'''ボルト決定''' ('''Boldt Decision''') は、「[[ワシントン州]]における[[サケ]]の年間漁獲量の半分は、[[1850年代]]に合衆国連邦政府と条約を結んだ[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民]]諸部族にその権利がある」とした、[[1974年]]の裁判判決のことである。
{{修正}}
''''合衆国対ワシントン州''''は、, better known as the '''ボルト決定'''という名称の方がよく知られている、アメリカ合衆国において論争を呼んだ1974年の訴訟であり、その結果、[[ワシントン州]]における[[サケ]]の年間漁獲量の半分が、1850年代に合衆国の連邦政府と条約を結んだワシントン州の[[先住民]]諸部族のために確保されることになった。
[[合衆国地方裁判所]]のジョージ・ボルト判事は、「その条約に用いられていおける、「『共有で」 (in common with) 』という言い回しが、葉は『先住民たちに族が年間漁獲量の半分についてを得る権利が与えられていを有する』という意味である」との裁定判断を下した。
ボルト判事は、その条約は「(白人の入植者のたちめに道を譲って先住民族は保留地に移動するという合意だったが)条約は、サケ漁獲量の半分に対するは先住民の族に永久の遠に権利があるということを重ね改めて主張するものだった」と判断した。
例えば、[[1854年]]の[[Wikisource:Treaty_of_Medicine_Creek|メディスン・クリーク条約]]には、次「すべてのような言い回しが含まれてい一般漁場における。「魚を取る権利は、通例で慣例的な漁場のすべてにおいて、その土地の市住民すべてと共有で、いわゆるインディアンに対してもよりいっそう (to said Indians '''in common with''' all citizens of the Territory) 保証される」という一文が記載されている。準州の長官であった[[アイザック・スティーヴンス]]が交渉に携わったほとんどの条約には、これと同じか、よく似た言い回しが用いられている。
このことについて、ボルト判事は次のように述べている。「辞書の定義によるとれば、そしてインディアン先住民族との条約とこや今回の判決定において意図され用いられているように、「『共有で」(in common with) 』が意味するところは、魚を獲る機会を均等に共有するということであり[…]……、したがって、条約に定められていない漁師たちは漁獲可能量の50パーセントの魚を獲るべきであ機会を有しており……、[…]条約で権利を保障されている漁師たちもまた、同じく様に50パーセントの魚を獲る機会を有するべきであしている。」
この判決定があっ下されたのは、アメリカ先住民の活動家たち、とりわけ[[ボブ・サティアカム]]による、抗議と不法漁業が最高潮に達した年だった。この裁定はすぐさま、非先住民の漁師たちを憤慨させ、激怒させたが、裁定そのものは30年以上にわたって維持された。
[[Category:アメリカ合衆国の歴史|ほるとけつてい]]
|