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[[874年]]([[貞観_(日本)|貞観]]16年)父とともに平姓を賜って臣籍に下り、従五位上左兵衛佐に至る。歌合を少なくとも3回開催し、また「[[古今和歌集]]」の撰者らと交流があった。貞文は色好みとしても有名で'''平中'''(へいちゅう)と呼ばれた。[[歌物語]]「[[平中物語]]」は貞文を主人公としたものである。
 
家集は伝わっていないが、「[[古今和歌集]]」に9首が入るなど、[[勅撰和歌集]]に2626首が入集している。
 
なお、好風には3人の子があり、その真ん中の子であることから「平中(へいちゅう)」と呼ばれるようになり、後にこれが姓として定着し、平中(ひらなか)姓の祖となった。但し、文献によっては平中姓の祖を父・好風としているものもある。
 
なお、好風には3人の子があり、その真ん中の子であることから「平中(へいちゅう)」と呼ばれるようになり、後にこれが姓として定着し、平中(ひらなか)姓の祖となった。但し、文献によっては平中姓の祖を父・好風としているものもある。
 
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