み聞かせなどで子供を支援していたが、ロシア軍に連行されたのちに遺体で発見された<ref name='BBC'>{{Cite news|和書 |title="Видали свої ж". Як жив і загинув від рук росіян письменник Володимир Вакуленко |url=https://www.bbc.com/ukrainian/news-63863965 |work=BBC News Україна |access-date=2024-05-08 |language=uk |date=2022-12-06}}</ref>。作家・人権活動家の{{仮リンク|ヴィクトリア・アメリーナ|uk|Амеліна Вікторія Юріївна}}は、ウクライナの人権団体トゥルース・ハウンズ(真実の猟犬)と共にロシアの戦争犯罪を取材し、ヴァクレンコがロシア軍に連れ去られる前に隠した日記を発見した<ref name='Wedge'>{{cite web | title =ロシアの戦争犯罪を告発し続けたウクライナ人作家の死 | publisher = Wedge | date =2023.7.19 | url = https://wedge.ismedia.jp/articles/-/30863 | accessdate =may 8, 2024}}</ref>。しかしアメリーナは2023年にミサイル攻撃によって死亡し、共に食事をしていたコロンビアの作家らも被害を受けた{{efn|アメリーナは、リヴィウ出身でポーランドのSF作家[[スタニスワフ・レム]]が住んでいた家を舞台とした小説『Дім для Дома』も発表している<ref name="amelina">{{Cite web|title=Вікторія Амеліна: «Дім для Дома» – книжка про небезпечну ностальгію»|url=https://slovopravdy.com.ua/viktoriya-amelina-dim-dlya-doma-knyzhka-pro-nebezpechnu-nostalgiyu/|website=Слово Правди - новини Володимира-Волинського|date=2017-11-03|accessdate=2024-05-08|language=uk|last=Вікторія|archive-date=20 січня 2021|archive-url=https://web.archive.org/web/20210120191112/https://slovopravdy.com.ua/viktoriya-amelina-dim-dlya-doma-knyzhka-pro-nebezpechnu-nostalgiyu/}}</ref>。}}<ref name='日本ペンクラブ'>{{cite web | title =ウクライナPEN、ヴィクトリア・アメリーナ氏逝去の報 | publisher = 日本ペンクラブ | date =2023.2.9 | url = http://japanpen.or.jp/post-3224/ | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。
 
[[File:Ostap Slyvynsky.JPG|thumb|200px|『戰争語彙集』を編纂したオスタップ・スリヴィンスキー]]
劇場がシェルターとして使われ、空爆から避難する人々が増えた。昼は支援物資の配布、夜は上演が行われることもある。[[イヴァーノ=フランキーウシク]]の劇場では新作としてレーシャ・ウクライーンカの『{{仮リンク|森の歌 (詩)|uk|Лісова пісня|label=森の歌}}』を現代風に演出した{{sfn|ホメンコ|2023|p=89}}。[[マリウポリ]]では[[マリウポリの劇場への爆撃|劇場への爆撃]]によって劇場が廃墟となり、マリウポリの劇団『コンツェプツィヤ』はウクライナ軍を支援するチャリティー公演『笑う心のレントゲン』をキーウで行った<ref name='ukrinform230317'>{{cite web | title =マリウポリ劇場の俳優たち、キーウでウクライナ軍支援の慈善舞台を上演 | publisher = ukrinform | date =2023.3.17. | url = https://www.ukrinform.jp/amp/rubric-society/3683748-mariupori-ju-changno-pai-youtachikiudeukuraina-jun-zhi-yuanno-ci-shan-wu-taiwo-shang-yan.html | accessdate =may 8, 2024}}</ref>。人形劇と舞台芸術の施設である{{仮リンク|リヴィウ人形劇場|uk|Львівський обласний театр ляльок}}は避難所となりつつ新規公演を続けている。大人向けの新作も増やし、ウィニチュークの小説『死のタンゴ』の舞台版を上演した{{sfn|キャンベル|2023|pp=155-156}}。
 
