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'''マリア・バグラティオニ''' (Maria Bagrationi,10531051?-1103年)は、[[ビザンティン帝国]]皇帝[[ミカエル7世ドゥーカス]]の皇后。結婚後はマリアと改名した。再婚して同じく皇帝[[ニケフォロス3世ボタネイアテス]]の皇后になった。'''アラニアのマリア'''とも呼ばれるため、実母ボレナと混同されやすい。美貌と知性の持ち主として知られ、[[グルジア正教会]]や聖地[[エルサレム]]への寄進をおこなっていた。
 
グルジア王バグラット4世(1027-1072)と二度目の王妃ボレナ(別名アラニアのマリア)の王女マルタ(Martha)として生まれる。母は[[アラン族]]の出身。