「三瓶啓二」の版間の差分

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[[福島県]][[双葉郡]][[富岡町]]出身。[[福島県立磐城高等学校]]・[[早稲田大学]][[第二文学部]]卒。
 
[[1974年]]に[[極真会館]]の[[全日本空手道選手権大会|全日本選手権]]で8位入賞したのを皮切りに全日本選手権の常連して活躍。[[1979年]][[11月]]、日本代表として出場する[[全世界空手道選手権大会|全世界選手権]]の直前には[[大山倍達]]の命により同じく代表の[[中村誠]]、[[三好一男]]と共に[[百人組手]]に挑戦するも、49人で失敗(中村は35人,三好は45人で同じく失敗)。
第2回世界選手権大会では決勝で中村誠に敗れ、準優勝。なお、この決勝戦の組み合わせ・勝敗は同年5月に行われた全日本選手権の顔合わせと全く同じであった。この頃から、中村誠との再三にわたる死闘・ライバル関係から、両者の名前を取り三誠時代と呼ばれる。