作家とは異なるウクライナ市民の言葉も出版されている。『ウクライナ戦争日記』は、ハルキウ出身で東京在住の市民によって編集された<ref name='朝日新聞'>{{cite web | title =あの日を境に変わった日常 市民の声を集めた「ウクライナ戦争日記」 | publisher = 朝日新聞 | date =2022年8月14日 | url = https://www.asahi.com/articles/ASQ8G0003Q8DUHBI035.html | accessdate =apr 8, 2024}}</ref>。詩人・翻訳家の[[オスタップ・スリヴィンスキー]]は、日常の言葉の意味が戦争によって変わってしまったことに気づき、避難者の証言を集めて『戰争語彙集』を出版した{{efn|たとえば「ココア」「シャワー」「ナンバープレート」「沈黙」「林檎」などの言葉がある{{sfn|スリヴィンスキー|2023|pp=27, 40, 107, 114}}。}}。スリヴィンスキーは本書のきっかけとして、[[リヴィウ]]に避難してきた人々を支援した体験をあげている{{efn|スリヴィンスキーは『戰争語彙集』の序文で、ポーランドの詩人[[チェスワフ・ミウォシュ]]が『世界』という叙事詩で日常の言葉を独自に解釈したことをあげている。ミロシュは[[ナチス・ドイツとソビエト連邦によるポーランド占領|ナチス占領下]]のワルシャワで暮らしていた{{sfn|スリヴィンスキー|2023|p=2}}。}}<ref name='NHK'>{{cite web | title =戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ | publisher = NHK | date =2023年8月23日 | url = https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4814/ | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』は、日本のアニメ、漫画、小説を愛好する市民が[[ドニプロ]]から日本に渡航した体験が書かれている<ref name='東京新聞'>{{cite web | title =16歳少女が見たロシア侵攻のリアル ウクライナから日本に1人で避難 日本語でつづった日記を本に | publisher = 東京新聞 | date =2022年10月22日 | url = https://www.tokyo-np.co.jp/article/209606 | accessdate =apr 8, 2024}}</ref>。
 
=== 言語の多様性 ===
[[File:Andrij Kurkow - Buchmesse Wien 2022.JPG|thumb|200px|アンドレイ・クルコフ]]
歴史的には、[[ウクライナにおけるロシア語#ウクライナのロシア語文学|ウクライナ出身者のロシア語文学]]も書かれてきた。ウクライナ東部や南部にはロシア語話者が多い{{efn|著名な作家として[[ニコライ・ゴーゴリ]]、[[ミハイル・ブルガーコフ]]、[[アンナ・アフマートヴァ]]らがいる{{sfn|中澤|2018|p=102}}{{sfn|中村|2018|pp=207-208}}。}}{{sfn|中澤|2018|p=102}}。現代ウクライナのロシア語作家として小説家の[[アンドレイ・クルコフ]]、詩人の{{仮リンク|アレクサンドル・カバノフ|uk|Кабанов Олександр Михайлович}}、詩人・小説家の{{仮リンク|アンドレイ・ポリアコフ|uk|Поляков Андрій Генадійович}}らがいる。クルコフの作品をはじめとしてウクライナ、ロシア両国で読まれ世界各国でも翻訳されている{{sfn|中村|2018|p=211}}。
 
[[File:Artem Chapeye 2015.jpg|thumb|200px|アルテム・チャパイ]]
独立後の特徴として、ウクライナ語とロシア語の混合語である[[スルジク]]作品の増加がある。{{仮リンク|ミハイロー・ブリニフ|uk|Михайло Бриних}}はスルジクで文学史をテーマにした作品を執筆しており、架空の博士が世界文学の作品を語るというスタイルを取っている{{sfn|ホメンコ|2019|p=116}}。[[クリミア・タタール]]の現代文学は、{{仮リンク|ミコラ・ミロシニチェンコ|uk|Мірошниченко Микола Миколайович}}によってウクライナでの紹介やウクライナ語訳が進んだ{{efn|クリミア・タタールは2014年に[[ロシアによるクリミアの併合]]が行われた。}}<ref>{{Cite web |url=http://www.ukrlife.org/main/uacrim/vitchyzna.html |title=Данило КОНОНЕНКО, Мости духовного єднання |accessdate=2024.5.8. |archive-date=25 лютого 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140225195739/http://www.ukrlife.org/main/uacrim/vitchyzna.html }}</ref>。
 
