「瀬尾孫左衛門」の版間の差分

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瀬尾も士分であるので寺坂吉右衛門などの足軽層よりは上格であっただろうが、又家臣である以上、士分の同志達の中での序列は、もっとも低かったはずだ。しかし内蔵助の瀬尾への信任は厚かったようで、[[元禄]]15年([[1702年]])10月、内蔵助が[[江戸]]下向の途中に[[川崎市|川崎]]平間の百姓[[軽部五兵衛]]の家の離れに滞在した際には瀬尾孫左衛門の名義で借りている。内蔵助が江戸へ入った後も足軽[[矢野伊助]]とともに川崎平間村を留守していたが、吉良邸討ち入り直前の12月12日になって矢野とともにどこかに逃亡した。その後の消息は不明である。
 
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[[Category:江戸時代の人物|せおまこさえもん]]