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'''エカテリーナ・ブダノワ'''('''{{Lang|Rus|Екатерина Васильевна Буданова}}''', [[1916年]][[12月7日]] - [[1943年]][[7月19日]])は、[[ソ連労農赤軍航空隊]]の女性[[エース・パイロット]]。公認撃墜機数は11機(個人撃墜6機+協同撃墜5機)[[ソ連邦英雄]]親衛上級中尉。[[ロシア連邦英雄]]。
 
== 経歴 ==
 
*[[スモレンスク]]の農村で生まれ[[モスクワ]]の航空機工場で働いていたが航空機に興味を持ちパイロットになった。
*[[スモレンスク]]州のコノプリャンカ村の農家に生まれた。[[ロシア人]]。[[モスクワ]]の航空機工場で働いていたが航空機に興味を持ちパイロットになった。1937年以降飛行教官としてパイロットの育成にあたり航空パレード観閲飛行などにも参加していた。
 
*1941年6月のソ連へのドイツ進行以侵攻は軍、同年9月に女性航空連隊編成所に入隊し第586戦闘機航空連(Yak-1)へ配属され、1942年4月から戦闘に加わった
*1943年1月に[[リディア・リトヴァク]]と共に第8空軍の第73部隊へ異動。
 
*1943年2月23日に勲章を授与。
1942年9月、第437航空連隊に異動し、[[スターリングラード]]上空の空中戦に参加した。10月6日、Ju-88を撃墜し、最初のスコアを上げる。11月中旬、Me-109×2機を協同撃墜、He-111を自ら撃墜した。12月10日、Me-109を撃墜。
*1943年7月19日に三機の[[Bf-109]]に囲まれ戦死した。
 
1943年1月、[[リディア・リトヴァク]]と共に第8空軍の第73親衛戦闘機航空連隊へ異動。連隊長はブダノワを信頼し、彼女を僚機にした。同年2月23日、赤星勲章を授与される。3月末、FW-189を撃墜。更に3月~6月の間、ブダノワは協同撃墜2機のスコアを上げた。7月17日、Ju-88を撃墜し、間もなく一等祖国戦争勲章を授与された。
 
1943年7月19日、3機の[[Bf-109]]に囲まれ、最後のスコアである11機目を撃墜したが戦死した。司令部は、彼女を[[ソ連邦英雄]]に上申したが、これは実現しなかった。生涯に渡って、ブダノワは、266ソーティーを遂行し、個人撃墜6機、協同撃墜5機のスコアを上げた。
 
1993年10月1日、ブダノワにはロシア連邦英雄の称号が授与された。
 
== 顕彰 ==
 
モスクワのクンツェフスキー地区には、彼女の名前の通りがある。モスクワの第63中学校には、彼女の記念碑が建てられた。
 
[[Category:ロシアの軍人|ふたのわ えかてりーな]]