[[File:Marjana Gaponenko 1.png|thumb|200px|マリアナ・ガポネンコ]]
複数の言語で執筆する作家もいる。脚本家の{{仮リンク|レシ・ポデレビャンスキ|uk|Лесь Подерв’янський}}はウクライナ語、スルジク、ロシア語を使っている{{sfn|ホメンコ|2019|p=116}}。小説家の{{仮リンク|ウラジミール・ラフェエンコ|uk|Рафєєнко Володимир Володимирович}}やイレン・ロズドブディコ、劇作家の{{仮リンク|ナタリア・ヴォロジビト|uk|Ворожбит Наталія Анатоліївна}}らはロシア語作家として活躍したのちウクライナ語でも執筆するようになった。{{仮リンク|アルテム・チャパイ|uk|Артем Чапай}}は『奇妙な人々』(2019年)でスルジクを中心にしながら登場人物や場面に応じてウクライナ語やロシア語も取り混ぜている{{sfn|ホメンコ|2019|pp=116, 122}}{{sfn|池澤|2023|pp=112-113}}。スルジクを執筆に使うことについては作家の間でも賛否が分かれつつも、ウクライナの言語の多様性は文芸作品にも反映されている{{efn|文学に限らず、歌手の[[ヴェールカ・セルヂューチュカ]]の人気にもウクライナの言語文化の特徴が表れている{{sfn|ホメンコ|2019|p=116}}。}}{{sfn|池澤|2023|pp=112-113}}。
 
ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックはドイツ語でも執筆し、ドイツの文学賞{{仮リンク|インゲボルグ・バッハマン賞|de|Ingeborg-Bachmann-Preis}}を受賞した{{sfn|ホメンコ|2019|p=121}}。オデッサ出身の{{仮リンク|マリアナ・ガポネンコ|uk|Гапоненко Мар'яна Михайлівна}}は15歳でドイツ語を学んでドイツ語で執筆し、ウクライナを舞台にした作品も発表している{{sfn|名古屋学院大学|2023|pp=2, 24}}。
 
== 文学論 ==
独立後には文学研究や文芸評論が進んでおり、独立前後の文学の違いや、独立後の文学の発展の理由などについて論じられている{{sfn|ホメンコ|2019|pp=108-109}}。独立後に盛んになった議論として、世代による政治性の違いがある。1960年代のように社会や政治を積極的に改革しようとする姿勢と、1980年代以降の政治風刺や非政治的な姿勢についての議論がきっかけだった。2014年以降のウクライナ政府とロシア政府の対立の影響で、言語と政治的立場を考慮しない発言が難しい状況となっている{{sfn|奈倉|2023|pp=113-114}}。
 
== 作家団体、機関 ==
ソ連時代から存在していた作家団体として{{仮リンク|ウクライナ作家同盟|uk|Національна спілка письменників України}}がある。1996年には、80年代人や90年代人の作家が中心となって{{仮リンク|ウクライナ作家協会|uk|Асоціація українських письменників}}が設立された。作家協会の活動には、全体主義からの決別、中央集権体制が要求する等質性の否定、作品の多様性と地方分権の主張などがある{{sfn|藤井, ホメンコ編訳|2005|p=264}}。
 
ウクライナ文学の普及を目的とする国家機関として、文化省の{{仮リンク|ウクライナ書籍協会|uk|Український інститут книги}}がある。読書促進、出版や翻訳活動の支援、国内でのイベントや、国外への普及のために国際ブックフェアでのブース運営を行っている<ref name='УІК'>[https://web.archive.org/web/20180131185159/https://ukr.lb.ua/blog/ukrainian_book_institute/387394_10_zapitan_pro_institut_knigi.html 10 запитань про Інститут книги]&nbsp;— Лівий берег, 16 січня 2018</ref>。
 
== 出版、図書館、イベント ==
[[File:Україна на Франкфуртському книжковому ярмарку.jpg|thumb|200px|2018年のフランクフルト・ブックフェアで展示された”Senses of Ukraine”<ref name='mincult'>{{Cite web|title=Міністерство культури України :: Стартував 70-й Міжнародний Франкфуртський книжковий ярмарок|url=http://mincult.kmu.gov.ua/control/publish/article?art_id=245422577|website=mincult.kmu.gov.ua|access-date=2019-01-24}}</ref>]]
ソ連時代は作家同盟に入ることで政府から作家として認められて生活が保障されたが、検閲が存在した{{sfn|ホメンコ|2019|p=111}}。現在は作品の出版のみで生活できる作家は限られており、多くの作家は他の仕事を持ちながら活動している。ソ連時代と異なり、資金があれば自費出版が可能となった。また、作家自身が出版社を起業できるようになった{{sfn|ホメンコ|2019|pp=111-112}}。
 
