「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の版間の差分

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1986-87年シーズンから導入されたスペシャル・ライセンス・プレーヤーで登録を行ったのは、この年、[[ドイツ|西ドイツ]]の[[ヴェルダー・ブレーメン]]から古巣である[[古河電気工業サッカー部]]に復帰した[[奥寺康彦]]と、[[日産自動車サッカー部]]に所属の[[木村和司]]2人のみであった。加えてこのシーズンの二人の活躍が思わしくなく、スペシャル・ライセンス・プレーヤーに対する評価は芳しいものでは無かった。
 
リーグ全体を見た導入状況では、外国籍選手を除くと奥寺・木村の在籍する古河・日産の他にも読売・[[藤和不動産サッカー部|フジタ]]・[[ヤマハ発動機サッカー部|ヤマハ]]はほぼ全選手がノン・プロフェッショナルとして登録した。その一方で[[日本鋼管サッカー部|日本鋼管]]・[[ホンダFC (サッカー)|本田]]・[[松下電器産業サッカー部|松下]]・[[東洋工業サッカー部|マツダ]]は全選手がアマチュアとして登録していた(同じく外国籍選手を除く)。<!--後にプロサッカーリーグ導入時の温度差として受け止められる事になる。←古河がライセンス導入年に原則として全選手をノンプロとしており、丸の内御三家とひとくくりにすると矛盾が生じるためコメントアウトします-->
 
<!--後にプロサッカーリーグ導入時の温度差として受け止められる事になる。←古河がライセンス導入年に原則として全選手をノンプロとしており、丸の内御三家とひとくくりにすると矛盾が生じるためコメントアウトします-->
 
しかしながら、最後の日本リーグとなった1991/92シーズン開始時には前述の各チームもすべての選手をノン・アマチュアとして登録するなど、1部所属チームではマツダに数名のアマチュア登録選手がいた以外はすべてノン・アマチュア登録選手であった。また2部でも16チーム中6チームがすべての選手をノン・アマチュア登録した(ちなみに[[読売サッカークラブ・ジュニオール|読売ジュニオール]]所属選手は外国籍選手を除きすべてアマチュア登録で、トップチームである読売クラブとは差別化がはかられている)。