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'''杉浦敏介'''('''すぎうら びんすけ'''、[[1911年]][[11月13日]] - [[2006年]][[1月27日]])は日本の[[実業家]]。元[[日本長期信用銀行]](現[[新生銀行]])頭取。[[日韓経済協会]]第三代目会長。
 
== 来歴・人物 ==
 
==来歴・人物==
[[東京市]]下谷区に杉浦倹一 としの次男として生まれる。杉浦家は[[江戸時代]]、[[幕臣]]であった。[[東京帝国大学]]法学部卒業後の[[1935年]]、[[日本勧業銀行]](現[[みずほフィナンシャルグループ]])に入行したが、[[1952年]]に設立された日本長期信用銀行創立に参加。専務、副頭取を経て[[1971年]]5月から[[1978年]]6月まで頭取。その後は会長、相談役最高顧問などを務めた。会長時代も含め20年近くも経営トップの座に君臨し、「長銀中興の祖」とともに「'''長銀のドン'''」と呼ばれた。在職中、[[リース]]・[[不動産]]・[[流通]]といった新興企業へ積極的な貸出姿勢をとったが、[[バブル]]崩壊後にことごとく[[不良債権]]化し、結局[[1998年]]に長銀が経営破綻した。その後、道義的責任を問われるが本人はこれを否定し続けた。しかし周囲の勧めもあり、自宅を売却し'''9億円の退職金の一部2億円'''を返還した。
 
2006年1月27日、急性[[心筋梗塞]]のため都内の自宅で死去。[[享年]]94。
 
== エピソード ==
*飛行機に乗っているときに気分が悪くなり、その時たまたま「当機はただいま高度1万メートルを飛行しております」という機内アナウンスが入った。それを聞いた杉浦は、「ああ、そんな高いところを飛んでいるから気分が悪くなるんだ。君、操縦室に行って高度を8千メートルに下げてもらいなさい」と同行していた部下に言った。そして、その部下は[[キャビンアテンダント]]経由で操縦室にその通り申し入れ、当然ながら断られたという。これは[[都市伝説]]の一種とも言われるが、当時の長銀社内における杉浦の発言力(ならびに発言内容のレベル)と、それに対する部下の反応を端的に表しているエピソードとして知られている。
 
[[category:日本の実業家|すきうら ひんすけ]]