出版社として、{{仮リンク|ナーシュ・フォルマート|uk|Наш Формат}}、{{仮リンク|アババガラマガ|uk|А-ба-ба-га-ла-ма-га}}、{{仮リンク|アストラ (出版社)|uk|Астролябія (видавництво)|label=アストラ}}、ブック・シェフ、{{仮リンク|ネーボ・ブックラボ|uk|Nebo Booklab Publishing}}、{{仮リンク|ラーノク|uk|Ранок (видавництво, Харків)}}、{{仮リンク|コモラ|uk|Комора (видавництво)}}、{{仮リンク|ピラミダ|uk|Піраміда (видавництво)}}、{{仮リンク|エレニー・ペス|uk|Зелений пес}}、{{仮リンク|クリエイティヴ・ウーマン・パブリッシング|uk|Creative Women Publishing (видавництво)}}などがある{{sfn|ホメンコ|2019|p=117}}<ref name='ukrinform'>{{Cite web|title=ロンドン・ブックフェアにウクライナの出版社が初参加|url= https://www.ukrinform.jp/rubric-society/2658287-rondonbukkufeaniukurainano-chu-ban-shega-chu-can-jia.html |website=Ukrinform|access-date=2024-05-03}}</ref>。ウクライナの出版社は国際的なブックフェアにも参加するようになった{{sfn|ホメンコ|2019|p=127}}。2018年には[[フランクフルト・ブックフェア]]でウクライナ文学のブース”Senses of Ukraine”が展示された<ref name='mincult'></ref>。2019年には{{仮リンク|ロンドン・ブックフェア|en|London Book Fair}}にウクライナの出版社12社が初参加した<ref name='ukrinform'></ref>。
 
国内のブックフェアで最大級のものは、{{仮リンク|アーセナル・ブックフェスティバル|uk|Книжковий арсенал}}が5月に開催される{{sfn|ホメンコ|2019|pp=110-111}}<ref>{{Cite web|title=Книжковий Арсенал: нове та надовго?|url=https://life.pravda.com.ua/culture/2011/05/30/79575/|website=Українська правда _Життя|accessdate=2024-05-08}}</ref>。会場の{{仮リンク|ミステツキー・アーセナル|uk|Мистецький арсенал}}はキーウの[[ペチェールシク区]]にあり、芸術と博物館の複合施設となっている<ref name="artarsenal">{{Cite web |url=https://artarsenal.in.ua/istoriya |title=Мистецький Арсенал. Істоія створення |accessdate=2024.05.08 |archive-date=17 квітня 2021 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210417031154/https://artarsenal.in.ua/istoriya/ }}</ref>。リヴィウでは9月に{{仮リンク|ブックフォーラム・リヴィウ|uk|Book Forum Lviv}}が開催されている{{sfn|ホメンコ|2019|pp=110-111}}。
 
ロシアによるウクライナ侵攻は出版社や書店にも影響を与えている。読者の関心はロシア作家から離れ、図書館や公営書店ではロシア語書籍の回収を行った。多数のロシア語話者がウクライナから出国したことも影響し、ロシア語の書籍の売れ行きは減少した<ref name='東洋経済'>{{cite web | title =キーウの書店本棚から撤去されたロシア語書籍 ソ連批判作家の記念館にも「脱ロシア化」の矛先 | publisher = 東洋経済オンライン | date =2023年7月16日 | url = https://toyokeizai.net/articles/-/686306 | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。ロシア文学の古典への関心も変化し、2022年以降には近代ロシア文学を象徴する[[プーシキン]]の像が各地で撤去された。キーウ出身の作家[[ミハイル・ブルガーコフ|ブルガーコフ]]の{{仮リンク|ブルガーコフ記念館|uk|Літературно-меморіальний музей Михайла Булгакова}}は、ブルガーコフがウクライナ独立に否定的だったことを理由に存続が議論された<ref name='東洋経済'></ref>。
 
