「プブリウス・クラウディウス・プルケル (紀元前249年の執政官)」の版間の差分

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理由は戦闘前の鳥占いで使われる聖なる鶏の餌のついばみ方が悪かった事を無視した結果と伝えられるが、[[スエトニウス]]、[[キケロ]]、[[ウァレリウス・マクシムス]]によればプルケルは「餌を食べないのなら水なら飲むだろう」と言って聖なる鶏を海に放り投げたと言う。そして能力の欠如と信仰心のなさを咎められ罰金刑を受け、その後すぐに没した。死因は自死とも考えられている。
 
==関連項目==
*[[共和政ローマ]]
*[[第一次ポエニ戦争]]
*[[アッピウス・クラウディウス・カウデクス]]:父
*[[アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前212年の執政官)]]:息子
 
[[category:古代ローマ人|ふるける_ふふりうす_くらうていうす]]