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'''マールワ''' (Mālwa)lwā、मालवा)は、[[インド]]中部、[[マディヤ・プラデーシュ州]]南西端一帯の地方名。その範囲は歴史的にも一定しないが、[[グジャラート州|グジャラート]]の東、[[ラジプターナ]]の南、[[ボーパル]]の西、[[ヴィンディヤ山脈]]とその北麓に広がる[[デカン高原]]の北端部を指す。
 
標高は400~600mで、北はほぼ北緯23度30分までをいうが、南は[[ナルマダー川]]の河谷平野を含ませる場合もある。
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古名は、マーラヴァ(Mālava)といい、これはもともと種族名で、[[マハーバーラタ]]や[[ラーマーヤナ]]にも見られ、[[アレクサンドロス3世|アレキサンダー大王]]の水軍に抵抗した[[パンジャブ]]地方のMalloiという種族がマーラヴァ族ではないかという研究者もいる。
 
マーラヴァの名前は、ヴィクラマ紀元(紀元前57年)の別名Mālavagana-sam-vatやMālavānam-jayah(マーラヴァ族の勝利)という銘文をもつ[[貨幣]]に見られる。
 
現在のマールワを指すようになったのは6世紀以降と思われる。[[玄奘]]が来印したときは、西海岸に近いカイラや[[アフマダバード]]付近を摩臘婆(マーラヴァ)と呼んでおり、これは種族名によるものと思われ、現在のマールワ地方をマーラヴァ、マールワと呼ぶことが定着したのは、10世紀以降である。
 
マールワは、[[レグール土|黒色綿花土]]に覆われた肥沃な農業地帯で、[[ミレット]](雑穀)、豆類、[[綿花]]、[[小麦]]などの産地であって、[[ガンジス川]]中上流域と[[アラビア海]]及びデカン高原を結ぶ幹線交通路が走り、特に中世史において重要な役割を果たした。
 
紀元前6~紀元前5世紀の[[十六大国|十六国並存時代]]には、ウッジャインを根拠地とするアヴァンティ王国がそのうちひとつを構成していた。前270年ごろは[[アショーカ王]]がこの地の太守となっている。紀元前後は、[[サータヴァーハナ朝]]の支配下にあったことが貨幣の出土で知られる。
 
[[グプタ朝]]の[[チャンドラグプタ2世]]のとき、この地がグプタ朝の重要な所領となり、マールワは[[天文学]]、[[占星術]]が発達し、「[[シャクンタラー]]」で知られる詩人[[カーリダーサ]]の出身地としても知られた。
 
[[プラティハーラ朝]]は、この地方から台頭し、[[カナウジ]]に遷都して北インドの大半を征服することとなり、[[ラーシュトラクータ朝]]とこの地を巡って抗争することとなる。プラティハーラが衰退すると、10世紀後半頃から[[パラマーラ朝]]の本拠となるなど[[ラージプート]]諸王朝の重要な所領であった。