[[File:Kiev, Hrushevskoho str., 1.JPG|thumb|200px|キーウにある{{仮リンク|ヤロスラフ賢公記念ウクライナ国立図書館|uk|Національна бібліотека України імені Ярослава Мудрого}}。ロシアの侵攻時に図書館の被害状況や対応をブログで発信した]]
2022年のロシア侵攻当初は、ハルキウ国立科学図書館のような大規模図書館をはじめとしてハルキウ、[[チェルニーヒウ]]、[[ルハーンシク]]などの図書館が被害を受けた。文化遺産の損失が懸念され、国際的な支援も始まった{{efn|公共図書館の状況や取り組みについては、{{仮リンク|ウクライナ図書館協会|uk|Українська бібліотечна асоціація}}のFacebookアカウントや{{仮リンク|ヤロスラフ賢公記念ウクライナ国立図書館|uk|Національна бібліотека України імені Ярослава Мудрого}}のブログが情報を発信した<ref name='カレントアウェアネス220421'></ref>。}}<ref name='カレントアウェアネス220421'>{{cite web | title =ロシアによるウクライナ侵攻に関連する図書館・博物館の状況 藤田順 | publisher = カレントアウェアネス-E | date =2022.4.21 | url = https://current.ndl.go.jp/e2483 | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。2024年5月には、欧州最大級の印刷会社で国内書籍の大半を印刷していたファクトル印刷がミサイル攻撃を受けて死亡者が出た。同社で著作を印刷したことがある著者たちは、SNSで写真を投稿をして応援を表明した<ref name='朝日新聞240524'>{{cite web | title =「書籍写真投稿で応援を」 ウクライナの印刷会社に攻撃、7人死亡 | publisher = 朝日新聞 | date =2024.5.24 | url = https://www.asahi.com/articles/ASS5R6WNJS5RUHBI002M.html | accessdate =may 25, 2024}}</ref>。
 
図書館は避難民のためのセンターとなり、シェルターとしての場所や必需品を支援し、地下鉄駅に避難する人々に本を提供した<ref name='カレントアウェアネス220414'>{{cite web | title =図書館は「希望の島」であり続ける:ウクライナの図書館がロシアの侵攻にどのように対応しているか(記事紹介) | publisher = カレントアウェアネス-R | date =2022.4.14 | url = https://current.ndl.go.jp/car/45991 | accessdate =may 5, 2024}}</ref><ref name='カレントアウェアネス220822'>{{cite web | title =ウクライナの図書館員はいかにしてロシアの文化戦争に「動員」されたのか?(記事紹介) | publisher = カレントアウェアネス-R | date =2022.8.22 | url = https://current.ndl.go.jp/car/46693 | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。子供に対しては、読み聞かせや児童図書館での教育プログラムのほか、国外に避難した子供にウクライナ語の本を届けるプロジェクト “Books Following You” も行われた<ref name='カレントアウェアネス220414'></ref><ref name='朝日新聞221018'>{{cite web | title =図書室で歌って踊ろう 占領地から逃れた子どもたち 動いた司書 | publisher = 朝日新聞 | date =2022.10.18 | url = https://www.asahi.com/articles/ASQBL4DGNQBCUHBI01T.html | accessdate =mar 8, 2024}}</ref><ref name='カレントアウェアネス230722'>{{cite web | title =ウクライナ・キーウの図書館による、国外避難している子どもに本を届けるプロジェクト(記事紹介) | publisher = カレントアウェアネス-R | date =2023.7.22 | url = https://current.ndl.go.jp/car/46536 | accessdate =mar 8, 2024}}</ref>。
 
[[国際児童図書評議会]](IBBY)は「チルドレン・イン・クライシス(危機にある子どもたち)」の一環として子供への支援を行っている。Universal Reading Foundationは、ウクライナの出版社の作品をポーランドで印刷し、避難所や避難者に届けた。[[ミュンヘン国際児童図書館]]は“We Stand with Ukraine”のキャンペーポスターを作成してデータを販売し、前述のポーランドのプロジェクトに売り上げを寄付した。ウクライナ書籍協会は、ウクライナの児童書をヨーロッパで印刷する資金をクラウドファンディングで募った<ref name='国際子ども図書館'>{{cite web | title =本によって、ウクライナの子どもを支援する取り組み | publisher = 国際子ども図書館 | date =2022.06.17 | url = https://www.kodomo.go.jp/info/child/2022/2022-055.html | accessdate =may 8, 2024}}</ref>
 
