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オーストラリア出身のF1ドライバー、[[ジャック・ブラバム]]が自チームのマシンにレプコエンジンを採用。瞬間的な速さではロータスやフェラーリに一歩譲るものの、ほとんどメカトラブルを発生しないレプコエンジンの信頼性が功を奏し1966年の世界チャンピオンを獲得した。これによりブラバムは自分が製作したマシンで世界チャンピオンを獲得した史上初(現在のところ史上唯一)のドライバーになった。翌年はブラバムチームの同僚である[[デニス・ハルム]]がチャンピオンを獲得している。しかし1968年以降はライバルのエンジンも信頼性を獲得。出力の低いレプコエンジンは劣勢となる。結局レプコエンジンの世界タイトルは1966年から1967年の2年のみ。
 
このF1用レプコエンジンの開発者は、2輪の名車[[ビンセント_(オートバイ)|ビンセント]]の設計も行った天才的エンジニア[[フィル・アービング]]である。ビンセントは市販バイクとして初めて時速200キロが可能な超高速バイクだったが、アービングは「ビンセント社の社長(フィル・ビンセント)は世界一を誇示したがったが、設計者である私が最も重視したのは信頼性である。それはレプコエンジンでも同じだった」と述べている。
 
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