「バーラム (競走馬)」の版間の差分

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デビューする前は弱々しく病弱で、風邪から肺炎を起こしたこともある。性格も集中力が無く、[[調教]]でもやるきの無いそぶりを見せるほどで、見るところと言えば16.2ハンドの素晴らしい馬体ぐらいであった。[[アーガー・ハーン3世]]はこの馬にイラン皇太子で重巡洋艦サセックスと共に海に沈んだ従兄弟に因み「バーラム」と名づけた。
 
調教では仕上がらないので、バタースはレースに出して仕上げる事にした。調教代わりに使ったはずだったがレースに出ると一変し、21倍の人気薄で出走したナショナルブリーダーズプロデュースステークスでは僚馬[[セフト]]を押さえていきなり高賞金のレースに勝ってしまった。この年は[[ジムクラック]]ステークス、ミドルパークステークスなどにも勝ち5戦無敗で終えている。
 
翌年は体調を崩し[[2000ギニー]]に直行。2番人気にされると、セフトを1馬身半差下してまず一冠目を獲得、続く[[ダービー (競馬)|エプソムダービー]]でも圧倒的な人気に答え2馬身差で快勝した。三冠を目指し、残る[[秋]]のセントレジャーステークスに備えたが、再び体調を崩し[[セントレジャーステークス]]に直行することになる。[[インフルエンザ]]の流行で僅か8頭立てとなったセントレジャーステークスでは、大観衆の前で5馬身差の圧勝を収め、史上14頭目のイギリスクラシック三冠を達成した。無敗での達成は史上3頭目の快挙であった。そしてセントレジャーステークスを最後に引退し、[[種牡馬]]入りした。
 
種牡馬入りしてからのバーラムはビッグゲーム、ターカン等の優秀馬を輩出したが、当初の期待ほどの成績を残せず[[第二次世界大戦]]の影響もあり[[アメリカ合衆国]]に輸出された。アメリカでは全くの不振で、5年後に[[アルゼンチン]]に輸出され、[[1956年]]に死亡した。
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