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'''趙無恤'''(ちょうぶじゅつ/ちょうむじゅつ、? - [[紀元前425年]])は、[[中国]][[春秋時代]]の[[晋 (春秋)|晋]]の政治家。[[姓]]は'''贏'''、[[氏]]は'''趙'''、[[諱]]は'''無恤'''、[[諡]]は'''襄'''。'''趙襄子'''と呼ばれる。[[趙鞅]](趙簡子)の子。
 
 
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後日、趙鞅は子供たちを集めて「わしの宝の符を[[常山]]の頂に隠してある。見つけたものに褒美をやろう」と言ったが、子供たちは誰一人として見つけることができなかった。
無恤だけが帰ってきて「宝をみつけました」と言った。趙鞅が「見せてみよ」というと無恤は「常山の頂に立つと[[代]]を見下ろすことが出来ますが、代は取ることが出来ます」と答えた。そこで趙鞅はついに長子の[[趙伯魯|伯魯]]を廃して、末子の無恤を立てた。しかし、長兄の伯魯はこれを恨まず、かえって末弟の無恤を温かく見守り、支えた。無恤も幼い時から自分を可愛がってくれた兄をますます敬ったという。しかし間もなく伯魯は病で逝去してしまった。
 
===代を手に入れる===