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'''ドルスス・カエサル'''('''Drusus Julius Caesar''', [[7年|西暦7年]] - [[33年|西暦33年]])正式名は'''ドルースス・ユリウス・カエサル'''('''Drusus Julius Caesar''')。[[古代ローマティベリウス]]の将軍[[ゲルマニクス]]の息子で第2代[[ローマ皇帝]][[ティベリウス]]の後継者候補。
 
==家庭==
父はゲルマニクス、母は[[大アグリッピナ]]。二人の次男として7年頃生まれた。兄に[[ネロ・カエサル]]、弟にガイウス・カエサル(後の第3代皇帝[[カリグラ]])、妹に[[ドルシッラ]]、[[小アグリッピナ]]、[[ユリア・リウィッラ]]がいる。父ゲルマニクス方の祖父アウグストゥスの妻[[リウィア]]の連れ子の[[大ドルスス]]、父方の祖母は[[小アントニア]]の息子で、ドルススが生まれたときには[[アウグストゥス]]の後継者であるティベリウスの養子となっていた。母大アグリッピナは[[マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ]]とアウグストゥスの娘[[ユリア (アウグストゥスの娘)|ユリア]]の娘で母からアウグストゥスの血を受け継いでいた。
 
==生涯==
[[14年|西暦14年]]、彼が7歳くらいの頃にアウグストゥスが没しティベリウスが帝位を継ぐと、。その際に父ゲルマニクスは皇帝ティベリウスの実子で義兄弟である[[小ドルスス]]と共にその後継者候補となった。内向的な性格の皇帝ティベリウスとは対照的に開放的な性格のゲルマニクスは多くの人気を集め、[[ゲルマニア]]での戦果がそれをより確かなものとした。
 
[[18年|西暦18年]]にゲルマニクスは東方シリアへ派遣され、これに母大アグリッピナも同行した。しかしカリグラとユリア・リウィッラを除いた子供達はこれには同行せずローマに残った。
 
19年に父ゲルマニクスが急死する。翌20年に父の遺骨とともに母たちが帰還するとドルススは兄妹と叔父小ドルスス、[[クラウディウス]]とともにとタッラキナでこれを迎え、その後ローマでのゲルマニクスの葬儀が行なわれた。ゲルマニクスの死はシリア総督であった[[グナエウス・カルプルニウス・ピソ]]による毒殺が疑われ、裁判もおこなわれたがピソは判決前に自殺した。