「伊集院光の怪電波発信基地」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
機種依存文字排除
4行目:
 
== 内容 ==
1995年度に放送された[[伊集院光の放課後の王様]]の後番組となるが、サテラビューの不振による番組枠の縮小、さらにはスポンサーである[[任天堂]]の不評を買い、放送時間を深夜に変更させられた。架空のゲーム企画に対するネタの投稿を軸とした内容は放課後の王様と変わらないが、伊集院光本来の面白さはこちらのほうがすごい。
 
深夜帯に放送されたこと、BS独立音声放送とサテラビューによるデータ放送を併用した特殊な聴取方法、チャンネルを共用したテレビ局[[WOWOW]]で同時間に放送されたエッチな成人向け映画目が行って…などの理由で[[全国放送]]にもかかわらず番組の存在は認知されず、リスナーは数少ないサテラビュー所有者のほんの一部、BS受信設備を持つ伊集院ファンなどごく少数の物好きに限られた。
のちに伊集院は「50「50人しか聞いていないと発言する。このことが転じて、当時すでに放送していたTBSラジオ「[[伊集院光 深夜の馬鹿力]]」でもいえないようなきわどいネタなどでしばしば暴走することもあった。
 
伊集院とゆたおは幼馴染ということで、トークの息がぴったりあっていた。また、元落語家と漫才師ということで二人とも古典芸能に関心が深く若者向けの放送にもかまわず[[浄瑠璃]]などのトークも。
 
当時の衛星放送では秋分の日、春分の日の前後約1か月にかけて[[衛星放送#食による放送休止|食]]が発生し、深夜放送が休止された。この現象のため番組には放送休止期間がある。さらに同年度に放送された他のサテラビュー向けラジオ番組よりも1か月ほど早く終了した。