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ウェードがプロテニス選手に転向した[[1968年]]は、[[テニス]]の歴史の中でも最大の転換期に位置する。この年に[[グランドスラム (テニス)|テニス4大大会]]の「オープン化」が実施され、プロ選手たちに出場の道が開かれた。それ以前は、4大大会の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。成功を収めた多くの一流選手たちがプロに転向したため、世界一の威信を誇るウィンブルドン選手権でさえも、世界最強レベルの選手の姿が消えるジレンマが長期間続いていた。そのため、「オープン化」という措置によってプロ選手にも4大大会出場の道を開いたのである。その年に、ウェードはアマチュア選手として故郷の[[ボーンマス]]で開かれた「全英ハードコート選手権」で優勝する。その5ヶ月後、ウェードはプロ選手として[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]で4大大会に初優勝を飾る。決勝で[[ビリー・ジーン・キング]]夫人([[アメリカ合衆国|アメリカ]])を 6-4, 6-2 で破り、「オープン化時代大会」としての同選手権で最初の優勝者になった。([[1968年]]と[[1969年]]の2年間は、暫定措置として全米選手権大会が2度開催された。9月に行われた「オープン化時代大会」(英語:Open Era Grand Slam)の優勝者が大会公認の優勝者として記載されるため、[[1968年]]はウェードが正式な優勝者として扱われる。[[全米オープンテニス女子シングルス優勝者一覧]]も参照。)[[1972年]]の[[全豪オープン]]で、ウェードは4年ぶりとなる4大大会2勝目を挙げた。
 
ウェードのテニス人生最大のハイライトは、何と言っても[[1977年]]の[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]選手権大会である。準決勝で大会前年優勝者の[[クリス・エバート]]を 6-2, 4-6, 6-1 で破ったウェードは、決勝で[[ベティ・ストーブ]]([[オランダ]])と対戦することになった。決勝戦のセンター・コートは1万4000人の満員の観客で埋め尽くされ、この年に即位25周年を迎えたイギリス女王[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]の見守る中、ウェードはストーブに 4-6, 6-3, 6-1 の逆転勝利を収め、自身17度目の挑戦でウィンブルドン選手権に初優勝を果たした。これはウェード自身にとっても、32歳の誕生日の9日前に達成した記念碑的な偉業であった。
 
[[1986年]]に41歳で現役を引退。[[1989年]]に[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。
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* [[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]:1977年 [現時点でイギリス人選手最後の優勝]
* [[全米オープン (テニス)|全米オープン]]:1968年
 
 
{| class="wikitable"
|- bgcolor="40E0D0"
!'''年'''
!'''大会'''
!'''対戦相手'''
!'''試合結果'''
|-
|bgcolor="CCCCFF" | [[1968年]]
|bgcolor="CCCCFF" | [[全米オープン (テニス)|全米オープン]]
|bgcolor="CCCCFF" | [[ビリー・ジーン・キング]]
|bgcolor="CCCCFF" | 6-4, 6-4
|-
|bgcolor="FFFFCC" | [[1972年]]
|bgcolor="FFFFCC" | [[全豪オープン]]
|bgcolor="FFFFCC" | [[イボンヌ・グーラゴング]]
|bgcolor="FFFFCC" | 6-4, 6-4
|-
|bgcolor="CCFFCC" | [[1977年]]
|bgcolor="CCFFCC" | [[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]
|bgcolor="CCFFCC" | [[ベティ・ストーブ]]
|bgcolor="CCFFCC" | 4-6, 6-3, 6-1
|-
|}
 
== 関連項目 ==
* [[テニス]]
== 外部リンク ==
* [http://www.tennisfame.com/famer.aspx?pgID=867&hof_id=113 国際テニス殿堂(英語)]
{{全豪オープン女子シングルス優勝者}}
{{ウィンブルドン女子シングルス優勝者}}
{{全米オープン女子シングルス優勝者}}
[[Category:イギリスのテニス選手|うええと はあしにあ]]
[[Category:イングランドのテニス選手|うええと はあしにあ]]