「女流棋士 (将棋)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Bow (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
'''女流棋士'''('''じょりゅうきし''')は、[[女流育成会]]を通過、もしくは、奨励会2級以上で退会した者で、[[日本将棋連盟]]に所属する、[[将棋]]を職業とする女性を指す。
 
日本将棋連盟に所属するが、正会員ではなく、一般に言うプロ棋士(将棋連盟会員。以下本項では「棋士」とする)とは区別して扱われる(この点において[[女流棋士 (囲碁)|囲碁における女流棋士]]とは性格が異なる)。女性でも[[新進棋士奨励会|奨励会]]を通過し<ref>棋士には奨励会を通過すれば男女にかかわらずなることができる。ただ、奨励会受験には師匠の推薦が必要であり、本人の意思と実力だけでは決められない。志望者の進路には師匠の意向が強い影響を及ぼす。</ref>、日本将棋連盟の正会員たる[[棋士 (将棋)|棋士]]となることも可能であり、この場合、女流棋士ではなく「(女性)棋士」と呼ばれるが、現時点では奨励会を通過した女性は存在しない。
 
== 概説 ==
60行目:
=== 将棋連盟からの独立 ===
{{節現在進行}}
[[2006年]]11月、女流棋士会が将棋連盟から独立すること動きが報じられた。女流棋士は対局料などの面で男性棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できいことなどの点で待遇改善を求める声があった。また、将棋連盟としては引き止めるどころらもむしろ、独立の働きかけを促すような言動があったとされている。女流棋士会側ではこれ以前から制度委員会を発足させており、独立も視野向け入れ体制改革への意見集約が進められていた。
 
同年12月1日、女流棋士会は臨時総会を開き、独立に向けた新法人設立のための準備委員会の設置を賛成多数で可決し、同日、将棋連盟側にも独立の意向が伝えられた。
 
しかし、独立派女流棋士の弁護士を入れ立てた男女差別などの主張や、女流棋士会内での意思統一がないままの見切り発車的な寄付金募集などが、将棋連盟理事会や一部女流棋士の反発を[[2007年]]3月30日の連盟の会見によると、55人中(内2人は無回答)36人の女流棋士が残留を希望<ref>[http://www.asahi.com/culture/update/0330/017.html 女流棋士、3分の2が連盟残留要望 独立問題] [[朝日新聞]] 2007年03月30日</ref>。しかし、翌日の4月1日には、「独立準備委員会」が連盟から独立<ref>[http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070402-178678.html 女流棋士の「独立準備委員会」が独立] [[日刊スポーツ]] 2007年4月2日</ref>したことによって、女流棋界の分裂が決定的なものになった。またなお、[[斎田晴子]]・[[谷川治恵]]など一部の有力な女流棋士は、独立に反対し将棋連盟残留を表明<ref>[http://www.asahi.com/shougi/news/TKY200703160531.html 女流棋士の独立闘争 将棋連盟、個々に「残留」確認書] 朝日新聞 2007年03月17日</ref>している。
 
==== 関連項目 ====