「儒礼尼師今」の版間の差分

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田英 (会話 | 投稿記録)
新規、新羅14代王
 
田英 (会話 | 投稿記録)
+img(略系図)
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{{朝鮮の事物|
| title=儒礼尼師今
| picture=[[Image:Silla-monarch(9-16).png]]
| hangeul=유례 이사금
| hanja=儒禮尼師今
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'''儒礼尼師今'''(じゅれい にしきん、生年不詳 - [[298年]])は、[[新羅]]の第14代の王(在位:[[284年]] - 298年)であり、姓は昔氏。第11代の[[助賁尼師今]]の長男で、母は[[葛文王]](朴)奈音<ref>第10代[[奈解尼師今]](昔氏)の第二子の昔利音が、別名で奈音とされている。</ref>の娘であり、ある夜に星の光が口の中に入り身ごもったといい、誕生した日の夕方に芳香が立ち込めたという。『[[三国遺事]]』王暦では'''世理智王'''とも記される。
 
『[[三国史記]]』新羅本紀・儒礼尼師今紀では[[分注]]において、「古記によれば第3代の[[儒理尼師今]]と第14代の儒礼尼師今とが同じ[[諱]]であり、いずれが正しいのか判らない」としている。
 
==治世==
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[[297年]]、伊西国(伊西古国とも。慶尚北道[[清道郡]])に攻められ首都金城([[慶州市]])を包囲されるが、[[味鄒尼師今#竹葉軍の伝説|竹葉軍]]の助力を得てこれを退却させることに成功したという。
 
在位15年にして298年12月に死去した。埋葬地は伝わらない。
 
==脚注==