== 主な現代ウクライナ作家 ==
{{see also|Category:20世紀ウクライナの著作家|Category:21世紀ウクライナの著作家}}
* 以下の一覧は、ホメンコ (2018) 、ホメンコ (2019) 、ホメンコ (2021) 、奈倉 (2023) を参照して作成。
{{Colbegin|2|}}
* {{仮リンク|ヴィクトリア・アメリーナ|uk|Амеліна Вікторія Юріївна}}
* [[エッマ・アンドリエーヴシカ]]
* [[ユーリー・アンドルホーヴィチ]]
* [[パブリュック・イゴール]]
* [[カテリーナ・カリツコ]]
* [[イレーナ・カルパ]]
* [[アンドリー・クルコフ]]
* [[リーナ・コステンコ]]
* [[オクサーナ・ザブジュコ]]
* [[セルヒー・ジャダン]]
* [[オスタップ・スリヴィンスキー]]
* [[オレーナ・ゼレンシカ]]
* [[リューブコ・デーレシ]]
* [[タマラ・ドゥーダ]]
* [[ステパーン・プロチュク]]
* [[スヴィトラーナ・ポヴァリャーイェヴァ]]
* {{仮リンク|ワシーリー・マフノ|uk|Василь Махно}}
* [[テチャーナ・マリャルチュック]]
* {{仮リンク|ヤロスラフ・メルニック|uk|Мельник Ярослав Йосипович}}
* [[タマラ・ドゥーダ]]
{{Colend}}
 
