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[[1947年]]、[[下関市]]議会議員選挙に[[日本共産党]]から立候補。129票を獲得したが落選。[[1977年]]、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、[[第二次世界大戦]]中に[[日本軍]]人が[[朝鮮]]の[[女性]]を[[強制連行]]し慰安婦にしたと証言。[[1982年]]には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の[[奴隷]]狩りを証言。[[1983年]]、いわゆる[[従軍慰安婦]]問題の発端となった「私の戦争犯罪」を上梓した。その後も[[朝日新聞]]・[[しんぶん赤旗]]などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。
 
吉田の「慰安婦狩りを行なった」という証言については、次のような現地調査や見解がある。
*「済州新聞」 [[1989年]]8月14日付け報道(記者・許栄善)
*[[秦郁彦]]が[[済州島]]まで赴き、現地調査したところ明確な裏付けは取れなかった、という。当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」との証言をしている<ref>[[秦郁彦]]・著 『慰安婦と戦場の性』 (新潮選書) [[新潮社]] 1999年6月 ISBN 4-10-600565-4</ref>。
*また、[[上杉聰]]は[[吉見義明]][[中央大学]]教授とともに、吉田と面談した。その結果、秦の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないが、歴史証言としては採用できない、としている<ref name=uesugi><nowiki>http://www.jca.or.jp/jwrc/news/shokoi.html</nowiki> 、<br /> [http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm 「慰安婦」は商行為か?---「慰安婦」問題の真実---] [[上杉聰]] 1996年</ref>。
*[[テレビ朝日]] 『[[ザ・スクープ]]』 「従軍慰安婦 Part2 戦争47年目の真実」(1992年)
*尹貞玉(元[[梨花女子大学]]教授)が[[1993年]]に同島で調査を行ったが、この時には「島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された」、という<ref name=uesugi/>。