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'''甕'''(かめ;英jar,urn,cooking-pot 希pithos)については、東大理学部人類学教室の[[長谷部言人]](はせべことんど)による「頸部の径が口径あるいは腹径の2/3以上のものを甕(かめ)と呼び、2/3未満のものを[[壺]]とする」という定義がよく知られている。底部からゆるやかに湾曲もしくは屈曲して立ち上がり、わずかに肩部を有するか、そのまま開いた状態で[[口縁部]]に至る器形で、一般的に貯蔵などに使用されるため、必ずしも人間が一人で運搬できるとは限らないような、また運搬することを目的としない大形の器であを含めて呼称する。[[須恵器]]の甕には、口径あるいは腹径の2/3未満のものが含まれているなど、肩部から頸部への湾曲状態によっては壺と区別の困難な製品もある。しかし、概ね長谷部の定義どおり、甕は、大量の液体などを保管、貯蔵したり、[[藍]]甕にみられるように多量の液体を必要とする作業に用いられる腹部に対する口径の比が大きい容器で[[土器]]・[[陶磁器]]であるもののことをいう。日本では、[[弥生時代]]中期に北九州、[[山口県]]地方を中心に埋葬のために遺体を納める容器として甕が使用され、[[甕棺]]として知られる。中世になると、[[常滑焼]]の甕が埋蔵銭や水甕など多量の液体などを貯蔵、保管する容器として使われたが、[[近世]]になると[[桶]]にとって代わられた。近世には、瀬戸・美濃産の小形の甕が銭甕として使用された。また半胴甕という高台脇から屈曲して立ち上がる筒型の甕が18世紀後半以降植木鉢などに用いられた。中型の甕には、瀬戸・美濃産の水甕、体部上半に断面鋸歯状の強い[[ロクロ]]目がめぐり、肩部に環状の隆帯がつけられる[[備前焼|備前]]の甕が知られる。[[常滑焼]]の甕は、水甕としても用いられることもあったが、近世ではどちらかというと、甕棺、藍甕などのほかに便槽として用いられることが多かった。
中国考古学では、日本でいう普通の甕のほかに短頸壺に相当するものも甕と呼んでいる。ギリシャ語のピトス(pithos)は、大甕に相当する。urnと呼ばれるものは、特に[[火葬]]骨収納用の甕のことをいう。
一方、弥生土器や[[土師器]]で煮炊き用、炊飯用に使用される土器を甕と呼ぶことがある。これは、cooking-potに相当する。欧米では、これらの甕よりは深くはなく、[[鉢]]に近いものも見られる。なお、弥生時代の甕棺は、成人埋葬用に作った大甕であり、日用土器を棺として転用した壺棺とは、性格を異にしている。