「山村才助」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
UMBRO (会話 | 投稿記録)
新しいページ: ''''山村 才助'''(やまむら さいすけ、1770年明和7年)- 1807年文化4年))は、江戸時代後期...'
 
でここ (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
'''山村 才助'''(やまむら さいすけ、[[1770年]]([[明和]]7年)- [[1807年]]([[文化 (元号)|文化]]4年))は、[[江戸時代]]後期の[[地理学]]者。父は[[土浦藩]]士[[山村昌茂(]]、母はまき。
 
[[江戸]]に生まれる。幼少から地理学を好む。み、[[1789年]]([[寛政]]元年)母方の叔父[[市河寛斎]]の紹介により[[大槻玄沢]]の[[芝蘭堂]]に入門する。そこ玄沢四天王と呼ばれ、蘭学者番付は西関脇となっている。世界地理を研究、[[1802年]]([[享和]]2年)知識を駆使には[[オランダ語]]地理書から訳出し[[新井白石]]著の「[[采覧異言]]」訂正・補足を施し、総合世界地理書「[[訂正増訳采覧異言]]」とまとめた。文化元年(1804年)には幕府に献上され、幕命で『魯西亜国志』をまとめる。後に、訳稿である「[[新訳東西游記]]」などを著した。ほか、明代のイエズス会士地理書『職方外記』を検証した『明儒翻訳万国図説考証』、同門の[[橋本宗吉]]の誤りを訂正した『喎蘭新訳地理全図』など。38歳で死去。没後公刊の著作も多い
 
== 参考文献 ==
* [[鮎沢信太郎]] 『山村才助』 吉川弘文館 1959年 ISBN 4-6420-5151-1
 
[[Category:1770年生|やまむら さいすけ]]