「反証主義」の版間の差分

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*反証主義の基準を満たしていても、後に間違っている、と明らかになる事例がある。
*:例えば、「ヒトはサルから生まれた」という仮説がある。反証主義の立場からすれば、この仮説は「間接的な反証可能性」を満たしており(「もし猿が生まれるよりも前に人間が存在したという証拠が挙がるならばこの仮説は疑わしいであろう」と考えることはできる、という点で反証主義は、"間接的な反証可能性"を満たしているから、「ヒトはサルから生まれた」という言説は科学的なのだ)、とラベルが貼られ、乱暴な議論がまかり通ることになった。だが、後の遺伝子科学によって明らかになったことは、「ヒトとサルは共通の祖先を持つ」ということであり、ヒトは現在我々が眼にするサルから生まれたのではなかった。遺伝子科学が発達するまでの長きにわたって、進化論者が主張した「ヒトはサルから生まれた」というエキセントリックな言説は反証主義をすりぬけつづけた。
 
*反証主義の基準を満たしていなくても、後に反証主義の基準を満たすことになる事例がある。(反証実験が不可能だったことが、後に実験可能になり、真だったと、判明することがある)
*:例えば、(機械系など)職人技には、とりあえずは科学的とも非科学的ともつかないような言明が多数ある。そのような言明により師弟間の技の伝承がなされる。が、そのようなものが、数十年もたってから、測定技術が追いつき、ようやく"反証実験"できるようになる場合があり、妥当だったと判明することもある。(工学系の職人の貴重なノウハウに「非科学」とのラベルを貼ってしまった場合、その数十年間の経済的損害、精神的な損害は一体誰が補償するというのだろうか?)
 
反証主義による判定は、実験の技術の進歩とともに反転する可能性がある。ある時点での反証主義の判定だけで、レッテルを貼ることは、決定的な誤謬を犯してしまうことにつながりかねない。レッテルを貼るということは、貼る側がどのような正当化や言い訳をしようが、レッテルを貼られた者に何らかの影響を与えてしまう点はよくよく注意しなければならない。