「ハミルトン・ハーティ」の版間の差分

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ピアノ伴奏者として音楽活動をスタートした彼は、1920年に[[ハレ管弦楽団]]の指揮者に抜擢され、1933年までハレ管の指揮者として活躍した。ハレ管弦楽団で大成功をおさめた彼は、その後[[オスロ]]他いくつかのヨーロッパのオーケストラを手がけるようになる。1935年に[[ナイト]]に叙せられた。
 
イギリスの作曲家[[ウィリアム・ウォルトン|ウォルトン]]の[[交響曲第1番 (ウォルトン)|交響曲第1番]]や1935年にはアーノルド バックスの交響曲第6番の初演を務めたことも知られる。 その他に1930年にマーラーの第9交響曲のイギリス初演、1932年にショスタコビッチの交響曲第1番のイギリス初演を行う
 
作曲家としては[[ジョン・フィールド|フィールド]]のピアノ曲を管弦楽に編曲した「ジョン・フィールド組曲」を始め、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の『[[水上の音楽]]』『王宮の花火の音楽』の編曲などの、近代的な[[管弦楽法|オーケストレーション]]を駆使した編曲や、アイルランド民俗音楽の伝統を反映させた「[[アイルランド交響曲]]」などで有名である。「アイルランド交響曲」はハーティの作品中もっとも知名度が高く、ハーティならではの民謡風で郷愁を帯びた作風である。