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=== クーデター ===
[[1973年]][[トバ・ナー・ティポテ]]反政府勢「MOJA」を結成。[[1979年]]、政府の米価の値上げ発表に対して反対デモが起こる。トルバートの元国務次官書記だった反政府勢力「MOJA」の中心メンバーである[[ガブリエル・バッカス・マシューズ]]が、トルバート政権への大規模な抗議運動を主導したとして、騒乱罪で死刑を宣告された。[[1980年]]、リベリア先住部族クラン族出身の[[サミュエル・ドウ]]曹長による[[クーデター]]でトルバートは暗殺され、「アメリコ・ライベリアン」の少数支配が終わった。トルバート政権の崩壊でマシューズは釈放され、ドウ政権の下で外相・内閣官房長官に歴任する。[[1985年]]11月12日ギオ族の[[トマス・クィウォンパ]]がクラン族のドウ政権に反発し、シエラレオネからリベリアに侵入し軍事クーデターを試みるが失敗。15日にクィウォンパは処刑され。その後、ドウはクラン族中心のリベリア国軍をギオ族とマノ族が住むニンバ州に派兵し、ギオ族とマノ族を復讐攻撃し、600人から1500人を大虐殺す。[[1986年]]ドウ政権下でリベリア第二共和国が発足し、ドウが第21代大統領に就任
 
=== 第一次内戦 ===
[[1989年]]、[[チャールズ・テーラー]]率いる反政府組織「リベリア国民愛国戦線(NPFL)」が蜂起して[[内戦]]が勃発した。[[西アフリカ諸国経済共同体]](ECOWAS)が政府支援のために軍事介入するが、[[1990年]]6月ギオ族の[[トム・ウォエウィユ]]が停戦交渉にNPFL代表として出席。アメリカへ一時亡命していたクラン族の[[ジョージ・ボレイ]]がLPCの武装勢力を結成(後の93年にはテーラー率いるNPFLと交戦し武装勢力を拡大し成長させる)。戦闘が全土に拡大。[[カトリック教]]の[[マイケル・フランシス]][[大司教]]モンロビアでギオ族とマノ族を大虐殺したクラン族のリベリア国軍に抗議。[[1991年]]クラン族の[[ジョン・ヘゼキア・ボーウェン]]がAFLの指導者になる。NPFLから分裂した[[プリンス・ジョンソン]]率いるINPELの派閥がドウ大統領を捕らえ拷問の末にドウを処刑。ドウ政権は崩壊し、[[エーモス・ソーヤー]]が暫定政権を立てる。NPFLはこれを認めず、[[1992年]]からソーヤー派の戦線との戦闘が激化、NPFLが隣国[[シエラレオネ]]政府のリベリア内戦への派兵に抗議してシエラレオネに進入する。NPFLの同胞だったシエラレオネ反乱軍の[[アハメド・フォディ・サンコー]]率いる統一革命戦線(RUF)も戦闘に参加し、戦乱は国境を越えて広がった。[[エルハジ・クロマー]]率いるマンディゴ族の[[ムスリム]]系組織ULIMO「軍事派」も内戦を[[ジハード]]ととらえ蜂起。また3月にクロマーのULIMO「軍事派」から分裂した[[ルーズベルト・ジョンソン]]がULIMO-Jの新勢力を結成し蜂起し始める。[[1993年]]ウォエウィユとテーラーが組織の政治目標をめぐり対立。当事者代表が包括和平交渉に合意、[[1995年]]に和平協定に調印。9月[[ウィルトン・サンカウロ]]がCS議長に就任。[[1996年]]に停戦が発効された。内戦により15万人以上が死亡し、30万人以上が国外へ難民となるなど、西アフリカ最悪の紛争地域と言われた。9月サンカウロ、ECOWAS会議の席上でテーラーの傀儡と告発され辞任し、[[ルース・ペリー]]が暫定政権首班下で文民代表としてCS議長に就任。アフリカ発の女性国家元首になる。
 
[[1997年]]に大統領・副大統領・上院・下院の統一選挙が実施され、NPFLのチャールズ・テーラーが大統領就任して第3共和制が成立した。
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<!-- ''詳細は[[リベリアの国民]]を参照'' -->
<!-- (住民の人種構成、言語、宗教など) -->
住民はほとんどがアフリカ系の先住民であり、主な部族として[[クペレ族]][[バサ族]][[クル族]][[ゴラ族]][[ギオ族]][[マノ族]][[クラン族]]、バル族、グレボ族、キシ族、ロマ族、[[マンディゴ族]]など16の部族がいる。また、[[アメリコ・ライベリアン]]と呼ばれている、アメリカの解放奴隷たちの子孫が2.5%、カリブ諸国からの移民の子孫も2.5%いる。
アメリコ・ライベリアンと先住民部族との間で対立があったが、1980年クラン族のドウがアメリコ・ライベリアンの政権を倒し、ドウが政権を握た。それ以来、クラン族は敵対するギオ族とマノ族に復讐して以来、部族間の争いが絶えなかった。1990年以来の戦争ではクラン族のドウ政権を倒すためアメリコ・ライベリアンがクラン族と対立するギオ族とマノ族と手を組み、1991年にドウ政権を倒した。
 
言語は英語が公用語であるが、話したり書いたり出来るのは一部の人々に限られている。その他に28に及ぶ各部族の言葉が使われている。