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==沿革==
[[明治15年]]([[1882年]])に、幕末維新の動乱期に死亡した新政府軍側戦没者ゆかりの品を集め展示する事を目的に発足。[[日清戦争]]や[[日露戦争]]、[[第一次世界大戦]]を経て展示資料は増加し、施設も逐次増築された。[[大正12年]]([[1923年]])の[[関東大震災]]で施設が損壊。翌年に仮館を建設、[[昭和7年]]([[1932年]])に再建された。
戦時中は、陸軍省の貸出しで鹵獲兵器の展示も行われたが、第二次大戦後[[連合軍]]の[[軍政]]下で遊就館令が廃止され閉館した。終戦により国家補助を打ち切られた靖国神社は「遊就館を修理したものに、建物および周囲の土地を貸与してもよい」との意向を表明し、[[昭和22年]]([[1947年]])11月に富国徴兵保険との縁故もあって、社屋を米軍に接収された[[富国生命保険]]と月額5万円(当時)で遊就館賃貸契約を結び、同社の「九段本社」として使われた。一方、主権回復後の[[昭和36年]]([[1961年]])に遊就館に隣接する靖国会館の一部を「宝物遺品館」として再開し、遺品などを細々と展示していた。[[昭和55年]]([[1980年]])に富国生命が立ち退くにあたり、当時の社長が靖国神社の経営の窮状を財界有力者に訴えた。これを契機にに「[[靖国神社崇敬奉賛会|靖国神社奉賛会]]」が発足、その支えもあり、[[昭和61年]]([[1986年]])7月には改修が終わり再び遊就館として再開された。その後、建物の老朽化に加えて展示スペースの問題があったことから、御創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築の工事が行なわれた。その際、野外展示されていた一部資料も館内に収納展示され、[[平成14年]]([[2002年]])[[7月13日]]に再オープンとなった。
 
戦時中は、陸軍省の貸出しで鹵獲兵器の展示も行われたが、第二次大戦後[[連合軍]]の[[軍政]]下で廃止。日本の主権回復後、[[昭和36年]]([[1961年]])に靖国神社の付帯施設、靖国会館の一部を宝物・遺品館に充てる形で再建。[[昭和61年]](1986年)には、再び遊就館として再建されるも、建物の老朽化に加えて展示スペースの問題があったことから、[[平成14年]](2002年)[[7月13日]]、本館改修と新館増築の工事が行なわれた。その際、野外展示されていた一部資料も館内に収納展示される事となった。
 
==主な展示==