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[[フラウィウス・ヨセフス]]は著作『[[ユダヤ古代誌]]』および『[[ユダヤ戦記]]』で、カイサリアでユダヤ人虐殺が起きたことが[[ユダヤ戦争]]の引き金となったと述べている。ローマ時代のカイサリアにはコロシアムやカエサルにささげられた神殿などがあったことが発掘によってわかっている。皇帝[[ヴェスパシアヌス]]はこの街を「Colonia Prima Flavia Augusta Caesarea」と名づけている。
[[130年]]代の[[バル・コクバ
カイサリアは7世紀以降、[[ペルシャ]]や[[イスラム教]]徒の侵攻によって破壊されたが、なんとか存続し、12世紀の[[十字軍]]の時代には、十字軍によって植民都市とされている。その後もイスラム教徒とキリスト教徒の攻防の地となったが、やがて放棄されて廃墟となった。
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