「マヤ地域」の版間の差分

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中部地域は、グァテマラ・ペテン低地、チャパス州北部の一部、タバスコ州の低地、ホンジュラス西端部(モタグァ川流域)を含む地域で、高温多湿で降水量が多い熱帯雨林のジャングル地帯が広がる。[[形成期後期 ]]([[先古典期]]後期)には、[[エル=ミラドール]]の大都市遺跡が繁栄し、[[古典期]](A.D.300~900)には[[ティカル]]、[[カラクムル]]などの大遺跡が繁栄して覇権を争い、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑が盛んに刻まれた、マヤ文明の代名詞のような地域である。
 
北部地域は、降雨量の少ない乾燥した気候であるうえ、石灰岩地盤の広がるこの地域では地上に水が残ることが少なく、川がほとんどない。そのため、[[セノーテ]]と呼ばれる泉がほとんど唯一の水源となっている。[[古典期後期 (マヤ)|古典期後期]](A.D.600~900)から[[ウシュマル]]、[[チチェン=イッツアー]]などに[[プウク式]]の壁面装飾が美しい建物が多く築かれたのがこの地域である。[[後古典期 (マヤ)|後古典期]](A.D.900~1532)900~1524)には、[[マヤパン]]が交易で繁栄した。