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'''天勝野球団'''(てんしょう<!--てんかつ?-->やきゅうだん)は[[1921年]]~[[1923年]]に存在した[[プロ野球|職業野球]]球団。
 
[[1921年]][[2月]]、野球人気に目を付けた[[野呂辰之助]]により'''天勝野球団'''が結成。「天勝」とは野呂の妻・[[松旭斎天勝]]の名前に由来する。当初はノンプロで、野呂・天勝夫妻が運営する奇術一座の広告塔としての目的だった。選手は大学出身者が中心。一座の巡業に合わせて国内各地、更には[[中国]]、[[台湾]]と転戦した。戦績良く、野呂は本格的なチーム強化に着手。[[1923年]]、雑誌「野球界」にて「プロフェッショナル球団」であることを宣言。一座の公演とともに[[満州]]、[[朝鮮]]に遠征し、同年[[6月21日]]より[[ソウル]]で[[宝塚運動協会#日本運動協会|日本運動協会]]と対戦。[[日本]]初のプロ球団同士の試合は1勝1敗で引き分けとなった。この後[[8月30日]]に[[芝浦球場]]で3戦目が行われ協会が勝利。直後の[[9月1日]]に[[関東大震災]]が発生。天勝一座は深刻な被害を受け、球団は自然消滅した。
 
==関連項目==