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'''松平 義生'''(まつだいらよしなり、[[安政]]2年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]([[1855年]][[7月12日]]) - [[大正]]9年([[1920年]])[[1月14日]])は[[江戸時代]]末期の[[大名]]。[[美濃国]][[高須藩]]14代藩主。[[丹波国]][[園部藩]]主[[小出英教]]の次男で、13代[[高須藩]]藩主[[松平義勇]]の養子。名は小次郎、英周。
正室は[[尾張徳川家]][[徳川慶勝]]の3女道姫。後室は
[[明治]]2年([[1869年]])、養父の松平義勇から家督を受け継ぎ、高須[[藩知事]]となる。明治3年([[1870年]])、高須藩の経営が成り立たないとして[[尾張藩]]と合併し、尾張藩権知事となった。明治17年([[1884年]])に[[子爵]]の位を授かる。明治35年([[1902年]])には駒野城跡を城山村(現・[[岐阜県]][[海津市]])に小学校用地として寄付。大正9年([[1920年]])に死去、享年66。
{{先代次代|[[高須藩|尾張松平氏(高須藩14代)藩主]]|
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[[Category:江戸の大名|まつたいらよしなり]]
[[Category:松平氏|よしなり]]
[[Category:親藩|まつたいらよしなり]]
[[Category:日本の華族|まつたいらよしなり]]
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