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'''水野 忠盈'''('''みずの ただみつ''')は、[[三河国|三河]][[岡崎藩]]の第3代[[藩主]]。忠元系水野家4代
 
{{武士/開始|水野忠盈}}
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{{武士/氏族|[[水野氏]]}}
{{武士/父母|父:[[水野忠春]]、母:[[前田利次]]の娘・梅(清光院)}}
{{武士/兄弟|[[水野忠直]]、'''水野忠盈'''、政之助、[[水野忠之]]、<br>内匠、[[水野春隆重富]]}}
{{武士/妻|正室:[[本多忠平]]養女([[本多忠義]]の娘)・心涼院}}
{{武士/子|養子:''水野忠之''、久、照([[京極高栄]]室)}}
{{武士/終了}}
 
寛文2年(1662年)12月6日、第2代藩主・水野忠春の次男として[[江戸]]藩邸で生まれる。兄・忠直の死により嫡子となり、[[延宝]]6年([[1678年]])、従五位下、豊前守に叙位・任官する。[[元禄]]5年([[1692年]])、父が死去したため、[[家督]]を継いで岡崎藩第3代藩主となる。元禄7年([[1694年]])、西の丸大手門番に任じられ、以後も[[京都]]上使役、[[奥詰]]など諸役を歴任した。
 
元禄12年(1699年)8月4日に死去。享年38。男子がなく、後を弟で養子の水野忠之が継いだ。
 
元禄12年(1699年)8月4日に死去。享年38。後を養子の水野忠之が継いだ。
 
{{先代次代|[[岡崎藩|水野氏(岡崎藩3代)藩主]]|1692 - 1699|[[水野忠春]]|[[水野忠之]]}}