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Shimoxx (会話 | 投稿記録)
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* '''意義'''
: 倭国大乱の歴史的意義として、卑弥呼を中心とした新たな政治体制が再編成されたことが挙げられる。弥生時代を通じて、日本列島各地で政治勢力の広域化が進んだが、107年頃の倭国王(帥升)の登場は、北九州地域の政治勢力の統合を意味する大きな画期だったと考えられる。その後の倭国大乱は、帥升に始まる政治体制に限界が訪れたことを示唆する。その旧体制の限界を克服するために、卑弥呼を女王とする新たな政治体制が構築され、倭国大乱が収束することとなったのではないかと推測されている。なお、新政治体制の中心となった邪馬台国が北九州に所在したか、近畿に所在したかによって、この新政治体制の評価も異なる。卑弥呼による新政治体制は、安定的なものだったらしく、倭国では3世紀中期頃の[[狗奴国]]戦争が起きるまでの比較的長い間、争乱が起きなかった。
 
* [http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32582582.html/ 2世紀後半の倭国大乱=孝霊天皇の吉備平定]
 
== 否定意見 ==