「フィリッポ1世 (パルマ公)」の版間の差分

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[[オーストリア継承戦争]]の結果、1748年の[[アーヘンの和約 (1748年)|アーヘンの和約]]でスペイン・[[ブルボン家]]は[[パルマ公国]]を再び獲得した。パルマ公にはかつて、フィリッポの兄カルロスが1731年から1735年まで就いていたが、カルロスはその後[[シチリア王国|シチリア]]と[[ナポリ王国|ナポリ]]の王位に就いており(1759年にはスペイン王位を継承する)、フィリッポがパルマ公となった。
 
従兄である[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]と[[マリー・レクザンスカ]]の長女ルイーズ・エリザベート(ルイーザ・エリザベッタ)と1739年に結婚し、1男2女をもうけた。長女(第1子)[[マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ|マリア・イサベラ]]は[[ハプスブルク家|ハプスブルク=ロートリンゲン家]]のヨーゼフ大公(後の[[神聖ローマ皇帝]][[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]]に嫁いだ。唯一の男子(第2子)[[フェルディナンド・ディ・ボルボーネ|フェルディナンド]]が後継者となった。次女(第3子)[[マリア・ルイサ・デ・パルマ|マリア・ルイーザ]]は彼女の従兄[[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]]に嫁いだ。
 
{{Commons|Category:Philip, Duke of Parma}}