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===その末裔===
『[[史記]]』「'''趙世家'''」によると、無恤は空同氏(一説では[[戎]]の一派)の娘との間に5人の息子を儲けていた。しかし、無恤は兄の孫である趙浣(献侯)を後継者にするために後を継がせずに、息子達に対して「お前達は一族として、[[君主]]を支えよ」と諭したという。だが、これを不満に思った息子達は、無恤の死後に趙浣を放逐し、長兄を当主に立てて趙を治める。しかし、無恤の遺志を踏みにじるこの不孝の行為を国人達は批難し、5人の息子達を処刑して再び趙浣を当主として迎え入れ、無恤の遺志を守った。一説では[[南越国|南越]]の初代[[王]]となった[[趙佗]]、そして[[蜀|蜀漢]]の武将の[[趙雲]]は無恤の末裔とされる。
 
==趙無恤を題材にした小説==