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== 概要 ==
'''神子元島'''(みこもと'''し'''ま)は、[[伊豆半島]]南部の[[静岡県]][[下田市]]の沖、[[下田港]]から南へ約11キロメートル、[[石廊崎]]からは東南東へ約9キロメートルの[[太平洋]]上にある[[島]]。面積は約0.1平方キロメートル、[[島]]の周囲の長さはおよそ4キロメートル、最高点の標高は約30メートルあり、[[静岡県]]の最南端となる[[岩]]礁状の[[無人島]]である。島全体が[[下田市]]に属する。
 
形成された時期は定かでないが、元々は[[伊豆半島]]の一部であったものが周囲の沈下により[[島]]になったと考えられおり、本土からも近いことから[[伊豆諸島]]には含めないのが普通である。
 
古くから祠(ほこら)や社(やしろ)などが度々置かれては風波により失われてきたとされるが、後述の神子元島[[灯台]]関係者を除けば[[人]]が定住していたとの記録は無い。現在[[岩]]礁状は磯[[釣り植生]]場としては少なく[[風]]や[[波]]の影響が大きい[[ダイビキャ]]ポイントとして名高いが、も困難である。定期[[船]]などの就航は無く、上陸する場合は周辺の港で釣り[[船]]などをチャーターする必要がある。
 
 
== 神子元島灯台 ==
'''神子元島灯台'''(みこもとしまとうだい)は、[[静岡県]][[下田市]]沖の神子元島の最高点付近に建てられている[[灯台]]。高さ約23メートルで、[[石]]造で現存するものとしては日本最古の[[灯台]]である。官設の洋式灯台として、[[英国]]人技師R・H・ブラントンにより[[明治2年]]([[1869年]])に着工され、[[明治3年]]([[1870年]])11月に点灯された。[[昭和43年]]([[1968年]])に国の[[史跡]]に指定され、[[平成10年]]([[1998年]])には[[世界の灯台百選]]に選ばれている。その光は20海里(約36キロメートル)先まで届くと云われ、周囲に[[浅瀬]]の多いこの海域の安全を今も守り続けている。
 
現在では[[マグロ]]などの大物も揚がる[[釣り]]場として、[[イルカ]]なども回遊する[[ダイビング]]ポイントとして、また[[世界灯台100選|世界歴史的灯台百選]]にも選ばれた[[神子元島灯台]]を擁する[[島]]として名高い。灯台の光は20海里(約36キロメートル)先までも届き、周囲に[[浅瀬]]の多いこの海域の安全を今も守り続けている。
 
== 関連項目 ==
== *[[神子元島灯台 ==]]
*[[下田市]]
*[[石廊崎]]
*[[灯台]]
 
== 外部リンク ==