「大化の改新」の版間の差分

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以上の点から、7世紀中~後半に、大化の改新と同様な改革が行われたことは、比較的見解の一致するところではあるが、その時期を、645年より、もっと後に設定するべきであるとの考え方もある。中大兄皇子は氏族内の内部対立を利用して、勢力をそぎ、天皇家の力を伸ばしていった可能性が高い。また、天皇権力が強くなる理由のひとつとして、[[壬申の乱]]の存在を考慮すべきとの考え方も存在する。律令制度が完成したのは、[[大宝律令]]からであり、その大宝律令と重ね合わせて解りやすく『[[日本書紀]]』には記述した可能性が高い。これは藤原不比等が、[[藤原鎌足]]の功績を高く評価させたためとも考えられる。
== 異説・俗説 ==
[[九州王朝説]]の一部においては、「大化の改新」は[[695年]]に畿内大和の豪族が九州王朝の天皇を殺害し皇権を簒奪した[[下克上]]の[[クーデター]]であり、藤原氏の政権掌握の功績は記述したいが、皇権簒奪の事実は隠匿したいという欲求から生まれた年代・背景を改ざんした記事であるとしている。(詳細:[[九州王朝説#大化の改新|九州王朝説]])
 
==関連項目==