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[[紀元前609年|前609年]]、滅亡寸前の[[アッシリア]]の残存政権を支援する遠征の途上、ようやくアッシリアの影響を排除して[[ユダ王国]]の独立に成功していた[[ヨシヤ]]王を[[メギド]]で敗死させ、[[エジプト]]の[[シリア]]・[[パレスティナ]]地方への覇権を回復した。しかし、[[紀元前605年|前605年]]、アッシリアを滅ぼして[[メソポタミア]]に覇権を唱えた新興の[[新バビロニア]]の初代王、[[ナボポラッサル]]に差し向けられた王子、ネブカドネザル(後に即位して[[ネブカドネザル2世]])の軍に[[カルケミシュの戦い]]で敗退し、シリア・パレスティナ地方の覇権を奪われた。ただしこの戦の前後にナボポラッサルが没したため、ネブカドネザルの軍は帰国し、エジプト本国の蹂躙は免れた。
 
アジア地区のエジプト旧領を、ネブカドネザルが「ユーフラテスからエジプトの小川に到るまで」([[エレミヤ書]]64:2、[[列王記]]2 23:29)回復したため、アジアへの軍事的覇権伸張政策を放棄することを余儀なくされた。[[紀元前601年]]、アシュカロンでバビロニアに対する叛乱が起こったとき、エジプトに支援の申し入れがあったが、エジプトは援軍を送らず、バビロニアに対して東の国境を防御するにとどまった。
敗戦後はアジアへの軍事的覇権伸張政策を放棄して貿易に力を入れ、[[ナイル川]]から[[紅海]]まで[[運河]]を引こうとしたが、完成しなかった。
 
敗戦後はアジアへの軍事的覇権伸張政策を放棄して貿易に力を入れ、またギリシア人との関係を強化した。[[ナイル川]]から[[紅海]]まで[[運河]]を引こうとしたが、完成しなかった。
 
{{先代次代|[[ファラオ]]|[[エジプト第26王朝]]|[[プサムテク1世]]|[[プサムテク2世]]}}