== 脚注 ==
== 現代ウクライナ詩人 ==
{{脚注ヘルプ}}
* [[ユーリー・アンドルホーヴィチ]]
=== 注釈 ===
* [[スヴィトラーナ・ポヴァリャーイェヴァ]]
{{Notelist|2|}}
* [[オスタップ・スリヴィンスキー]]
=== 出典 ===
* [[カテリーナ・カリツコ]]
{{Reflist|20em}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=池澤匠 |title=シンポジウム報告 : 「ウクライナ・ベラルーシにおける多言語文化」 |url= https://doi.org/10.15083/0002008010 |journal=東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報 |publisher=東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室 |year=2023 |month=oct |volume=37 |issue= |pages=111-120 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|池澤|2023a}}}}
* {{Cite journal|和書|author=池澤匠 |title=ウクライナの言語政策関連文書における「国家語」の定義と運用について |url=http://hdl.handle.net/2433/286413 |journal=Slavica Kiotoensia |publisher=京都大学大学院文学研究科スラブ語学スラブ文学専修 |year=2023 |month=dec |volume=3 |issue= |pages=160-189 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|池澤|2023b}}}}
* {{Citation| 和書
| author =
| title = ロシア・東欧の抵抗精神 抑圧・弾圧の中での言葉と文化
| editor = [[石川達夫]]
| publisher = 成文社
| series =
| year = 2023
| isbn =
| ref = {{sfnref|石川編|2023}}
}}
** {{Cite book|和書|author=奈倉有里|title=銃殺された文芸復興──一九三〇年代の文学グループ弾圧と、現代にいたる言語と民族の問題|ref={{SfnRef|奈倉|2023}}}}
* {{Citation| 和書
| author = オスタップ・スリヴィンスキー
| title = 戦争語彙集
| translator = [[ロバート・キャンベル]]
| publisher = 岩波書店
| series =
| year = 2023
| isbn =
| ref = {{sfnref|スリヴィンスキー|2023}}
}}
** {{Cite book|和書|author=ロバート・キャンベル|title=戦争のなかの言葉への旅|ref={{SfnRef|キャンベル|2023}}}}
* {{Cite journal|和書|author=ヴィクトリア・ソロシェンコ/進藤理香子訳 |title=冷戦体制下のソビエト文化政策とウクライナ問題 |journal=大原社会問題研究所雑誌 |ISSN= |publisher=法政大学大原社会問題研究所 |year=2021 |month=dec |volume= |issue=758 |pages=109-117 |url= https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/758_04.pdf |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|ソロシェンコ|2021}}}}
* {{Cite journal|和書|author=田中壮泰 |title=イディッシュ語で書かれたウクライナ文学 : ドヴィド・ベルゲルソンとポグロム以後の経験 |url=https://www.jsssll.org/app/download/14104254189/SlaviaIaponica_25_2022_063_Tanaka.pdf?t=1655793237 |journal=スラヴ学論集 |publisher=日本スラヴ学研究会 |year=2022 |month= |volume=25 |issue= |pages=63-82 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|田中|2022}}}}
* {{Citation| 和書 |author = [[アダム・トゥーズ]] |title= 暴落 - 金融危機は世界をどう変えたのか(上・下) |publisher = みすず書房 |series = |translator = 江口泰子, 月沢李歌子 |year = 2020 |isbn = |ref = {{sfnref|トゥーズ|2020}} }}(原書 {{Citation| 洋書 |last = Tooze |first = Adam |authorlink = |year = 2018 |title= CRASHED: How a Decade of Financial Crises Changed the World |publisher = London: Allen Lane and New York: Viking |isbn = }})
* {{Cite journal|和書|author=徳永恭子 |title=ウクライナのディスプレイスト・パーソンを描く―ウクライナ・ロシア系ドイツ語作家ナターシャ・ヴォーディンの『彼女はマリウポリからやって来た』に関して― |url=https://kindai.repo.nii.ac.jp/records/2000655 |journal=近畿大学教養・外国語教育センター紀要(外国語編) |publisher=近畿大学全学共通教育機構教養・外国語教育センター |year=2023 |month=nov |volume=14 |issue=2 |pages=1-17 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|徳永|2023}}}}
* {{Cite journal|和書|author=名古屋学院大学国際文化学部 |title=移動するアイデンティティ—東欧出身のドイツ語圏越境作家たちとともに世界平和を願って |url= https://www.ngu.jp/and-n/media/20230226symposium_report.pdf |journal= |publisher=名古屋学院大学国際文化学部 |year=2023 |month=feb |volume= |issue= |pages=111-120 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|名古屋学院大学|2023}}}}
* {{Cite journal|和書|author=藤森信吉 |title=ウクライナ –政権交代としての「オレンジ革命」–(「民主化革命」とは何だったのか:グルジア、ウクライナ、クルグズスタン) |url= https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no16/02fujimori.pdf |journal=「スラブ・ユーラシア学の構築」研究報告集 |publisher=スラヴ研究センター |year=2006 |month=aug |volume=16 |issue= |pages= |naid= |issn= |accessdate=2024-05-23 |ref={{sfnref|藤森|2006}}}}
* {{Citation| 和書
| author =
| title = ウクライナを知るための65章
| editor = 服部倫卓, 原田義也
| publisher = 明石書店
| series = エリア・スタディーズ
| year = 2018
| isbn =
| ref = {{sfnref|服部, 原田編著|2018}}
}}
** {{Cite book|和書|author=赤尾光晴|title=ウクライナとユダヤ人の古くて新しい関係|ref={{SfnRef|赤尾|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=北出大介|title=ウクライナ・ポーランド関係|ref={{SfnRef|北出|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=イーホル・ダツェンコ|title=民族・言語構成|ref={{SfnRef|ダツェンコ|2018a}}}}
** {{Cite book|和書|author=中澤英彦|title=ウクライナ語、ロシア語、スールジク|ref={{SfnRef|中澤|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=中村唯史|title=ロシア文学とウクライナ|ref={{SfnRef|中村|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=藤井悦子|title=国民詩人タラス・シェフチェンコ|ref={{SfnRef|藤井|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=藤森信吉|title=ソ連体制下のウクライナ|ref={{SfnRef|藤森|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=オリガ・ホメンコ|title=現代文学|ref={{SfnRef|ホメンコ|2018}}}}
** {{Cite book|和書|author=光吉淑江|title=ロシア帝国下のウクライナ|ref={{SfnRef|光吉|2018a}}}}
** {{Cite book|和書|author=光吉淑江|title=第一次世界大戦とロシア革命|ref={{SfnRef|光吉|2018b}}}}
* {{Cite journal|和書|author=原田義也 |title=現代のマドンナは何を祈るか -リーナ・コステンコの詩的世界- |url=http://hdl.handle.net/10291/20658 |journal=明治大学国際日本学研究 |publisher=明治大学国際日本学部 |year=2018 |month=mar |volume=10 |issue=1 |pages=105-138 |naid= |issn=18834906 |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|原田|2018}}}}
* {{Citation| 和書
| author =
| title = 現代ウクライナ短編集
| translator = 藤井悦子, オリガ・ホメンコ
| publisher = 群像社
| series = 群像社ライブラリー
| year = 2005
| isbn =
| ref = {{sfnref|藤井, ホメンコ編訳|2005}}
}}
* {{Cite journal|和書|author=オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко) |title=独立後の現代ウクライナ文学:プロセス、ジャンル、人物 |url=https://doi.org/10.15026/93283 |journal=スラヴ文化研究 |publisher=東京外国語大学ロシア東欧課程ロシア語研究室 |year=2019 |month=mar |volume=16 |issue= |pages=104-127 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|ホメンコ|2019}}}}
* {{Cite journal|和書|author=オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко) |title=女性の顔を持つウクライナ : 歴史的な伝統,社会規範,メディアでのイメージと最近のトレンド |url= https://kobegakuin-economics.jp/wp-content/uploads/2022/07/202103_52_013.pdf |journal=神戸学院経済学論集 |publisher=神戸学院大学経済学会 |year=2021 |month=mar |volume=52 |issue=3・4 |pages=13-27 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|ホメンコ|2021}}}}
* {{Citation| 和書
| author = オリガ・ホメンコ
| title = キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人
| publisher = 中央公論新社
| series =
| year = 2023
| isbn =
| ref = {{sfnref|ホメンコ|2023}}
}}
* {{Cite journal|和書|author=宮崎悠 |title=ヨーロッパの中のポーランド : ウクライナ民主化運動への反応 |url= http://hdl.handle.net/10928/561 |journal=成蹊法学 |publisher=成蹊大学法学会 |year=2014 |month=jun |volume= |issue=80 |pages=189-208 |naid= |issn= |accessdate=2024-05-23 |ref={{sfnref|宮崎|2014}}}}
* {{Cite journal|和書|author=宮風耕治 |title=現代ロシアSF人名事典 |url= https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/slavic_eurasia_papers/no7/47.pdf |journal=スラブ・ユーラシア研究報告集 |publisher=スラブ・ユーラシア研究センター |year=2015 |month= |volume= |issue=7 |pages= |naid= |issn= |accessdate=2024-05-03 |ref={{sfnref|宮風|2015}}}}
 
== 関連文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=オリガ・ホメンコ池澤匠 |title=独立後の現代ウクライナ文学:プロセス、における言語イメーャンル、人物の変化 : ロシア連邦による軍事侵攻の影響1 |url=https://doi.org/10.1502615083/932830002008006 |journal=東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文研究室年報 |publisher=東京外国語大学ロシア東欧課程ロシア大学院人文社会系研究科スラヴスラヴ文学研究室 |year=20192023 |month=maroct |volume=1637 |issue= |pages=10437-12760 |naid= |issn= |accessdate=2024-03-03 |ref={{sfnref|ホメンコ池澤|20192023c}}}}
* {{Cite journal|和書|author=ヴァルター・フォーグル, 山田カイル(訳) |title=実験、政治、ユーモア:現代オーストリア文学の傾向 |url= https://eubungaku.jp/articles/austria/austria-article-placeholder/ |journal=ああいう、交遊、EU文学 |publisher=駐日欧州連合代表部 |year=2023 |month=oct |volume= |issue= |pages= |naid= |issn= |accessdate=2024-05-23 |ref={{sfnref|フォーグル|2023}}}}
 
== 関連項目 ==
* {{仮リンク|ウクライナの出版社のリスト|uk|Список видавництв України}}
* {{仮リンク|ウクライナの文芸誌|uk|Літературні журнали України}}
 
== 外部リンク ==
*[http://poetry.uazone.net/japanese.html ウクライナ詩の電子図書館「ポエテカ」]
 
{{世界の文学}}
 
{{DEFAULTSORT:けんたいうくらいなふんかく}}